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イエスとブッダの共通点とは?

1 名前:ななし:05/01/12 23:48:33 ID:wvwEcgIY
イエスとブッダの共通点とは何ですか?

2 名前:名無しさん@3周年:05/01/12 23:54:14 ID:ckOrTccH
カタカナ

3 名前:名無しさん@3周年:05/01/13 00:06:04 ID:ffnVm52Z
質問箱レベルですな。

4 名前:名無しさん@3周年:05/01/15 09:33:49 ID:2CAxSdZ6
    。
  屁

5 名前:名無しさん@3周年:05/01/19 22:28:07 ID:FL1sdb6z
迷い、苦しむ人々を救おうとしたこと。
しかし十分には救いきれなかったこと。

6 名前:名無しさん@3周年:05/01/25 22:45:00 ID:hVd7FMhR
ずばり、自己犠牲。

7 名前:名無しさん@3周年:05/01/25 23:42:02 ID:6J0IGvbI
人間。男。偉かった。・・・・・・・
ほかになんかあるか?


8 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/26 20:23:11 ID:zOHwr7RC
(1)あわれみ
〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない〜(サンユッタ
二カーヤT)
   ブッダと修行僧は、修行により罪過なき存在となることを目指した。
   
〜わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない〜(イエス)
   神の子の立場として、修行によらずそのままの状態で、教えを受け入れるよう説く。
   
(2)今現在が大事
〜森に住み、心静まり〜その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?[尊師いわく]
〜かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることも
なく、ただ現在のことだけで暮らしている〜ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし〜
(サンユッタ二カーヤ)

〜あすのことを思いわずらうな〜一日の苦労は、その日一日だけで十分である〜(イエス)
   在家のままでよいが、生活のために今日一日のことを考えて生きること。自分の権威や栄華
   を求めて未来のためにあくせく働くことは、自分の欲求に従っているだけである。
   
   

9 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/26 20:24:10 ID:zOHwr7RC
(3)善悪は悪魔
〜あなたは悪魔の征服者です〜あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから彼岸に渡りおわ
り〜麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されません、雄々しき人よ、
両足をお伸ばしなさい。サビヤは師を礼拝します〜(スッタニパータ)

〜へびは女に言った〜「神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。」女
がその木を見ると〜賢くなることは好ましいと思われたから〜(創世記)
  〜思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり〜(感興のことば ニルヴァ
  ーナ)もちろん彼岸は思考が存在しないわけだが、世の初めの人も「生も死もない神聖な境地」
  だっただろう。
  
 
        
(4)安らぎ
〜安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る〜(スッタニパータ)

〜「安かれ」と言われた〜(ヨハネによる福音書)

(5)平安
〜究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜(スッタニパータ)

〜人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安〜(新約聖書)


10 名前:名無しさん@3周年:05/01/27 01:45:54 ID:vsnEYNJN
人間

11 名前:名無しさん@3周年:05/01/27 04:57:37 ID:yUAu83FB
現在は、価値観が混乱した倒錯の時代です。人も国も、ものの基準を見失い、
自己主張と打算と背徳がまかり通り、一見平和のようでいて、いつ争いの渦が広がり、
噴火するか、予断を許さない危機的状況を常にはらんでいます。もちろん、心ある運動が
各地で行なわれ、争いにブレーキの役をはたしていますが、利害の均等が破れ、
人の思惑に分裂が生じ、力による気運が勢いを増してくると、由々しき大事をひきおこしかねない
状況にあります。こうしたときに、一人 一人が、いたずらに成行きに身をまかすことなく、
光の一翼を担い、進んで世界の大調和の先達となり、偉大な先人の法灯をともす義務を
負うものです。人は、そのために至上主(かみ)と約束し、生まれてきた。あなたの自覚は、
あなた自身と、あなたの環境、あなたの子孫にまで調和を及ぼし、、その安らぎと至上主(かみ)
の恵みは、あなたの一族を 包みこんでいくことでしょう。調和のルールは、至上主(かみ)が
示した正道(しょうどう)にあって、それはイエス、モーゼ、釈迦、多くの聖人が実践された主への
献身と、心が通う社会秩序を 回復させる奉仕による魂の向上にあります。このことは、
時代や政体、宗派や習慣をこえた不変にして唯一の道標であります。
現在、それぞれの系列には、儀式と伝統が幅広く根を張り、形式が重んじられ、
真実がおおいかくされているやにみえる。そこで、一人一人が調和の原点に立ちかえり、
正道の神理を依りどころとし、それぞれの自由と平等を守りながら、明るく、素直に、
人を生かす愛に生き甲斐(がい)を求め、至上主(かみ)への献身の実を挙げていくことが人に
課せられた義務であります。

12 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/27 21:15:31 ID:6o7sRx4w
ブッダが修行として直接行うことに対して、イエスはその言葉を受け入れることとした。そして信仰を
深めることは行うことだと説く。

(6)わずかな食物で暮らす
〜足ることを知り、わずかの食物で暮らし〜およそ苦しみが起こるのは、すべて食料を縁として起こる
〜(スッタニパータ)

〜また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな〜(イエス)
  善である永遠の命の国は、人間のように食することなく安楽である。〜清浄な行者たちは、日に一
  食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?〜ブッダの修行僧は、
  顔色が明朗であった。
  
(7)何を食べようかと思いわずらうな
〜善を喜び〜すなわち「わたしは何を食べようか」「わたしはどこで食べようか」「昨夜わたしは眠り
づらかった」「今夜わたしはどこで寝ようか」―家を捨て道を学ぶ人は、これらの四つの憂いに導く思
慮を抑制せよ〜(スッタニパータ)

〜ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言っ
て思いわずらうな〜
  出家修行僧は、何を着ようかと思いわずらうことはない。在家者は何を着ようかという思いわずら
  いをも抑制すること。

13 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/27 21:16:23 ID:6o7sRx4w
(8)食べ物よりも、心に悪を思うことが悪い
〜梵天の親族であるあなたは、おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、しかもわ
たしはなまぐさいのを許さないと称している。カサッパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます〜
(ブッダ)生き物を殺すこと〜嘘をつくこと、詐欺、だますこと〜他人の妻に接近すること〜粗暴・残
酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんぴと
にも与えない人々〜怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと〜法廷で偽証し、正義を装
い、邪悪を犯す最も劣等な人々―これがなまぐさである。肉食をすることがなまぐさいのではない〜
(スッタニパータ)

〜あなたがたも、まだわからないのか〜口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それ
が人を汚すのである〜悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出
てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わないで手で食事をすることは、人
を汚すのではない〜(イエス)

  食を貪ることは善ではなく、「何を食べようか」などと食べることに趣きがある生き方は善では
  ない。しかし、粗食のみに徹することが永遠の命への道だということではなく、悪い思いが人を
  汚すのである。

14 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/30 22:02:19 ID:hNhc839m
(9)平等と公平
〜苛酷なることなく、貪欲なることなく〜万物に対して平等である〜(スッタニパータ)

〜公平とあわれみと忠実とを見のがしている〜
〜あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ〜あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるよ
うになるからである〜(イエス)

  人々が永遠の命の国に生まれることができず輪廻しているとすれば、世の初めから終わりまで平等か
  もしれない。
  
  
(10)豊かな人は
〜飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば〜(2)柔和で(3)よく分かち与え〜来世を恐れる要がない
〜(サンユッタ二カーヤT)

〜富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴に通る方が、もっとやさしい〜(イエス)


15 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/30 22:03:07 ID:hNhc839m
(11)与えよ
〜心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天で雨降らすごとくに、その轟きを
発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降りそそぐ〜(サンユッタ二カーヤT)

〜与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに
量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう〜(イエス)


(12)乏しき中からわかち与える人は
〜乏しき中からわかち与える人は、法を実践することになるであろう。千の供犠をなす人々の百千の供犠
も、そのような行いをなす人の功徳の百分の一にも値しない〜(サンユッタ二カーヤT)

〜イエスは、さいせん箱にむかってすわり〜多くの金持ちは、たくさんの金を投げ入れた〜あの貧しいや
もめは〜だれよりもたくさん入れたのだ〜その乏しい中から〜(イエス)

  乏しき中からわかち与える人は、より多く人に与えていることになる。
  


16 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 00:24:25 ID:5Hx7AOrj
>>8
>今現在が大事

キリスト教教義では、明日を思い煩うなという教えはあるが、過去への執着を捨て去れと言うのはないのでは?
今に徹底する仏教とはやっぱり違うと思うが。

17 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 12:43:18 ID:KwLkiMLC
2人ともカタカナ3文字

呼びやすいにゃ

18 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 17:22:15 ID:dGf6U24q
じゃあ相違点は?

19 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 17:54:20 ID:KPBFChxM
>>18
清音と濁音


20 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 17:55:49 ID:KPBFChxM
どちらも王族、一方は王族として生まれ、もう一方は王族の子孫の一人

21 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 18:03:06 ID:BvtgGHZn
男前とぶ男

22 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 18:48:26 ID:KGCHXUOE
考えてみりゃ
両名共に新興宗教の教祖

23 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 18:51:26 ID:C3rs3Hp3
自我の執着から離れよと説いた。

24 名前:23:05/01/31 19:00:04 ID:C3rs3Hp3
「諸法無我」を教えの中心にした釈迦はもちろんのこと、イエスもまた
自我の執着から離れるべきことを説いている。

あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、
さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、
天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
(マタイ福音書 六・十九〜二〇)

おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、
もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命
を受けつぐであろう。(マタイ福音書 十九・二十九)

25 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/31 21:08:35 ID:ymvfBm08
ブッダやイエスの教えの優劣を指摘しようとは思わないし、どちらも日本人の多くの人々が知っている
存在であり、教えで似ていると思われる点もあるだろうし、違った部分もあるだろう。

問題は、私たちが神も仏もなく、死後の世界もないと判断して、自分の思いのまま生きていたら、他人
を悩まし苦しめたとしても、時が経てば苦しめた側も、苦しめられた側も忘れ去りそれで済みというわ
けにはいかないかもしれない。

また、永遠の安らぎの世界があるならば、そこに入れる人がいて、そこに入れない人がいるかもしれな
いし、そこに入れない人がいるかもしれないならば、そこに入れるよう用意しておこうと思ったりもす
のだが、どちらにせよ、後々悪い運命にはなりたくはない。

(13)善をなせば良い報いが
〜まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある〜また善の報いが熟さないあいだ
は〜しかし善の果報が熟したときには、善人は幸いに遇う〜(ダンマパダ)

〜善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである〜(新
約聖書)


26 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/31 21:09:59 ID:ymvfBm08
(14)自分が行うこと
〜他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ〜(ダンマパダ)

〜なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか〜(イエス)


(15)いっさい誓ってはならない
〜一切の戒律や誓いをも捨て〜(スッタニパータ)

〜いっさい誓ってはならない〜(イエス)


(16)哲学について
〜一切の哲学的断定を捨てたならば、人が世の中で確執を起こすことがない〜(スッタニパータ)

〜むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい〜(新約聖書)


(17)論争をしてはならない
〜論争の結果は称讃と非難との二つだけである〜無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはな
ならい〜(スッタニパータ)

〜愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知ってるとおり、ただ争いに終わるだけである〜
(新約聖書)


27 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 22:52:25 ID:OUurGZT8
都内の方はこちらへぜひどうぞ
ttp://www.h6.dion.ne.jp/~mukojima/

28 名前:名無しさん@3周年:05/01/31 23:39:23 ID:+WcuIaNo
母親が有名。

必ず敵がいる。

優れた弟子がいた。

奇跡を起こした伝説がある。

後光がさしている。

裸足のイメージ。

29 名前:名無しさん@3周年:05/02/01 15:10:37 ID:9CNQRatR
イエスはインドでヨガと仏教を学んでイスラエルに帰り
当時の民衆に分かり易い表現で伝えた。


30 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/02 21:35:51 ID:sDCF2hzT
(18)死者の供養が信仰の行いとして大切なことではない
〜お前たちは修行完成者の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せ
よ〜(大パリニッパーナ経)
〜人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって〜(スッ
タ二パータ)

〜わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい〜(イエス)

  死者を葬ることや、遺骨を供養することが大切であるとは言ってはいないようだ。葬儀や法要は
  形式的なもの。供養料が多くても、少なくても、また遺族が供養しようとしまいと死者の霊には
  影響ないだろう。〜かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ〜と思うこと。
  

31 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/05 13:50:16 ID:B9OJEW7H
(19)神々に供犠しても何もならない
〜この世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだ
わって、犠牲を捧げたのである〜(スッタニパータ)

                                                〜多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。
万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する〜(新約聖書)

  多くの神があるようではあるが、その神に供え物をしてはならない。神々がいたとしても、人間の供
  え物など必要はない。供え物をし、自らによきはからいを求めても、その人の心は清浄とはならない。
  神々は、われわれと同じ唯一の世界と神を喜び、善き者となって人を友としたいわけだ。
  
                                                (20)供犠に専念している者どもは
〜かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでい
るのである〜(スッタニパータ)

〜偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである〜(新約聖書)

  自分より力のありそうな者に、供え物をして大きなはからいを期待する。その人の心は汚れている。
  神々を信仰することにより、人は不浄となる。
  
  

32 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/05 13:51:27 ID:B9OJEW7H
(21)友
〜[他の神は、尊師のもとで、ひとり喜んでこのように語った―友よ。与えるというのは、善いことだ。
たとい乏しき中からでも、与えるというのは、善いことだ。信仰をもってわかち与えるということも、善
いことだ〜(サンユッタ二カーヤT)

〜あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である〜(イエス)

  罪なき世界の存在は、困る者もなく、苦しむ者もなく、全てが幸福に満ち安穏であり安楽である世
  界を喜んでいる。「わが物」という物質的な愛着もなく、敵意も憎しみもない世界を喜んでいる。
  一切人を責めることなく、無限のゆるしの世界を喜んでいる。情欲をいだくことなく、誓うことな
  く、手向かう意欲すらなく、正しい正しくない、善い悪いの判断も存在せず神とともに喜んでいる。
  何を食べようか、どこで寝ようか、何を着ようかといって思い煩うことも一切なく、明日のことを
  思い煩うこともなく、罪なき世界の存在は永遠の命の国で神とともに喜んでいる。
  
  「わが物」という愛着も、敵意も、何を食べようか、明日のことを思い煩うことも悪しき者に従っ
  てから生まれたもの。人の意識活動そのものが悪しき者に従って生まれたものだから。人は彼岸の
  境地から離れ苦しむようになった。
  
  ―諸々のつくられた事物は、すべて無常である。それらの静まるのが、安楽である―[諸行無常]
  ―一切の形成されたものは苦しみである―[一切皆苦]
  ―一切の事物は我ならざるものである―[諸法非我]
  
  イエスもブッダも永遠に続く我の姿は何か、永遠の命の国で共に喜び友となる姿は何かを教えてい
  る。
  人間のこの現在の心は無常であり、死とともに滅びる。しかし、言葉を受け入れる者は永遠の命を
  も受け入れる。

33 名前:のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/05 14:20:35 ID:8oj1f0AR
>>29について、参考サイトありますか?

34 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 15:30:23 ID:9xlMsxl6
イエスの本当の理解は東洋によってなされる。

35 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 15:34:13 ID:pANhBNXo
数多くの歴史学者が言っているがキリスト教の教義や聖書解釈は、
かなり仏教の影響を受けている。

36 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 15:38:34 ID:9xlMsxl6
三位一体なんてのは、大乗仏教の「自他の区別がない」「空」
の特殊なものにすぎない。

37 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 15:47:21 ID:9xlMsxl6
大乗仏教の「自他の区別がない」「空」 は普遍的
なものと考えられている(観念的な普遍ではないが)。

しかし、キリスト教の三位一体は、組織のために
異なる意見の者を弾圧するという、汚らわしい目的
のために利用された。

38 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 15:53:23 ID:9xlMsxl6
共通点:宇宙大になるほどに二人は大きいものとして信仰
の対象となった。

仏陀を宇宙生命とする信仰(密教)
万物はイエス=キリストで成り立っているとする信仰(ヨハネの福音書)

39 名前:のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/05 15:59:41 ID:8oj1f0AR
>>38
仏陀を宇宙生命とする信仰(密教)について、参考サイトありませんか?

40 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 16:14:20 ID:9xlMsxl6


京都に行ったときに知った時に知った。参考サイト
はよくわからない。

密教では宇宙仏は大日如来といわれるから、それを
キーワードにして検索してみたらどうかな。また
それをあらわしたのが曼荼羅。

41 名前:のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/05 16:16:17 ID:8oj1f0AR
>>40
ありがとう、参考にします。

42 名前:名無しさん@3周年:05/02/05 16:58:43 ID:J/YduwZ/
共通点は「孤独」かな、他の宗教の開祖も同じ
彼らを理解できた人なんて一人も居ないんじゃないの?
ただくっ付いていただけ

43 名前:のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/05 17:14:16 ID:8oj1f0AR
>>42
それって、宗教だけでなく、先を歩む人すべてかな。

44 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/05 22:29:30 ID:Xs/+j4kW
(22)■■■仏教の目的とイエス■■■
〜a)究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである〜b)一切の
生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るよ
うに、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし〜c)
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜(スッタニパータ)

 a)生きながら彼岸に到達し、幸福であること、安穏であること、安楽であること、平安であることに
  ただ喜ぶ境地を得とくする。
 b)この世では、一切の生きとし生けるものに対して、幸福であること、安穏であること、安楽である
  こと、平安であることを望むような心となる。
 c)彼岸では善悪の識別はなく、全てに対して慈しむような境地の世界であり、怨みも敵意もない―こ
  の世でそれを行え。
  
〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない〜



45 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/05 22:30:26 ID:Xs/+j4kW
その世界を人に修行させることなく、多くの人々に近い状態で得とくさせようとするのがイエス。
―盲人は見え、足なえは歩き、多くの病苦に苦しんでいる人々を神のわざで癒されたイエス・キリスト
―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト

 ■永遠の命の国では、神が全ての存在を病苦に苦しむこともなく、困ることもなく、貧しくもなく全
  てを公平に幸福にされるのである。(特別信仰はない人も、成仏世界を想定する多くの人は全てが
  幸福になると想像するのではないか。偶像礼拝をする人々が、不自然なものを拝んでいる)
  
 *死んだら全てが幸福になるというのではなく、そのようにされる神と神の国をまこととして生前に
  受け入れる心が永遠の命に至るのである。罪なき永遠の命の存在は、慈悲深くあわれんで病む者も
  なく、困る者もない国をただまこととしている。そのようにされる慈悲深い神をまこととしている。
  
〜みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように〜全ての人々が、イエス・キリストをあが
め、この地上も困る人、苦しむ人、貧しい人がいないように、一切の人々が天のように愛に満ち幸福と
なりますように心を込めて祈ること―それが天に通じる人となる心の修行。    
 
 

46 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/06 13:29:25 ID:9yjsh/Jk
■■イエス・キリストは人々の救世主、ブッダは修行完成者■■
【この平安の境地に達してなすべきことは、一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安
楽であれ、一切の生きとし生けるものどもに対して、無量の慈しみの意を起こすべし―二度とこの地に
生まれることはない】それが仏教の目的である。

 一切の所有物を捨て、神が創造された自然の中で煩悩を捨て去る修行をするブッダと修行僧。
 この上なき最上の喜びの境地(ニルヴァーナ)に到達し、@一切の形成されたものは苦しみである
 A諸々のつくられた事物は無常である、それらが静まるのが安楽であるB一切の事物は我ならざる
 ものであると知り、ただ彼岸の平安の境地で幸福であること、安穏であること、安楽であることに
 満足する永遠の命の我を得とくする。それは慈しみの境地であり、あわれみの境地でもある。
 
修行により、完全な境地を得て〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在
しない〜となり、罪過なき者となり永遠の命の世界に生まれる。                                                
                             

47 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/06 13:30:15 ID:9yjsh/Jk
(23)この身は泡沫のごとくである
〜この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものである〜(ダンマパダ)

〜あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え
行く霧にすぎない〜(新約聖書)

 自分という存在は、消え行く霧か、泡沫のごとくかげろうのようなはかない本性であると知ること。
 われらのこのような生存状態は永遠には続かない。体の全ては燃やされ、思考も消滅し、この世を
 思う心も消滅してしまう。地上を思うありとあらゆる心は消滅してしまうのである。偶像礼拝も神
 々を信じる心も消え去る自分の内の信仰であり、その自分が滅び去ると同時に滅び去る。
 
 だから何も思わないというのではなくて、決して滅びない本当の自分の心と共に生きること。
 

48 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/06 13:31:10 ID:9yjsh/Jk
■話し見ればわかるとしたイエス
〜「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」とはどういう意味か、学んできなさ
い〜(イエス)
 
 一切の所有物を捨て去り、自然の中で瞑想し、煩悩を滅ぼす修行をし、完全な境地を得とくするの
 ではなく、そのままの状態で―へやの中で祈れ―永遠の命に通じる人となることを教えたイエス。
 
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、多くの病苦に苦しむ人々を神のわざでいやされたイ
エス・キリスト―(わたしにつまずかない者は、さいわいである)
―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト― 

 罪なき永遠の命の世界は、困る者もなく、苦しむ者もなく、病む者もなく、富む者も貧しい者もな
 く、全てが平等に幸福であることを何よりもまこととしている。そのようにされる神と神の国を喜
 んでいる。イエスを善とすることはあっても、悪としてつまずいてはならない。
 
あわれみ深く、慈悲深い天の父(イエス)を主として、「みこころが天に行われるとおり、地にも行
われますよう」祈ること。そうすれば永遠の命の世界に通じる者となり、永遠の世界に生まれる。
 

49 名前:名無しさん@3周年:05/02/07 01:55:07 ID:HHm1Nbs8
ディオニソス?

50 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/08 20:15:59 ID:WPu9joVZ
ディオ二ソスは知らない。

―行いにより神に義とされようとすると、不義を生み出す

〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない〜
 一切の所有物を捨て、平安の境地を得とくするため修行する修行僧。だが、多くの人々には受け入
 れることができず、神々や菩薩と言われる存在を信じたり、偶像礼拝的なことをするようになって
 しまった。〜人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものだ」とさと
 ることなく、ブッダのことばを受け入れることができず、死者の供養が信仰の目的になってしまっ
 た。
 
行いにより義とされようとすれば、多くの人々は罪の自覚が生じるのみである。そこで、人々はブッ
ダ本来の教えから離れて、偶像に供え物をし、われらのこのような生存状態が永遠に続くと錯覚し、
清浄になることをしなくなった。

51 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/08 20:16:50 ID:WPu9joVZ
偶像というものは、実際は世にはあってはならないこと。罪なき永遠の命の世界は、私たちのこのよ
ような意識活動もなく、イエス・キリストが神の栄光を現されたように、困る者もなく、苦しむ者も
なく、病む者もなく、全てが幸福になった世界をただまこととして喜ぶ世界が存在するのである。

まずは、義なる国と神は―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ人々を神のわ
ざでいやされたイエス・キリスト―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われ
たイエス・キリスト―と同質の存在であると信じることから永遠の命への道は始まるでしょう。

〜父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった〜(ヨハネによる福音書)
だから、イエスに従う人は人々から違和感なく善い人と思われるようになる。                

52 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/10 22:44:47 ID:e7aSyuXj
(24)長い祈りも呪文も汚れる
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている〜(サンユッタ二
カーヤU)

〜やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるで
あろう〜(イエス)

  多くの呪文をやたらにつぶやいても、長い衣を着て歩き、宴会の上席を好んで、見えのために長
  い祈りをしても・・・・・・・・
  
 永遠の命の世界であり、汚れのない世界は―幸福であること、安穏であること、安楽であること、平
 安であることをただ喜びまこととしている。
 ―みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように―この地も、苦しむ人もなく、困る人も
 なく、争いもなく、全ての人々が幸福となり安楽となりますように祈る人は、霊とまことをもって祈
 り清浄となる。
     
    

53 名前:名無しさん@3周年:05/02/10 23:01:08 ID:98etbd81
仏教徒イエスという本もあるね。
大乗仏教の影響あったんじゃないか。
ちょうど大乗仏教の興起が紀元ややまえ。

54 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/11 11:52:33 ID:hr+9M8iG
〜わたしと父とは一つである〜(イエス)〜キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあるこ
とを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられ
た〜(新約聖書)
〜多くの神〜があるようではあるが、わたしたちには唯一の神のみがいますのである〜万物はこの神か
ら出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである〜しか
し、この知識をすべての人が持っているのではない〜(新約聖書)

ブッダと修行僧は修行をし、平安の境地に到達してその知識をその身に具える。
―この身は泡沫のごとく、かげろうのようなはかない本性―自己が自分のものではない―一切の事物は
我ならざるものである―思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり―

 【幸福であること、安穏であること、安楽であること、平安であることをただ喜ぶ平安の境地、霊の
 世界】
 
この世では、【一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ】と願う境地を
得とくすること。そして、神通力を身に具える。

55 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/11 11:53:26 ID:hr+9M8iG
〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない〜
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされた。
  多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―
 苦しむ者もなく、困る者もなく、病む者もなく、富む者貧しい者もなく、全てを幸福にされる神と
 神の国があって、人知ではとうてい測り知れない神の平安があって、その世界をまこととするため
 に信仰がる。
 
罪なき永遠の命の世界は、このような私たちの思いはない。意識活動はない。思考さえ及ばぬ世界で
ある。悪魔の善悪により賢くなり、この人が神か、神ではないかなどと考えることも悪からきている。

 罪なき存在は永遠の命の国で、無量の慈しみの霊と融合して、苦しむ者もなく、困る者もなく、病
 む者もなく、全てを幸福にされる神と神の国をただまこととしている。
 
特別信仰のない人も、天国あるいは成仏世界を想定するなら、全てが幸福であり、不幸のない世界と
考える人が多いだろう。偶像を拝みまこととする人々、神々を信仰する人々が、永遠の命の世界に反
する。 


56 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/11 12:29:12 ID:gDR9ZN8+
―永遠の命の国への命令―

■〜この平安の境地に達してなすべきことは〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であ
れ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるもの
どもに対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈
しみを行うべし〜この状態を崇高な境地と呼ぶ〜諸々の邪まな見解にとらわれず〜諸々の欲望に関す
る貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう〜■(スッタニパータ)


(25)敵意もなく人を慈しめ
〜障害なく怨みなく敵意なき慈しむを行うべし〜(スッタニパータ)

〜敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜(イエス)

  敵意なく、憎しみなく、怨むことがない、永遠の命の世界に基づき、この世でも敵意、憎しみ、
  怨みをもってはならない。

57 名前:名無しさん@3周年:05/02/11 19:11:38 ID:K7bXL1zN
イエス様のみ言葉、「求めなさい。そうすれば与えられるでしょう」
に相当する、仏陀様のお言葉を教えて下さい。

58 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/11 23:08:42 ID:lsxD0egh
修行僧は求法者として、悟りを目指した。
(26)捜せ、そうすれば、見いだすであろう
〜七覚支―拓法。教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨てる〜
〜道理を語らない人々は、善い人々ではない〜(サンユッタ二カーヤU)彼岸の世界の教えも道理に
よって説明できる。なぜかわからないが信じて下さいという者は、別のなぜかわからないが信じてく
ださいという者と対立などを招き、論争となり平安の境地から離れる。〜真理は一つであって、第二
のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない〜複数の経典から、共通したものを選
びとり、また道理によって説明できる教えが真実なるものとして選びとる。
〜異論が起こったときには、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを反駁し得ないものとして説
くように〜(大パリニッバーナ)

〜捜せ、そうすれば、見いだすであろう〜(イエス)



59 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/11 23:09:29 ID:lsxD0egh
イエス・キリストは神とひとつになった。〜神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の
中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりになるで
あろう〜
 
  永遠の命の世界は、この上なき最上の喜びの境地(ニルヴァーナ)であり、妄執に従属しない
  者は、喜びの境地とともに、―山を海の中にはいれと言った―としてもそれはできるとして疑
  うことはない。
  
つまり、イエス・キリストの奇跡は真実であり、その奇跡により神を現した。

 天のものは、地から学ぶことなく、まこととすることもない。その理由ははるかに劣っているか
 らだ。滅びる肉体世界は、その人にとって一時的な世界である。その後完全消滅ではなく、天と
 地の差ほど違う勝れた世界が存在するから。そして信仰があり、その世界を受け入れた人がその
 世界に違う存在となって生まれ変わる。    
                          

60 名前:57:05/02/11 23:39:05 ID:TVR8NRop
>>58
有難うございました。

>>59 つまり、イエス・キリストの奇跡は真実であり…。

イエス・キリストの奇跡はインチキだ、と言っているサイトもありますが。
http://www.geocities.jp/hiteiron/page007.html

61 名前:名無しさん@3周年:05/02/11 23:55:02 ID:JS8MUNmw
仏陀の微笑み byフレッチャー・ヘンダースン

62 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/12 13:21:58 ID:sp4ojlSk
〜父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう〜(イエス)
〜真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない〜(ブッ
ダ)

(27)不思議な力
―超自然的な神通力を得るための四種の基―ブッダも、不思議な力で正覚者であることを示した。
〜その乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙を立て
た〜(スッタニパータ)しかし、「この平安の境地に達してなすべきこと―慈悲」とあるように、慈
悲が不思議な力より大切なこと。人は神通力を得ても慈悲がなければ何もならない。

〜もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、
移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう〜(イエス)

 この上なき最上の喜びの境地とともに、イエスの言葉が真実であると体験してイエスを信じた。
 
   

63 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/12 13:23:12 ID:sp4ojlSk
(28)喜び
―この上なき最上の喜びの境地(ニルヴァーナ)―

〜主にあっていつも喜びなさい。繰り返し言うが、喜びなさい〜何事も思い煩ってはならない〜人知
ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを〜(新約聖書)

 天上のことを地上で行えということである。
 
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ人々を神のわざでいやされたイエス・
 キリスト―
 全てを幸福にされる父の世界が本当にあり、天の存在は父と心と思いとがひとつになり霊的に一致
 し、全てが幸福になった世界を喜んでいる。この地上の思い煩いは一切なく(地上は一切皆苦であ
 る)人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安と喜びに満ちている。そして、天の存在は、
 ―この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう―という言葉が真実である
 と知っているのです。

64 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/12 13:24:26 ID:sp4ojlSk
(29)人は悪いものに従った
〜世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一切の
ものが従属した〜(サンユッタ二カーヤT)

〜全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている〜(新約聖書)

 悪い者に従って、このような人間の心と思いが生まれ、地のものをまこととするようになった。
 人は悪い者に従わなかったら、苦しむ者もなく、困る者もなく、病む者もなく、富む者も貧しい
 者もなく全てを幸福にされる天の父を、至上の喜びとともに無量の慈しみの境地を得て、常にま
 こととしている。そして、何でもできる父と霊的に融合している。
 
―みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように―と困る者もなく、苦しむ者もなく、病
む者もなく、この地上も皆幸福となりますようにと祈る人は、霊の世界に通じ、何でもできる神の近
くに心を赴かせている。 
 

65 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/13 11:55:05 ID:GaEHtJTv
―永遠の命の国への命令―

■〜この平安の境地に達してなすべきことは〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であ
れ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるもの
どもに対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈
しみを行うべし〜この状態を崇高な境地と呼ぶ〜諸々の邪まな見解にとらわれず〜諸々の欲望に関す
る貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう〜■(スッタニパータ)


(30)善悪など考慮せず、全てに対し慈しみの心づかいをしっかりとたもて
〜上に、下に、また横に〜慈しみの心づかいをしっかりとたもて〜この世では、この状態を崇高な境
地と呼ぶ〜(スッタニパータ)

〜天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨
を降らして下さるからである〜あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者
となりなさい〜いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父
なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ〜(イエス)

            

66 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/13 11:56:16 ID:GaEHtJTv
人は世の初め、へびの「神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。」とい
う言葉に騙され、「賢くなるのは好ましいと思われたから」善悪を知る者となり、永遠の命を失った。

サビヤはブッダに対し、「あなたは覚った人です、あなたは師です。あなたは悪魔の征服者です〜麗
しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されません、雄々しき人よ」と言っ
て師を礼拝した。

 人が人に対する善悪の判断や断定、良い悪いの思い、良いようだから好む、悪いようだから好まな
 いなどによって永遠の命の国には入れない。天国では、全てを愛さなければならないから、その肉
 の思いのある者は肉となって生まれる。
 自分を愛してくれる者を良いとして愛したからとて、自分によくしてくれる者を良いとしてよくし
 たとて、罪人でさえ行い、まだ天国の思いに到達してはいない。「妻が従順で、貪ることがない、
 わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。」といって妻を善いと
 評価しても、煩悩のままである。
 
非我なるものを我として、人を永遠の命の国にはない善悪の思いで見てしまっている。永遠に生きる
自己とは、全てに幸福であること、安穏であること、安楽であることを願い慈しむ自己である。 
 

67 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/13 14:11:07 ID:nmFWsCSL
(31)わが物として執着しないこと
〜人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ〜(スッタニパータ)

〜返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返し
てもらおうとして、仲間に貸すのである〜人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜
(イエス)

  永遠の命は、物への執着する拠りどころもなく安楽である。執着する拠りどころを全て捨てて、
  神が創造された自然の中で瞑想をするブッダの修行僧。
  
  しかし、多くの人々はそのままの状況で、自分の持ち物を持った状態で、貸してほしいと自分
  の持ち物を借りに来る人に与えること。
  

68 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/13 14:11:55 ID:nmFWsCSL
〜心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、その轟き
を発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ〜(サンユッタ二カーヤT)

〜与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまで
に量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるだろう〜(イエス)


69 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/13 20:43:32 ID:JaVnLk70
(32)命を賭けるような愛
〜あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものに対し
ても、無量の慈しみのこころを起こすべし〜(スッタニパータ)

〜人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない〜(イエス)

  母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみ。人は自分を愛するどころか、自分の欲望を愛
  し、永遠の命の国に入れない。この世を望む者は、この世の者として生まれ、苛酷なることなく、
  貪欲なることなく、万物に対して平等な生存の輪廻に堕ちる。
  

70 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/13 23:00:22 ID:bmbXDal2
〜父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった〜(ヨハネによる福音書)

 〜「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を
 行う者だけが、はいるのである〜(イエス)
 
 万物そのものがイエス・キリストの配下になったのだから、「主よ」「主よ」と言わず、御言を
 行えと思ってもよいでしょう。そして御言を行うことにより、多くの人々が行う人を見て違和感
 なく善い人だと思うと想定される。
  
  

71 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/16 19:24:58 ID:IZkXmqBa
(33)世界の終極
〜歩行したからとて、いつになっても世界の終局に達することはできない。世界の終極に達しないで、
苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修め
た人は、世界の終極に至る人となるであろう。かれは、悪を静めて、世界の終極を知り、この世もか
の世も望まない〜(サンユッタ二カーヤT)

 「終わりの日を見るであろう」といつかは終わりの日が来るかもしれない。―地上のものに心引か
 れることなく、幸福であること、安穏であること、安楽であることをただ喜ぶ平安の境地―の世界
 がいつかは訪れるかもしれない。
 
〜わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終わりの日によみがえらせることであ
る。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そ
して、わたしはその人を終わりの日によみがえらせるであろう〜(イエス)

                             

72 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/16 19:27:42 ID:IZkXmqBa
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされたイ
エス・キリスト―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリス
ト―
 
 おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられたイエス・キリスト。御子を否定する
 者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。困る者、苦しむ者、病む者、富
 む者、貧しい者のない世界がいつかは来る。
 
 キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるので
 ある―と。この世の権威と権力を誇っている者を低くされ、支配する者も支配される者もない公平
 な世界が訪れるのだろう。

73 名前:名無しさん@3周年:05/02/16 19:53:21 ID:AAmareBN
己の中に答えを見出した。



74 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/17 20:28:33 ID:rSrRL7vU
(34)月も照らさず、太陽も輝かない
〜水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ―、そこには白い光も輝かず、暗黒も存在しない。
そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地についての自己の沈黙をみずから知るがま
まに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する〜(ヴダーナヴァルガ)

〜その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体
は揺り動かされるであろう〜(イエス)

 〜万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する〜万物が神に従う時には、御子自身もま
 た、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなら
 れるためである〜神は霊であるから
 
 この地上は消え、困る者、苦しむ者、病む者、富む者、貧しい者のない霊の世界になる。そしてそ
 れに従わねばその世界に永遠に入れないだろうし、入れば人知ではとうてい測り知ることのできな
 い神の平安と、永遠の安穏と安楽と幸福に満ちた安らぎの世界が来るだろう。
 
 

75 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/18 19:59:03 ID:4K3tbBhb
(35)神の国は今ただ中にある
〜この世もかの世も望まない〜(サンユッタ二カーヤT)

 善である永遠の命の世界は、この世もかの世も望まない。
 この上なき最上の喜びの境地を得て、幸福であること、安穏であること、安楽であることをただ喜
 ぶその平安の境地の世界は、この世では一切の生きとし生けるものに対しても、幸福であること、
 安穏であること、安楽であることを切に願う。
 困っている者、苦しんでいる者、悩んでいる者に対しても、安穏であること、安楽であることを切
 に願う。
 ―一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―
 

76 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/18 20:00:18 ID:4K3tbBhb
〜神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので〜「神の国は、見られるかたちで来るのではな
い。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのた
だ中にあるのだ。」〜(イエス)

 「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」困る者、苦しむ者がないように、す
 べての人々が幸福となりますようにと祈り求める心は神に従っている。
 永遠の命の国のように、自分の持ち物という愛着はなく、何も当てにしないで貸してやり、親切に
 したり、人によくしてやって喜ぶことも神の国に入っている。永遠の命の国のように、敵対するこ
 とも憎むこともなく平安な心であるなら神の国に入っている。何を食べようか、何を着ようか、あ
 すのことも思い煩うことがないなら神の国に入っている。永遠の命の国のように、人を責めること
 なく、人々のあやまちをゆるすなら神の国に入っている。
 
いつ来るのかと待っていては、その人の心の中に神の国はいつまでたっても来ない。その人の心の中
に神の国が来ないならば、いつまでたっても神の国に入れない。                   
       

77 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/18 20:19:53 ID:bEHelS+d
(36)内なるもの
〜修行僧は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取
り上げられるものは存在しない〜(スッタニパータ)

〜神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほど愛しておられる〜(新約聖書)                              

78 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/19 10:43:19 ID:0Qvt5dT8
〜苛酷なることなく、貪欲なることなく〜万物に対して平等である〜(ブッダ)
〜律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている〜(イエス)

〜善をなすのを急げ〜善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ〜

〜まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したとき
には、悪人でもわざわいに遇う〜
〜まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟した
ときには、善人は幸福に遇う〜(ダンマパダ)

〜善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受ける
ためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう〜(イエス)



79 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/19 10:44:13 ID:0Qvt5dT8
 苛酷なることなく、貪欲なることなく、万物に対して平等である。公平である。―を行え。
そして、それは永遠を司る神に通じるものであるとするならば、世の終わりに行われるだろう。
悪の報いと善の報いを受ける時、そして、さらに神が行われること―盲人は見え、足なえは歩き・・
・・・多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―困る
者も、苦しむ者も、病む者も、富む者も貧しい者もないようにされる神―をまこととして信じる人
は、そのまこととする国に入り、永遠に生きながらえる。

 〜善悪業を超越した人〜煩悩を全て滅ぼし尽くし、世間から離れて、生きながら彼岸に至ったブ
 ッダは、悪事をたのしむ心はない。善をなすことを急がなくてもよい。
 
しかし、世間(人々)の中に住み、煩悩を全て滅ぼすのに至ってない私たちには、人に苛酷を強い
ることのないように、戒めの言葉が必要である。その言葉に従ってさばきを受けない人となる。   

 人に苛酷を強いることがないならば、さばきを受けないだろう。 

80 名前:素朴なことば:05/02/19 10:45:45 ID:szqPvNjn
     生まれつき、神様を信じてる人は誰もいません。


     ある時、ア〜、守られてたんだ。と気がつくだけです。


     ただ、それだけです。




81 名前:名無しさん@3周年:05/02/19 11:31:29 ID:J7c1GZps
あー 洗脳されてたんだぁと早く気付いて!

82 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/20 12:02:18 ID:zOqCV8k2
〜父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった〜(ヨハネによる福音書)
  だから、イエスを知らなくても、自然のままで人の良心が御言を善として既に受け入れている
  可能性はある。
〜律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくて
も、彼らにとっては自分自身が律法なのである〜(新約聖書)

 ■無神論者・永遠の命はないとする人でさえ、イエスの配下にある―
  人が死ねば、病む人、困る人、苦しむ人、富む人貧しい人がなくなると考え、人の手で作られ
  た偶像というものは存在しないこと、神々に供え物をしても何もならないと考える人。
  「神よ、わたしははほかの人たちのように貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、
  この取税人のような人間でもないことを感謝します。」などと祈らない。誓うこともない。「主
  よ、主よ」などと言わない。長々と呪文を唱えたり、祈ることもない。
  

83 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/20 12:03:03 ID:zOqCV8k2
 ■人に苛酷を与えることが悪いと感じる人、できれば人に親切にすることが善いと思う人―
  人々からしてほしいこと望むことを、人々に命令するだけで何も与えないことは悪いと感じる
  人。人を憎んだりすることが、本当は好ましくないと思っている人。人によくしてやったり、自
  分の持ち物を何も当てにしないで貸してやることが、返せない人に対し、返せと責め立てるより、
  良いと感じる人。人を苦しめることがないのに、その人を罪に定めることが悪いことであると思
  う人。人のあやまちをゆるしてあげることが、人のあやまちを責め立てるより良いと感じる人。
  病苦に苦しみ働くこともできず、飢えている人が玄関の前に来た。自ら毎日ぜいたくに遊び暮ら
  しているのに、その人に食物を与えようとしないことは悪いことだと感じる人。傷を負い、死に
  かけている人を病院に連れて行き、費用まで出してあげることが慈悲深い行いだと思う人。
  
 ■長々と祈るより、自分を愛するように隣人を愛することを戒めにしたほうが、世の中は幸せにな
  ると感じる人― 

84 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/20 12:03:56 ID:zOqCV8k2
〜だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪
欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである〜しかし今は、これ
らいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいな
さい〜

  偶像礼拝や神々に供え物をして、このような生存状態を希望し熱望しても、自らの利益を望ん
  で神々に供え物をしても、それらは貪欲な行いに他ならない。

85 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/21 20:41:11 ID:BSy0kFrr
(37)戒め
〜園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、―かれら
の功徳は、昼夜に増大する。それらの人々は、法に安住し、戒めを身に具えて、天におもむく〜
(サンユッタ二カーヤT)

〜「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」。これより大事ないましめは、ほかにない〜
(イエス)

  人々の幸福、安穏、安楽を心得て、快適な環境をつくろうと行為に及ぶならば、心が悪事を
  たのしむことなく、戒めを身に具えて天におもむく。自分の幸福を思うように、隣人の幸福
  を思うこと。
  
  自分を愛するように隣り人を愛す人が増え、それで人々が平安な暮らしができるとするなら、
  「父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった」から。

86 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/21 20:41:57 ID:BSy0kFrr
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。王族でも、
バラモンでも、庶民でも〜下水掃除人でも、精励してつとめ、熱心であり〜最高の清らかさに達す
る〜(サンユッタ二カーヤU)

〜見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう〜(イエス)

  偶像礼拝によって長い祈りをしても、多くの呪文をつぶやいても、神々に供え物をしてなん
  らかの利益を得ようとしても、人々が人々の幸福、安穏、安楽を心得て、快適な環境をつく
  ろうと行為に及ばないなら、人々の生活環境はよくならない。利益を得ようとしても、利益
  が得られない。
  
〜世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れで
ある〜(スッタニパータ)

87 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/21 22:49:58 ID:i7ELexR+
(38)不満を抱かない
〜何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言
者である〜(イエス)

  ブッダと修行僧は、園に植え、林に植え、橋を作り・・・・・そのような行為はしなかった。
  所有物を捨て、世間から離れて、何事か人々からしてほしいという欲求を極力捨てた。〜森に
  住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜
  
 〜かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから
 満足すべきである〜(スッタニパータ)神が創造された自然の中で、無所有で満足すること。
 

88 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/21 22:50:44 ID:i7ELexR+
何か人々からしてほしいという欲求(煩悩)があれば、人々にそれなりに施すこと。欲求もなく、
所有物を多く持とうとせず、全てに満足しているならよいでしょう。

〜何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ〜(新約聖
書)

 事ごとに感謝する人は、サタンのつけこむ隙を与えない。神が創造された自然の中で全てを満
 足する人は少ない。そのままの状態で罪をゆるされたイエス・キリストに感謝すること。

89 名前:名無しさん@3周年:05/02/21 23:52:00 ID:e4law96g
詐欺師つながり

90 名前:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :05/02/22 20:51:28 ID:QDXnDzdw
心は熱く燃えても、肉に閉じ込められ、五感を有する、つまりはこの世と縁起して存在する
我らの心(自我)とは弱いもの。

神よ、私の弱い心を、サタンの誘惑から守りたまえ。
そして我の心を、肉から解き放ち、我を導きたまえ。

>83
ハレルヤ。
このような心を持てるものは幸いだ。なぜなら、我らは元は「一」だからだ。
ならば、隣人を愛し、敵の為に祈り、他人に親切にするのは当たり前のことではないか。
このように観じても、敵を愛せず、自分しか愛せず、自分と違う価値観の持つ者(敵)、
自分に対して嫌なことをしてきた者に対して、憎しむ心はどこからくるのか、よく自分の心を
観察せよ。ならば、自然とサタンとは何者か、サタンの正体が観えよう。

神よ、我をサタンの試みから守りたまえ。
そして我を導きたまえ。



91 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/22 21:52:30 ID:pqakdWJN
〜仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこ
のような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである〜(スッタニパータ)

 しかし、罪なき永遠の命の世界は、―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦し
 む人々を神のわざでいやされた―苦しむ者もなく、困る者もなく、病む者もなく全てが幸福で
 あることにただ喜んでいる世界。―幸福であること、安穏であること、安楽であること―をた
 だ喜んでいる世界。そのような心で一つ。そのような状態を希望すること。
                                     

92 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/22 22:26:19 ID:Obx9TWVw
罪なき永遠の命の世界は、欲求も不満もなく喜びに満ちている。欲求は悪い者に従って得たもの。

〜世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一
切のものが従属した〜(サンユッタ二カーヤT)

 不満を抱かず感謝をする人は、悩みは少ないだろう。事ごとに感謝をもって祈りと願いとを
 ささげる人は、サタンのつけこむ隙を与えない。

93 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/23 22:39:39 ID:74kQ2Ep8
(39)悩み
〜世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一
切のものが従属した〜(サンユッタ二カーヤT)

〜全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている〜(新約聖書)
〜わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇
気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている〜(イエス)               

94 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/24 21:48:34 ID:9QMH/vAx
(40)くよくよと思いめぐらすことなく、何事も思い煩うな
〜死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐら
すことがないならば、かれは未来に関しても特に思いわずらうことがない〜(スッタニパータ)

〜何事も思い煩ってはならない〜(新約聖書)

 悪しき者の配下に入り、このような意識活動を得て、この世でなやみを持つ存在となった人間。
 自分の欲求に悩んで生きることは愚かなことだろうが、〜悩まそうとして〜互いに他人に苦痛
 を与えること〜は悪である。 

95 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 00:03:30 ID:SMCg8HbM
(41)足ることを知る
〜この平安の境地に達してなすべきことは〜足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、
生活もまた簡素であり〜(スッタニパータ)
                                               
〜わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行
く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである〜(新約聖書)


96 名前:名無しさん@3周年:05/02/26 05:05:06 ID:pHGiWbnZ
イエスと仏陀はもちろん似ている所があるが
より似ている人物を挙げるなら、それは「一休さん」です

・破天荒な活動
・身分の卑しいものからも人望がある
・血筋が王族
・トンチが効いている
・心情的に孤高
・世俗権力に試される

これらは仏陀との共通点でもありますが、
イエスと一休さんには他者には判らない上位者との
交信を頻繁に行う点が特筆すべきでしょう

イエスは「父よ」
一休さんは「ヤハウエ様お元気ですか?」
と謎の上位者に呼びかけます

他者から見るとそれがなんであるか良く判りません
しかし、呼び名が違うからと言ってそれらが全く別の存在だと言い切れる
でしょうか?両者ともそれが親のようなニュアンスで交信しますが
ひょっとすると同じ存在だったのかもしれません

97 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 09:53:23 ID:eLPpmg0M
この身体は朽ち、人間のこのような心も死とともに滅びる。
〜この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものである〜(ダンマパダ)
〜あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消
え行く霧にすぎない〜(新約聖書)

(42)過ぎ去るものは虚妄
〜世間における一切のものは虚妄である〜過ぎ去るものは虚妄なるものであるから〜(スッタニパー
タ)
〜世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜(ダンマパダ)

〜この世の有様は過ぎ去るからである〜(新約聖書)

98 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 09:54:07 ID:eLPpmg0M
〜見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう〜(イエス)
〜多くの呪文をやたらにつぶやいても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている〜(サンユッタ二カ
ーヤU)

  呪文のように長々とお経を唱えても、永遠の命の世界に生まれることはない。それらは、この世
  だけで終わることであって、滅び去るもの。死とともに滅び去ることをまこととすることにより
  より汚れ、死後は闇の中でさまよう霊となるかもしれない。
               

99 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 10:45:41 ID:vzIZ9Vq7
■■■
永遠の命の世界は、このような生存者の思いは一切なく、平安の境地の世界で、その境地に【幸福で
あり、安穏であり、安楽であり】平安であることに喜びに満ちた世界である。

この世ではその境地は― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―と
なり、困っているもの、苦しんでいるもの、病んでいるもの、様々な苦難に遭っている人に対し、安
穏であること、安楽であること、幸福になるよう願う思いとなる。

  〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない〜



100 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 10:47:38 ID:JkHwK86m
■■■  
修行ではなく、その世界を見えるように現したのがイエス・キリストである。
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、さまざまの病苦に苦しむ多くの人々を神のわざで
いやされた―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われた―イエス・キリスト
  〜わたしにつまずかない者は、さいわいである〜

罪なき永遠の命の存在は、病もなく苦難に遭うこともなく、困ることもなく、富む者も貧しい者も
なく、皆平等に幸福にされる天の父とその世界をまこととし、喜んでいる。地上で神を現されたイエ
ス・キリストをまこととする人は、罪なき永遠の命の世界をまこととしている。

 「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」とこの地上も困る者も、苦しむ
 者も、病む者もなく全ての人々が幸福となりますように、平安となりますように、と祈り求める
 者は、罪なき永遠の命の世界に通じ、清められる。  

101 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 14:34:07 ID:vqTutrYk
(43)自分の所得だけで満足する
〜自分の所得だけで満足する者となろう〜(正しい教えの白蓮)

〜金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい〜(新約聖書)

102 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 20:14:10 ID:eK73cyLP
(44)怠惰は悪
〜苛酷なることなく、貪欲なることなく〜万物に対して平等である〜
〜世間は貪りと怠惰ゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである〜(スッタニパータ)

〜園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、―かれら
の功徳は、昼夜に常に増大する。それらの人々は、法に安住し、戒めを身に具えて、天におもむく
〜(サンユッタ二カーヤT)

〜「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。ところが、聞くところ
によると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで〜(新約聖書)


103 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 20:14:58 ID:eK73cyLP
(45)身分に関係なく良いことを行えば
健康なのに働かないで、金銭だけ欲して優雅な生活を送ろうとする。自分だけはよいだろうと思う
ことなく、自分の利益のみを念頭に置くことなく、人々は幸福と自分の利になるものを与えられる
ことを望んでいるから、その望みにかなった行いをしてあげること。

〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく〜人にではな
く主に仕えるように、快く仕えなさい〜だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、そ
れに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう〜(新約聖書)

〜多くの呪文をやたらにつぶやいても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。王族でも、バラ
モンでも、庶民でも〜下水掃除人でも、精励してつとめ、熱心であり、つねにしっかりと勇ましく
行動する人は、最高の清らかさに達する〜(サンユッタ二カーヤU)


104 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/26 20:15:44 ID:eK73cyLP
□怠け者の功徳
〜悪魔ナムチは〜「あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこ
そ、多くの功徳を積むことができる。」〜かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は
次のように告げた。―「怠け者の親族よ。悪しき者よ。汝は世間の善業を求めてここに来たのだが、
わたくしにはその世間の善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語
るがよい〜(スッタニパータ)

 〜園に植え、林に植え、橋を作り〜人々の幸福と安穏と安楽と快適な暮らしを提供しようとす
 る人々の功徳は増大する。しかし、神々や偶像に供え物をささげたりして功徳を積もうとする
 者は、怠け者の親族。

105 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/27 11:58:24 ID:az75XFYm
■悪魔■
〜悪魔はイエスを高い所へ連れて行き〜「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげまし
ょう。」〜

 全ての人々は、悪しき者に従った。自分の権威と栄光と栄華と繁栄と豊かさを常に追い求める心
 (野望の妄執)に従った。人々を意のままに従え、自分の欲求を追い求める心に従うのは悪魔に
 従っている。

悪魔は、義なる国を思わないようにさせ、偶像礼拝によって人々のかの世の利得と、現世の利得を
求めさせようとしている。

106 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/02/27 11:59:31 ID:az75XFYm
■神の栄光と恐れと懺悔と感謝により全ての人は義とされる■
永遠の命の国で全てを幸福にされる神とその国を義とすること。

悪い者に従いこのような人間の地をまこととするに至った神への恐れと、悪い者に従った罪の懺悔と、
現状のままで生きることをゆるされた神への感謝によって、人は義とされる。

 人が義とされるのは偶像ではなく永遠の命の国であり、そこは悪魔の支配がなく地上の欲求も存
 在しない国。悪い者に従いこのような人間の意識活動を得たが、現状のままで生きることをゆる
 され、義なる国に習い、人々を幸福にしたり、安穏にしたり、安楽にしたり、人の欲求に仕え、
 その人を喜ばしたりして、身に悪事を行わず戒めを保ち天におもむく。

107 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/01 19:53:43 ID:4vkwTXzn
(46)自分を偉いものだと思うな、他人を軽蔑するな
〜またその九つの孔からは、つねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、鼻からは
鼻汁〜このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれ
は見る視力が無い〜(スッタニパータ)

〜自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して〜おおよそ、自分を高くする者は低
くされ、自分を低くする者は高くされるであろう〜(イエス)

 〜あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり〜かしらになりたいと思う者は、
 すべての人の僕とならねばならない〜(イエス)

自分が偉いとして、権威を誇ろうとしている者。人々の幸福や安穏、安楽や平安のために仕え、人
々ために役立つ行いを常日頃から、自分で地道に行う人となればよいでしょう。人が人々を自分の
意のまま制圧してはならない。

108 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/01 20:33:19 ID:StJ3RW8w
四つのことを心に思い浮かべる修行【四念処】
 
 @この身は不浄である
 A感受するものは苦である
 B心は無常である
 Cすべての事物は非我である


109 名前:名無しさん@3周年:05/03/02 01:42:11 ID:SO4vzTH6
イエスは中途半端な真理しか見出せなかったから、途中で死んだ。
仏陀は完全な真理を見出したから、人生で成功しかなかった。
終了。


110 名前:名無しさん@3周年:05/03/02 12:12:34 ID:89cfGVBB
イエスもアホなら、ブッダもアホ、マホメットもアホ
八っつあん アホなら、この三人です

111 名前:109:05/03/02 12:20:27 ID:VkSYMsh5
>>110
あんた正解!
あいつらはみんなアホです。
真理を見出そうなんてアホ!
世を救うなんてアホ!
自分のために生きるのが人間です。
だから奴らは人間としてはアホなのです。

112 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/02 19:05:35 ID:1cwWbIsQ
人間は悪い者に従い、まこととされる人間はいない。
罪なき永遠の命の国は、困る者も苦しむ者も病む者もなく全てを幸福にされる神をただまこととしてい
る。聖者を軽蔑する者は、その人が既に永遠の命を拒否している。それは個人的な考えによるもので影
響は少ない。

しかし、問題は偶像礼拝だろう。
〜だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲
は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである〜(新約聖書)
〜偶像なるものは実際は世に存在しないこと〜世に存在するはずのない偶像礼拝によって、人は永遠の
命から遠ざかる。


113 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/03 20:30:23 ID:IxrgQpI2
永遠の命は存在しないという人でも、人を苦しめることなく、人々に迷惑をかけることなく働こうとす
る人は、死んだら困る人も、苦しむ人も、富む人も貧しい人もないとすることと、決して人の手で作ら
れた偶像が存在すると言わないため、永遠の命がないままである。

特別な信仰を持たず、しかし、永遠の命があると信じる人は、天国は善いところで困る人も苦しむ人も
病む人も、富む人も貧しい人もないだろうとする人が多いのではないか。無の世界であり、そこで霊と
して安穏に安らいでいるという人が多いのではないか。人の手で作られた偶像が天国にありますと言う
人は悪魔に騙され、永遠の命の国より別のものを信じさせられている。

その善いところを善いとして地上で受け入れ、それに向かって努力しようとする。人に親切にしたり、
人を憎まないよう、敵意を抱かないよう努力する。人のあやまちをゆすしたりする・・・・・など、
偶像礼拝によって、長々と意味も把握せず祈り、徳になることだと思わされるより、間違いのない言
葉を受け入れようと信仰したほうが永遠の命に近づく。


114 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/05 20:59:44 ID:H3tRLnzt
〜あなたは覚った人です〜あなたは悪魔の征服者です〜あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みず
から彼岸に渡りおわり、またこの人々を渡すのです〜麗しい百蓮華が泥水に染まらないように、あなた
は善悪の両者に汚されません〜(スッタニパータ)

〜へびは女に言った、「神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がそ
の木を見ると〜賢くなるには好ましいと思われたから〜(創世記)

〜世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一切のも
のが従属した〜(サンユッタ二カーヤT) その世間から離れて妄執を滅ぼす修行をする修行僧。


115 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/05 21:00:32 ID:H3tRLnzt
〜蛇の毒が身体のすみずみにひろがるのを薬で制するように〜この世とかの世とをともに捨て去る〜
(スッタニパータ)
□神が創造された自然の中で修行するのが仏教
〜林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである〜(スッタニパータ)

〜日も盛りの時、鳥どもが枝にとまっているときに、大きな森が鳴りひびく、それは、わたしには楽し
みと思われる〜森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜(サンユッタ二カーヤT)

〜人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう〜(ダン
マパダ)

〜今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜(スッタニパータ)


116 名前:名無しの心子知らず:05/03/05 21:03:37 ID:uNzSr5kR
イエスでも何でも人を神とあがめる事自体
層化と同じ

117 名前:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :05/03/05 22:16:48 ID:TftiLR00
〜ヨハネの福音1.01〜1.04
>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
>この言は、初めに神と共にあった。
>万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
>言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

〜コリント3.16〜3.17
>あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
>神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。
>あなたがたはその神殿なのです。

人の「心」とは、神の分”霊”。
我々「人」の言語を司る遺伝子(DNA)は、神の遺伝子。

>116
父と子と聖霊と、御名において、アーメン。
三位一体とは?

霊=言
聖霊=神の言葉

イエスの言葉とは、神の言葉。
イエスの「心」は聖霊に満たされていた。
人の子を誹る者は許されても、聖霊を誹る者は決して許されない。

わかるかい?

118 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 10:16:36 ID:jwng69f+
(47)ブッダの楽しみと神の自然
〜林のほとりで楽しみ〜今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い〜(スッタニパータ)

〜「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け〜神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどら
せ〜(創世記)

 文化や文明から離れて、神が創造されたものを楽しみ満足する。悪いものに従う以前の状態で、人の手
 で作られたものがない世界。神は世の初めは、人になやみを持たせようとはしなかった。

この世とかの世と共に望む心を捨て、人のいない林で楽しみ、大いにみずから満足する。神が創造された
太陽の恵みを喜び、美しく晴れた朝に感動するような清々しい心で、悩みもこだわりも、恐れおののきも
ない。

119 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 10:18:09 ID:jwng69f+
悪魔ナムチの軍隊
 第一 欲望   第二 嫌悪   第三 飢渇   第四 妄執   第五 ものうさ 睡眠
 第六 恐怖   第七 疑惑   第八 みせかけと強情と誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と
 自己をほめたたえて他人を軽蔑すること

〜「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭
は七つに裂けてしまえ。」詐りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた。
かれのその呪詛のことばを聞いて、ヴァーバリは苦しみ悩んだ〜
〜(ゴータマ・ブッダは答えた)無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに
結びついて、頭を裂け落とさせるものである〜
〜世間は無明に覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世
間の大きな恐怖である〜(スッタニパータ)

120 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 10:19:12 ID:jwng69f+
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。王族でも、バラモ
ンでも、庶民でも〜下水掃除人でも、精励してつとめ、熱心であり、つねに勇ましく行動する人は、最高
の清らかさに達する〜(サンユッタ二カーヤU)

〜悪魔ナムチは〜ヴェーダ学生としても清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を
積むことができる〜
〜ブッダは次のことを告げた〜怠け者の親族よ、悪しき者よ〜悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語る
がよい〜(スッタニパータ)

 人はさまざまな恐怖におののき偶像に礼拝したり、長々と祈ったり、また自分の利得を願って偶像に
 供え物をする。それらにより、悪魔ナムチに殺される。

121 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 11:44:42 ID:C+PtCd6Y
神が創造された自然で満足するように、今現在に精神統一された状態であること。美しい太陽を見、美し
く晴れた朝に感動するように、いつも迷いなくこだわりなく、恐れおののきのない状態であること。
神は世の初めは、人の手で作られたものを人に喜びとして与えず、文化も文明も与えず、神が創造した自
然で満足するように望まれている。

善悪の両者に汚されず、煩悩の潜在的な可能力を断って、悪魔を征服し彼岸に渡り終わる。
 〜この世において死も生も存しない者、―かれは何を怖れよう、何を欲しよう〜(スッタニパータ)

〜牡牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたくしはもはや母胎に入
ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜(スッタニパータ)

 この世で自分の持ち物がないからといって、人々の作った物を占有しようとして金銭を欲し、自分の
 栄華や権威を追い求める心のまま生きることは、悪魔に従っている。神は神が創造した自然で満足す
 るように望まれている。 

122 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 12:25:12 ID:wIu4RUie
(48)生き物を治めること
〜この平安の境地に達してなすべきことは〜いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なも
のでも〜大きなものでも、中くらいなものでも、短いものでも〜これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ〜(スッタニパータ)

〜われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべ
ての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう〜(創世記)

 善悪の悪魔に従う以前、彼岸の境地にある人の存在は、喜びの境地に満ち、幸福であること、安穏であ
 ること、安楽であることの喜びに満ちている。― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏で
 あれ、安楽であれ ― その心のまま全ての生物を治めさせようとした。



123 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 12:26:15 ID:wIu4RUie
(49)人のかたちに種類の区別はない
〜小さなものでも、大きなものでも、四足獣にも〜腹を足としていて背の高い這うものにも〜水に棲む魚
どもにも〜翼を乗り物として虚空を飛ぶ鳥どもにも、種類の区別のあることを知れ〜これらの生類には生
まれにもとづく特徴はいろいろ異なっているが、人類にはそのように生まれにもとづく特徴がいろいろ異
なっているということはない〜(スッタニパータ)

〜われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り〜(創世記)


124 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 13:40:31 ID:C76t1RBv
〜世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した〜
その妄執により導かれた世間から離れて、一切の所有物を捨て去り、自らも妄執を断じてニルヴァーナに至
り、平安の境地に達して永遠に滅びない自己に従う人となること。煩悩を滅ぼし尽くして自分をよくととの
えて、何ものにも依存することなく、この世で自分を主として生きる人になること。これが仏教修行者の目
的でしょう。

〜〔神いわく〕ひとは、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?―もしも自分の心
を制することができないならば〜
〜〔尊師いわく〕〜修行僧は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ま
すことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カーヤT)


125 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/06 13:41:18 ID:C76t1RBv
〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?賢者は、自分の身をよくとと
のえて、自分の主となり得る〜(ウダーナヴァルガ)

〜この世では自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし
て、他のものをよりどころとせずにあれ〜(大バリニッパーナ)

 この世は自分の人生。人を島とし、人をたよりとして、また偶像礼拝などにより、臆病で貪欲な自己を
 克服することなく、悪魔ナムチの奴隷になり、死後も善いところに生まれることができない。
 自分の心を制することを身につけ、自分の粗雑な思考をおさめとり、他人を悩ますことなく、なんぴと
 をも謗ることのない人間となって、何ものにも依存することなく、この世で自己こそ自分の主として歩
 むようになること。

126 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/07 18:30:37 ID:TLQhkQ8v
〔五つの束縛〕
 
  (1)貪欲
  (2)瞋恚(怒り)
  (3)有身見(われとかわがものとかいう観念を離れぬ我執)
  (4)戒禁取見(誤った戒律や禁制を正しい修行方法であるとして執着すること)
  (5)疑


〔三つの束縛〕

  (1)見結(我見。われ有りと見なす見解)
  (2)戒取結(あやまった戒律を行ずることを解脱の因と見なすこと)
  (3)疑結(正しい道理を疑うこと)  

127 名前:名無しさん@3周年:05/03/07 18:33:20 ID:SkfDU5HT
こんなに共通点が多いんですね。

128 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/07 22:38:59 ID:VwdU70nb
〔イエスもブッダも多くは〕

永遠の命の世界を善として教えている。偶像礼拝により我が利得を願って礼拝したとしても、その私も
人の手で作られた偶像も永遠の命の世界にないから、永遠の命につながらないわけだ。永遠の命の世界
はこのような私は存在しないことを認識しないと、誤った信仰をする。
善の世界は、わがものという観念が一切ないから、〜何も当てにしないで貸してやれ〜(イエス)を行
えば永遠の命に通じる私を行ったことになる。その言葉を受け入れることで、永遠の命の私を受け入れ
ることになる。

129 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/08 19:20:11 ID:LslAA0+Y
[悪魔ナムチの軍隊 恐怖〕
〜「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭
は七つに裂けてしまえ。」詐りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた。
かれのその呪詛のことばを聞いて、バーヴァリは苦しみ悩んだ〜
〜(ゴータマ・ブッダは答えた)無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに
結びついて、頭を裂け落とさせるものである〜
〜バーヴァリ・バラモンも、諸々の弟子も、ともに楽しくあれ。学生よ。そなたもまた楽しくあれ。永く
生きよ〜(スッタニパータ)

130 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/08 19:21:33 ID:LslAA0+Y
〜林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである〜
〜今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜

 その当時の人々は、呪文などに効力があると錯覚し、呪文を唱えていたのでしょう。呪文をくどくど
 唱えても、そのような効力はない考えるのが明らかな知恵。そのようなことをするより、人々の幸福
 のため、安穏のため、安楽のため、快適な暮らしのため勤勉に働くこと。そうすれば、世の中は光り
 輝き、人々が幸せに暮らせる。

何も望まず、この世もかの世も望まない、不満もなく悩みもなく、恐れおののきのない永遠の命の世界
がある。美しい太陽を見、美しく晴れた朝に感動するような心をいつも保ち、恐れおののくことなく、
呪文などに惑わされない明らかな知恵を得ること。今現在に精神統一されて、今現在を怠けずつとめ励
むこと。


131 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/08 19:38:35 ID:1XN+R3q3
(50)医者
〜かの医者は、毒に焼かれて苦しみにさいなまれ、地上でのたうちまわっている息子たちを見て〜
(正しい教えの白蓮)

〜「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、い
けにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい〜(イエス)

 その医者の薬のもとは、一切悪もなく、苦悩もない永遠の命の世界。

132 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/09 21:04:37 ID:mOji3frJ
□神は人間の欲望を叶えない

神が創造された自然で満足すること。神が創造した生き物の幸福を願って治めること。これまでが、人の
幸福として与えられたこと。しかし、人はそれに満足せず、神のように賢くなりたいとする善悪の悪魔に
従った。人の欲望は悪から来たものだから、自分のことを思いくどくど祈っても、呪文を唱えても聞き入
られない。偶像礼拝は貪欲の他ならない。

無所有で自分をととのえることが神の望みとするブッダ

〜ダニヤ〜わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降
らせよ〜
〜ブッダ〜わが小舎(自身)はあばかれ、欲情の火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨
を降らせよ〜
〜ダニヤ〜わが妻は従順であり、貪ることがない〜わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのを
聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜
〜ブッダ〜わが心は従順であり、解脱している〜わたくしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨
を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜

133 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/09 21:05:43 ID:mOji3frJ
□人々が必要なものは互いの幸福を願い人が働いて作り出すもの

神の望みは、自然に満足し、美しい太陽を見、美しく晴れた朝に感動するように、いつも清々しい気持ち
で生き神のもので満足し、善悪の悪魔に従わず、幸福であること、安穏であること、安楽であることの決
して死を味わうことのない境地で、神が造られた生き物を幸福であることを願い治めること。

究極の理想に通じようとして、修行をし平安の境地に到達することを目的としたブッダと修行僧は、自然
の中で瞑想修行をする。

多くの人々は、人々の幸福を思い、安穏を思い、安楽を思い、いろいろな仕事に従事し、それぞれに良心
に従って行動すること。

〜園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、―かれらの功徳
は、昼夜に増大する。それらの人々は、法に安住し、戒めを身に具えて、天におもむく〜(サンユッタ二
カーヤT)

134 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/09 21:06:39 ID:mOji3frJ
□神は人が神が創造されたもので満足しないことを考慮していた

〜園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた〜「あなたは園のどの木からでも心のままに取
って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない〜

しかし、女は現在の状況にすべてよしとしないで、神の命令に背き、神のように善悪を知り、賢くなるこ
とを望んだ。満足も感謝もしない人の欲望のはじまりである。しかし、それは〜何事でも人々からしてほ
しいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ〜という御言のためでもあり、〜あなたがたにわたしの命
じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である〜とされるためである。

人は自然の中で満足せず賢くなった。人々からしてほしいと望むこともあり、中には偉くなりたいという
人もいる。偉くなりたかったら人に仕える者となり、財産のある人は、貧しい人々に分けてあげたりもす
る。自分の持ち物を、何も当てにしないで貸してあげたり、人によくしてあげる。現在の人間の状態で、
自分が幸福だと思うことを、人にしてあげたり、人々に奉仕したり、貧しい人々にも困らないようにして
あげたりする。そのような人々が少しでも増えるほうが、偶像にくどくどと自分の欲求を祈り求める偽り
の宗教より、世の中は良くなるだろう。

135 名前:名無しさん@3周年:05/03/09 21:07:13 ID:DOuyQBNh
ブッダは終末について語ってないよね。

136 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/09 21:16:57 ID:1NXiLdEg
〜歩行したからとて、いつになっても世界の終局に達することはできない。世界の終極に達しないで、
苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修め
た人は、世界の終極に至る人となるであろう。かれは、悪を静めて、世界の終極を知り、この世もか
の世も望まない〜(サンユッタ二カーヤT)


137 名前:名無しさん@3周年:05/03/09 21:18:16 ID:DOuyQBNh
やっぱブッダがいいかな〜。イエスは終末論でビビらせるからな。




138 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/09 22:46:51 ID:hZ5r+vya
愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全
うされていないからである(新約聖書)

(51)貪りが優先すると得られない
あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。
そこで争い戦う(新約聖書)

世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である。
(スッタニパータ)


139 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/12 22:03:48 ID:3keWKjU1
(52)くびき
〜主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央
に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた〜「あなたは園のどの木からでも心のま
まに取って食べてよろしい。しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない〜
(創世記)
 神は人が神が創造された自然と慈しみの境地のままでよしとし、神が与えたもので満
 足し感謝するかをへびを使って試みられた。そして、へびに従い人は賢くなったのだ
 が、神は既にそのことまでをも考慮され中央に命の木をはえさせられた。
〜この世と妥協してはならない〜何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、
かつ全きことであるかを、わきまえて知るべきである〜(新約聖書)
 人はこのような人間の自由な思考と、物を生み出す力を得たが、御言は世の初めから
 用意され、「現在の人間の状態でよいからそれを受け入れよ、そうすれば永遠の命の
 者となる、この世と妥協してはならない。」という神の永遠の命の命令をも用意され
 ていた。

140 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/12 22:04:53 ID:3keWKjU1
〜尊師いわく〜天にかかわるくびきを離れてのり超えた人々は、だれですか?〜(サンユ
ッタ二カーヤT)
〜修行僧たちよ。そなたらも、天界のきずなであろうとも、人間のきずなであろうとも、
すべてのきずなから解き放たれている〜(サンユッタ二カーヤU)

〜わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい〜わたしのくびきは負いやすく、わたし
の荷は軽いからである〜(イエス)

 肉体より霊体が安楽であり、霊体より消滅(境地のみの世界)が安楽であると説くブ
 ッダ。
 一切の所有物を捨て去り、自然の中で瞑想し、善悪の両者に汚されず悪魔を征服し、み
 ずから彼岸に渡りおわり煩悩の全てを滅ぼしつくしたブッダに従った修行僧は、霊体よ
 り消滅世界を目指したと思われる。
〜善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理を聞くのは、何故である
か?〜潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない〜


141 名前:(  ゚∀゚ ):05/03/12 23:07:52 ID:kFQQobTV
・・・ここで言うのもなんだけど、
映画の「釈迦」で出ている仏陀・・・ていうか、
修行中のシッダ太子がキリストとだぶって見えるよ。
演出の問題かもしれないけど。
見てる人いるかな?


142 名前:ほにや:05/03/13 01:08:20 ID:EYKUG/7O
>>47
面白いからレスをつけよう。

>だから何も思わないというのではなくて、決して滅びない本当の自分の心と共に生きること。

「決して滅びない本当の自分の心」とは絶対神に生かされていることを前提としたキリスト教的思考の結果である。
また、仏教の如来蔵の変種としてシナに登場する仏性にもやや近いと言えるかも知れない。
しかし、心を含めて滅びないものはないと捉える方が仏教では本来的(原始に近い)。

二つの教えに無理矢理共通点を見いだすのは楽しいことだが、同時に大変難しい作業でもある。
まあ、がんばってみてね。

143 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/13 13:29:31 ID:BfdAa0ce
〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した〜(サンユッタ二カーヤT)
〜全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている〜(新約聖書)
 まことである人は誰もいない。まこととされる存在は、この肉体もなく思考も及ばない永遠の
 命の世界で、―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわ
 ざでいやされた―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われた―イエス
 ・キリスト その神の行われたことをまこととし、全てが幸福になったこと、安穏になったこ
 と、安楽であることをただ喜んでいる。

人は悪い者に従いこのような人間となった。だから死ねばこのような人間の思考一切はなくなり、
それがわかるのだから、速やかに死になさいと教えているわけではない。その正反対である。
地上で神の栄光を現されたイエス・キリストを信じ、〜耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと
朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ〜(新約聖書)耐え忍んで善を行って自分
の命を全うし神に喜ばれ、朽ちぬものとを求める人に永遠のいのちが与えられる。

144 名前:桃太郎(ホモ組み手):05/03/13 13:29:57 ID:UDkGMupJ
イエスや釈迦も手かざししたとか! 神から啓示によって降ろされた「真光のワザ」!

彼に手かざし、彼女に手かざし、手かざしごっこ!

みんなで学ぼう楽しい手かざし!  手かざしを 受けてしる すばらしさ!

http://otd5.jbbs.livedoor.jp/571537/bbs_plain



145 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/13 13:30:21 ID:BfdAa0ce
〜生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない〜(スッタニパータ)

 悪い思いに従って悪いところ(地獄など)に生まれる。生存の断滅(自己の命を自ら断つこと)
 の悪い思いに従うことによって、人は取り返しのつかない運命となる。

(53)自分の命の存続を願い偶像礼拝するな
〜この世とかの世とを厭い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、―かれは自己を制し
た人である〜(スッタニパータ)

〜自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る
であろう〜(イエス)

 善の国は、自己の生存のために偶像礼拝することも、生存の断滅の悪い思いもない。


146 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/13 13:31:08 ID:BfdAa0ce
□神々など偶像に献供する者どもは、この世の生存を貪って止まない
〜かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ることに縁って欲望を達成しようと望
んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない〜(スッタニパ
ータ)

〜何ものかを信じることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち〜一切
の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない〜
 罪過なきその世界は、あわれみの神とその世界とをただまこととしている。

〜この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとった
ならば〜世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜(ダンマパダ)このよ
うに観ずる人は、死王もかれを見ることがない。〔すべては水の泡か陽炎のごとし、一切は虚妄で
ある〕そのように感じてから、幸福であること、安穏であること、安楽であるその世界を知る。そ
の境地は、この世では人々の安穏、安楽を願う心に満ち、困る者、苦しむ者の安穏、安楽を願い、
地上で人々をあわれみ、神の栄光を現されたイエス・キリストをまこととする。

147 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/13 20:20:14 ID:PIN4B7r4
〜修行僧たちよ〜多くの人々の利益のために、多くの人々の幸せのために、世間の人々をあわれむ
ために〜
起てよ、坐れ。眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうし
て眠られようか〜平安を得るために、ひたすら修行せよ。汝らが怠惰でありその死王の力に服した
ことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ〜(スッタニパータ)

〜世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない〜(スッタニパータ)

□悪魔ナムチの軍隊
世間は無明によって覆われている。悪魔ナムチを正しいものだと信じて信仰している。修行僧は悪
魔ナムチに従わず、彼岸を現す姿で修行し、世間の人々まで正しい方角に向かわせようとしたブッ
ダ。

148 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/13 20:21:06 ID:PIN4B7r4
■宗教行事で功徳を積めるという者は悪魔
〜悪魔ナムチ〜ヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功
徳を積むことができる〜
〜ブッダ〜「怠け者の親族よ、悪しき者よ。〜悪魔は善業の功徳を求める者にこそ語るがよい〜
(スッタニパータ)

〜使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。そこで主が言われた、「もし、
からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、
その言葉どおりになるであろう〜同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わ
たしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」〜(イエス)

 罪なき永遠の命の世界は、あわれみ深い神とその世界をただまこととしている。そして、〔桑の木
 に抜け出して植われ〕と言ったとしても、その言葉どおりになるほどの力をこの世で得ている。


149 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/13 20:21:51 ID:PIN4B7r4
〜山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい〜(新約聖書)
「信仰を増してください」と言われたので、それ以上増そうと思えば〜あなたがたは、敵を愛し、人
によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく〜(イエス)
そのようなことをしても、「ふつつかな者で、すべき事をしたに過ぎない」と思えばよい。

何も誇らずよい報いを受ける行為を行うことは善いことである。何か大きな報いを受けようとするな
ら、人によくしてあげたり、何も当てにしないで貸してあげたり・・・・・そのような行為をするこ
とであり、偶像に供物をささげたり、呪文をくどくどと唱えたり、何か宗教行事を行うことで、後々
善い報いを受けることはない。宗教行事で功徳を積めると思わせるのは、悪魔ナムチの仕業であり、
怠け者の親族は、天からも地からも抹殺されねばならないためだろう。

150 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/14 20:09:37 ID:oOhC9VxC
■悪魔は人の不安を食い物にする
〜かれらは欲望を貪り、熱中し、吝嗇で、不正になずんでいるが、苦しみにおそわれて悲嘆する、―「こ
こで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と〜
〜かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでい
るのである。供犠に専念する者どもは、この世の生存を貪って止まない〜(スッタニパータ)

 [死んでから、われらはどうなるのだろうか?][このような生存状態がいつまでも続くように、私をお
 助け下さい]
私をお助け下さいと願って、偶像に供え物をしたり、献供する。恐れおののき、死後の不安、臆病になり
人は偶像に供え物をしたり、献供する。それは悪魔の罠で、喜ぶのは悪魔である。恐れ、臆病など悪魔か
ら得たもので怯え、悪魔に助けを求める。私をお助け下さいと願う心も、偶像に供え物をすることも、善
の世界には存在しない。偶像に供え物をする行為は、永遠の命の世界には結びつかない。


151 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/14 20:10:42 ID:oOhC9VxC
(54)中道
〜学ぶことに生きがいを認め、奉仕(看護)を楽しむために〜生活を送っている人々がいる。
  ―これは一つの極端説であると説かれている。
〜「快楽は享受さるべきであり、清らかである〜」とこのように見なす愚者どもがいる。
  ―これは第二の極端説であると説かれている。
〜この極端説を知って、そこにとどこおっていなかった賢者たちは、それで思い上がることはない。かれ
らには決まった道が存在しないのである。世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見
よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。身体は泡沫のごとしと見よ。身体は
かげろうのごとしと見よ。身体をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない〜(ヴダーナヴァ
ルガ)

〜神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのであ
る〜あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から
出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないため
なのである〜(新約聖書)

152 名前:名無しさん@3周年:05/03/14 22:21:19 ID:EVAAJKUv
ブッダが恐喝から守るすれ

153 名前:名無しさん@3周年:05/03/14 22:53:22 ID:CQ0J4P3T
自我を完全に昇華することのできた宗教家であるということ。

154 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/16 19:26:45 ID:WYP2WvyB
〜今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜
  永遠の命の世界のように、恐れなく、悩みなく、こだわりも、不満を持たず満足し、生き生きとした
  生き方をすること。
〜汝らが怠惰でありその死王の力に服したことを知って、汝らを迷わしめることなかれ〜
  その時、偶像礼拝にすがっては、悪魔の罠にかかる。

〜「さとり」の境地を説こう。『すべては水の泡か陽炎のごとし。速やかに一切の存在に対し嫌悪を抱け』
〜(正しい教えの白蓮)
〜この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、
〜死王に見られないところへ行くであろう〜
〜世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王
もかれを見ることがない〜

 ―すべては水の泡か陽炎のごとし、一切は虚妄である― そのように観じて、恐れなく、悩みなく、迷い
のない安らぎの世界に入る。悟りの世界では、この世の汚れは捨て去って悩まない。
 ―世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜そのように観ずることで、人の心は
 清くなる。 

155 名前:名無しさん@3周年:05/03/16 20:00:20 ID:ulPpCbQs
美しい朝に逢い―いつもそんな心でいるなら偶像はいらない
偶像は人の欲望の形今に満足している者が偶像など拝まない

156 名前:名無しさん@3周年:05/03/16 21:24:25 ID:Sq/SpdM/
じゃあなんで仏像を拝むのさ

157 名前:名無しさん@3周年:05/03/16 21:46:16 ID:ulPpCbQs
釈迦が仏像拝めと言ったか?そんな嘘言うとブツゾ―

158 名前:名無しさん@3周年:05/03/17 10:51:16 ID:9FNTDgQJ
釈迦は、仏像を拝んだり、呪文を唱えたりせずに、人間として自立した生き方を教えようとしたんだ。

159 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 00:01:32 ID:lN8JlvAF
あげ

160 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 00:04:40 ID:iuD1PLng
自分も究極の悟りを開きたい。

161 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 10:14:22 ID:+dAM8Nwg
恐れない、全てに満足、他に依存しない、謗り罵倒しない、自分の心を制することを身に着ける、呪文などの効力はないと明らかな知恵があること、人々のために働いて糧を得ること

162 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 10:17:25 ID:CUFW0/jP
>>1

共通点はないが、大きな違いはある。

その違いとは、

イエスは神だが、ブッダはただの人。

 

163 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 10:33:11 ID:wloMlQ7e
ぼくちん、イエスたん好き。だって神たまだもん。
ぼくちん、イエスたん大好き。たって神たまだもん。
ぼくちんの、ぼくちんの、ぼくちんのイエスたん大好き。
う〜ん、イエスたんぼくちんはこんなに好きになったん
だからねぇ、イエスたん救ってぇ。お願いだもんね!


164 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 10:47:54 ID:wloMlQ7e
イエスたーん、イエスたーん、イエスたーん、イエスたーん、イエスたーん、
イエスたーん、イエスたーん、イエスたーん、イエスたーん、イエスたーん、
ぼくちん、こんなにいっぱいいっぱいイエスたんのこと好きになったんだから、
ぼくちん救ってくれるよねぇ

165 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 10:47:55 ID:+dAM8Nwg
キリスト教は犬のように、おねだりすれば救われるという傾向があるが、原始仏教は真理から教えを学ぶという違いはある。

166 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 10:52:19 ID:wloMlQ7e
だって、ぼくちん真理なんていらないもん。イエスたんだけが好きな
んだもん。イエスたんだけを好きになったことが真理なんだもん。
だってイエスたんは、神たまだもん。その神たまを好きになったんだ
から、後はどうでもいいんだもん。

167 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/18 19:15:49 ID:BAkVKXze
■無一物で自然の中で瞑想し、日に一食を取るだけの者に施与をする
〜実に執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制した全き人がいる。―そのような人々にこそ適当な
時に供物をささげよ。―バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。
〜解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる〜家なくして歩み、よくみずから制して〜安らぎに帰して、貪欲
から離れ、怒ることなく〜そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。―バラモンが功徳を求めて祀りを
行うのであるならば〜(スッタニパータ)

 そのように施与を受けるにふさわしい人々に施与すること。一切の所有物を捨て去り、森に住み、心静まり、
 日に一食を取るだけの清浄な行者は、この世で人の彼岸に近い行いを見せている。その修行僧を敬すること
 で人は自らの彼岸を知ろうとする。

〜かれは貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起こして〜無量の慈しみの心をあらゆる方向にみなぎら
せる〜施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うなら
ば〜(スッタニパータ)

168 名前:実行委員長:05/03/18 19:32:40 ID:sksya53w
カルマを断つ智慧がある。

169 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/18 22:26:48 ID:MqAUYb1t
〜今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜
 永遠の命の世界のように、恐れなく、悩みなく、こだわりも、不満を持たず満足し、自分の心を制し、生き生きと
 した心でいるならよいが、気落ちした場合に偶像礼拝者の餌食にされる。人は拠りどころを求めて、この偶像を拝
 めば救われるという嘘に騙され、永遠の命を失う。

[神いわく]〜ひとはどれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?―もしも自分の心を制すること
ができないならば。修行者の行いは、知能の鈍い人間のなしがたく忍びがたいことである。愚鈍なる者の気落ちする
ような危難は多いのである〜

[尊師いわく]〜修行僧は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、
束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜


170 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/18 22:27:34 ID:MqAUYb1t
■悪魔は呪文を唱えさせ人を無明にさせる
〜「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂け
てしまえ。」詐りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた。かれのその呪詛のことばを
聞いて、バーヴァリは苦しみ悩んだ〜
[ブッダ]〜無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるも
のである〜

 呪文や呪詛の呪い、それらの効力があると信じられてきた無知な時代。呪文など意味のない言葉をくどくどと唱えて
 何かの効力があるとする者は、明らかに知恵のない者だとブッダは教え諭す。現代なら通常の知恵のある人なら何か
 をくどくどと唱えても何もならないということはあたりまえのことだが、その時代は無明に覆われていた。
〜世間は無明に覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない〜 

171 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/18 22:28:18 ID:MqAUYb1t
人が気落ちした場合、拠りどころを求め、偶像礼拝者が近づき、偶像を拝ませ呪文を唱えさせ人の明らかな知恵を失わ
せる。そして、不安と利得(功徳)を餌に施しを求める。怠惰である者に対して、呪文などを唱えることで功徳と救済
という安易な教えで人を騙し、偽りを語り、怠惰である者を喜ばして施しを求める。そして死後、偶像などは存在しな
い、呪文などは唱えない永遠の命の世界があり、彼らはその世界と相反する行為をまこととしたために、永遠の命の世
界には入れないままである。


172 名前:名無しさん@3周年:05/03/18 23:24:23 ID:+dAM8Nwg
呪文のように意味のない文字を並べ効力があるとすること、今も昔も基地外のすること。

173 名前:名無し:05/03/18 23:50:19 ID:Y5oz7WuE
ただの人間だって事
それ以上でも以下でもない

174 名前:ネットサーファー@~の國:05/03/18 23:57:11 ID:m7B93iRj
聖書を信じないカトリックと、
お経を信じない真言はそっくりだな。

175 名前:Albert Magnus @一過渡:05/03/19 03:46:00 ID:3F3u3Syl
>>160
> 自分も究極の悟りを開きたい。

止めといた方がいいような希ガス。
「特別な自分」なんて求めないほうが(・∀・)イイ!!よ。

なんせ、創世記で蛇がイブを誘惑したときにゃ、
「神さまみたいになれる YO!」って囁きかけたんだからね。

それに…
あのイエスだって、公開処刑前にゲッセマネの園で(((;゚Д゚))ガクガクブルブル
してたんだから。

ましてや凡人の我々は、狼狽しながら生きざるを得ないっしょ。



176 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/19 13:15:57 ID:UX8WdDKT
■悪魔は自分を愛するようにと偶像を拝ませ永遠の命を失わせる
〜依りかかることのない人は〜生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない〜
〜この世とかの世とを厭い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、―かれは自己を制した人である〜
(スッタニパータ)
〜自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう〜(イエス)

善の国であり、決して死を味わうことのない世界は、このような人間の粗雑な思いは一切なく、それらは悪い者に従っ
て生まれたものである。―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされ
たイエス・キリスト―困る者、苦しむ者、病む者が一切なく、そのようにされる神とその世界をただまこととして喜び
に満ちている。このような悪い者に従った自身をまこととせず、普段は自分の命の存続を乞うこともなく、あわれみ深
い神と神の国をまこととしていること。悪のない世界を教えとして教え、戒めとすることが善からくる宗教。
〜みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように〜自分の命の存続をこよなく願う臆病な自身から離れて、
困る者も、苦しむ者も、病む者もない国が来ますようにと永遠の命に通じる存在になること。


177 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/19 15:20:03 ID:lsUDn6Gr
〜肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いの
ちと平安とである〜
〜愛は、神から出たものなのである〜愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ
恐れる者には、愛が全うされていないからである〜(新約聖書)

 愛が恐れをとり除く。困る者も、苦しむ者も、病む者もない国が来るようにと熱心に祈れば、恐れの少ない人となる
 だろう。信仰を深めるならば、敵を愛し、人によくしてやり、何も当てにしないで貸してあげたり、親切にしたり見
 返りを求めず人に幸せを与えられるような人となること。

偶像礼拝によって自分の欲得のために信仰することは、悪魔を身につけることであって、欲得のない世界で困る者も、
苦しむ者も、病む者もなく、全てを幸福にされる神と永遠の命の世界に敵対する。

178 名前:名無しさん@3周年:05/03/19 15:53:53 ID:j/j0iQiE
カトの人と話をしたのですが、キリストの前で「悔い改め」をしない限り救われないと、
カトの形式以外のものを、一切認めようとはしません。
仏教の「反省」や「精進」は、全く悔い改めとは違うそうです。

カトの認めるもの意外「悪魔」とみなすその思想は、恐ろしいものだとしか思えませんでした。

179 名前:Albert Magnus @一過渡 <sage>:05/03/19 16:19:51 ID:9NKy4g5C
>>178
> キリストの前で「悔い改め」をしない限り救われないと、
> カトの形式以外のものを、一切認めようとはしません。

うーみゅ …

キリストの磔刑によって我々の罪が贖われて、
キリストの復活によって我々に永遠の命の扉が開かれた。

っつー信仰の前提がカトにはあるからねぇ …

回心の過程を個人の経験の中で自己完結したものと見做さず、
あくまで絶対者との関係回復を指向してるのよ …

だからこそ、具体的な罪の告白を伴う「ゆるしの秘蹟」 (世間では「懺悔」と
呼ばれてる香具師) がカトには存在するワケね。

余談だけど、この「絶対者との関係回復」を媒介する役目として権能者=司祭
を置くか、それとも個々人が直接「絶対者」と向かい合うかでカトとプロの違
いが出てくるような希ガス。

ま、だからといって、個々人の内部で「反省」や「精進」することを悪魔的と
見做すのもアレなような気がしますねぇ …







180 名前:名無しさん@3周年:05/03/19 18:04:40 ID:SEnRso2X
>178

心配するな。スウェデンボルグによれば、カトはあの世で「バビロン」帝国
を作っているわけだから。カトの独善主義を「恐ろしい」と感じるキミの
常識センスに敬意を評するよ。

181 名前:180:05/03/19 18:06:05 ID:SEnRso2X
間違えた。

評する-->表する

182 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/19 19:13:06 ID:FBMSvlVF
永遠の命には恐れがない。恐れることは悪い者に従って生まれたもの。〜つとめはげむことによって、また明知によって、
自分にささった矢を抜け〜とする仏教。
ものを欲しがり、執著にとらわれている。また、本能的な行いによって恐れが生じる。そのひとつに欲情があり、
〜欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる〜快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる〜人間のうちにある諸の欲
望は、常住に存在しているのではない。欲望の主体は無常なるものとして存在している。束縛されているところのものを
捨て去ったならば、死の領域は迫って来ないし、さらに次の迷いの生存を受けることもない〜(ヴダーナヴァルガ)

 〜諸の欲望のうちのどれかを捨てるごとに、それだけ安楽が実現される〜永遠の命は欲望もなく安楽であり、恐れもな
 い。

人より臆病で、恐れる者は欲も深いと言えるだろう。

183 名前:名無しさん@3周年:05/03/20 02:19:21 ID:8c+XjS2e
162 :名無しさん@3周年:05/03/18 10:17:25 ID:CUFW0/jP
>>1

共通点はないが、大きな違いはある。

その違いとは、

イエスは神だが、ブッダはただの人。

184 名前:名無しさん@3周年:05/03/20 03:46:31 ID:yf5W5rLA
釈迦はええ人よ

185 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/03/20 11:03:52 ID:W//WA/y/
■ブッダは仏像を拝めとも言わなかった
〜何ものかを信じることなく、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知り〜
〜唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である〜(ダンマパダ)

〜森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけである〜多くの人々は、修行者の行いとブッダの教えとに
対し信仰を持つことにより天界に生まれる。
人々は諸々の欲望の貪りから離れ、もの惜しみをしないで気前よくわかち与え、他人を欺くことなく、他人を悩ますことな
く天界に生まれる。

186 名前:178:05/03/20 15:22:45 ID:VNsOu9g/
一過渡さん、きっと内部にいれば、その独善性に甘んじているんでしょうね。
仏教徒や、プロは、傲慢だと、人間に内在する可能性を否定することこそ
神に対する冒涜で、従順さが、神に対するものでなく、教会に対するもの
だとしても、疑問を押さえつけてしまう・・・。

カトの目指しているものは、本当に神を第一にしているのかと・・・。
その疑問に真剣に向き合った遠藤周作氏は、異端とみなされているし・・・。
固く目を閉ざしているものだと・・・感じませんか。

「絶対者との関係回復」が、教会に行くことでしか成り立たないと・・・
与えられた情報ではなく、自分の頭や感性は信じられないのかと・・・。


187 名前:Albert Magnus @一過渡 <sage>:05/03/21 00:52:35 ID:3xU06jN6
>>186 (178)

うーん…

 教会 (ecclesia = 元の意味は「人の集まり」) はキリストの
 神秘的な肢体であり、我々一人一人がその手足を構成している。

っつー考えがあるから、カトは組織としての教会をものすごーく
大事にするんですよねー。

個々人のアタマの中だけで観念としての「神」を捉えるのでは無く、
現存するキリストと物質・身体的な拠点の下で関わるっつー点で、
ワタシは結構この組織論を高く評価してたりします、ハイ。

ま、「んなもん、共同幻想に過ぎないYO!」といわれたら
ハイ、ソレマデヨですけどね。




188 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/03/21(月) 19:37:41 ID:Jymy6iWp
■神々の世界を喜ぶように説かれた教えは悪魔の誉めたたえる教え
〜そこで悪魔・悪しき者は、神の子ヴェータンバリにこっそり忍び込んで〜「〜物質的なかたちに執著し、神々の世界を喜
び、それらの人々は、来世のために正しく教えさとす」と。
〜そこで尊師は、「これは悪魔・悪しき者である」と知って〜「この世またはかの世におけるいかなるかたちでも、空中に
現れる光り輝きや彩色でも、これらはすべて悪魔ナムチの誉めたたえるところである。魚を殺す(=魚を釣る)ために餌が投
げ込まれたのである」と〜(サンユッタ二カーヤT)


189 名前:178:2005/03/22(火) 12:39:19 ID:zpb8aQeo
一過渡さん、お返事ありがとうございました。
共同幻想で終わらず、組織論が生かされると良いですね。

そういった意味での組織は、いろんな体を持った個性があるように、いろんな共同体が
あると思うんですよ。
例えば、キリストの頭を持った組織もあるだろうし、釈迦の頭を持ったものもある。
その頭は、互いに自分のモノと違うからと言って、攻撃しあわないといけないものなのか・・・。

そのどちらも、神が創り給いし物であると言う認識は出来ないものなのか・・・。
そう言う疑問や、解釈があってもいいと思うんですよ。
今のカトは、そう言う考えは一切排除していますよね。

190 名前:名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 21:01:16 ID:snysoxV2
自分はカトじゃないけど、高校の時にミッション・スクール行っていた関係
で、いろいろなカト信者の人と会ったよ。

その中にはいい人もいたけど、まるで悪魔みたいに傲慢こいていた人もいた。
特に神父は酷かった。ごく稀に人間性に溢れた、ものすごくいい人もいたけど。

191 名前:190:2005/03/22(火) 21:04:38 ID:snysoxV2
別にカトに限らないと思うけど、宗教はその人が持っている「本来の志向性」
を何百倍にも増幅しまうみたいだね。
よい人は、さらによく。悪い人は、さらに悪く。

192 名前:名無しさん@3周年:2005/03/26(土) 17:33:47 ID:mdYEKW4Q
ブッダには霊感はあったのですか?教えてください(・∀・)

193 名前:名無しさん@3周年:2005/03/26(土) 19:23:49 ID:LpliOAM+
>>192

そのようなものはあったが、あえて使わなかったんじゃないの。

194 名前:名無しさん@3周年:2005/03/30(水) 17:32:27 ID:3pendN04
健康な人は神仏を信じない

195 名前:名無しさん@3周年:2005/03/30(水) 21:33:06 ID:Fd848onQ
>>190
マフィアだってカトリックだよ。
宗教ってのはその人の犯罪指向性とはあんまり関係ないんだよ。
神さまと自分の関係だからね。

196 名前:名無しさん@3周年:2005/03/30(水) 22:13:07 ID:+VUbyRiy
悩みがなければ信仰しない

197 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :皇紀2665/04/01(金) 22:37:30 ID:r15GjQaV
■悪魔は神仏を偶像化し依存させる
どのようにうまく信じたら安穏が得られ、安泰が得られ、自分の果報が得られるのか?信仰により耳ざわりのよい話をし
てもらおうと願う怠け者の親族を悪魔は騙し依存させる。

〜にせ預言者に警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである〜
〜しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために
祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求め
る者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたの望むことを、
人々にもそのとおりにせよ〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか〜(イエス)

 神に依存しようとして、耳ざわりのよい話を求めるが、神の子は罪によって得たものを戒めるように語る。


198 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :皇紀2665/04/01(金) 22:38:34 ID:r15GjQaV
―神いわく―ひとは、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?―もしも自分の心を制することが
できないならば。修行者の行いは、知能の鈍い人間のなしがたく忍びがたいことである。愚鈍なる者の気落ちするような
危難は多いのである。もしもそうしないならば、一歩一歩ごとに心が沈んでしまって、諸々の乱れた思いのままになって
しまうであろう〜(サンユッタ二カーヤT)

〜人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの先祖も、にせ預言者たちに対して同じことをした
のである〜(イエス)

 修行者の行いをほめてはいるが、神はその行いに対し本当は懸念しているのではないか。修行者の行いを身体が朽ちる
 まで続けよというのではなく、「どれだけの日時〜行うべきであろうか?」とブッダに対して問い、しかし、自分の心
 を制することは大切だと言っている。


199 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :皇紀2665/04/01(金) 22:39:31 ID:r15GjQaV
(55)ブッダもイエスも自制心を求めている
〜敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜など御言は自分の心を制することを求めている。永遠の命の世界は敵を認知すること
もなく、憎しみもない世界だが、人のいない林の中で瞑想修行しているならば、人に敵意を抱かず、憎むこともなく心は
平安である。世間の中にあって、罪から生じたものに勝ち、自分の心を制することができる人は、自制心が本当に身につ
き、どこにいても永遠の命の国とともにいる。

死もなく、恐れもなく、こだわりも悩みもなく、勇気と「この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るで
あろう。このようにあなたがたにできない事は、何もないであろう」という言葉が真実であると知る永遠の命の世界は、
敵対することが一切なく、憎むこともなく、このような悪の配下に入った自分自身が存在せず、自分を愛することもなく、
自分に対するこだわりもない。自分の持ち物に対する愛着は一切なく、人々にしてほしいと望むこともなく、人を罪に定
めることもなく、さばくこともなく、一切責めることもなくゆるし、神とともに喜んでいる。そしてこの世が一切皆苦と
悟るほど、安穏であり、安楽であり、平安の境地を得て神とともに喜んでいる。

この世で永遠の命の世界のように安らぎを得ようとするならば、罪からきた自分の心を制すること。安らぎを得た心は死
後も安らぎの世界に入る。


200 名前:名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 22:46:28 ID:0EZ58+5c
>>1

大  昔  の  人

201 名前:名無しさん@3周年:2005/04/02(土) 06:08:40 ID:BEk2XuHg
ニーチェの『アンチクリスト』を参照。
仏陀とイエスの共通点を指摘しています。
そのうえで、イエスを利用したパウロ以降のキリスト教会を否定しています。

202 名前:太刀山型の土俵入り:2005/04/02(土) 07:16:18 ID:EefWtxbM
>>201
ルンペン

203 名前:太刀山型の土俵入り:2005/04/02(土) 07:17:20 ID:EefWtxbM
間違えた。>>201さんすいません。

では改めて
>>1ルンペン

204 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/02(土) 12:12:01 ID:Dh3dA2zF
(56)この世は苦しみで人は既に裁かれている
〜「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざか
り離れる。これこそ人が清らかになる道である〜(ダンマパダ)

〜彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている〜(ヨハネによる福音書)

怒ることもなく、謗ることもなく、罵倒することもなく、争うこともなく、情欲をいだくこともなく、手向かうこともな
く、自分の持ち物に対する愛着はなく、誓うこともなく、敵意も憎しみもなく、このような悪しき者に従った自分自身が
存在せず、自分を愛することも、自分に対するこだわりもなく、非我なるものを我と思いなし、他人を正しいとか正しく
ないとか、善いとか悪いとか評価することもなく、自分を正しいと人に誇示することもなく、何を食べようか、何を飲も
うか、何を着ようかといって思いわずらうこともなく、あすのことを思いわずらうこともなく、幸福であり、安穏であり、
安楽である人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安の世界、決して死を味わうことのない永遠の命の世界が存
在する。その世界は安らぎに満ち、悩みもこだわりもなく、至上の喜びに満ちた世界である。


205 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/02(土) 12:13:19 ID:Dh3dA2zF
〜一切のものは虚妄である〜しかし、〜安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る〜(ス
ッタニパータ)
〜彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた〜(ヨハネによる福音書)

〜利益を欲して学ぶのではない〜(スッタニパータ)また、善悪の思考を得るために学び、人々に対し正しいとか正しく
ないとか、善いとか悪いとか批評し罪に定めるために学ぶのではない。

〜唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である〜他人の過失を見るなかれ。他人のしたことしなかったこと
を見るな。ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ〜(ダンマパダ)
〜兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目にある梁を見ないで、どうして兄弟にむ
かって〜(イエス)

 この世で安らぎを得るために学ぶ。悪い者に従った自己に克ち、安らぎを好む人は、死後安らぎの世界に赴く。


206 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/03(日) 18:36:21 ID:l8PU3Pt3
(57)何ものにも依存することなく
〔神いわく〕〜ひとは、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか〜
〔尊師いわく]〜修行僧は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、
束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カーヤT)

〜「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はい
るのである〜
〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか〜
〜わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない〜(イエス)

 悪い者に従って、敵意や憎しみ、何を食べようかというわずらい、情欲などが生じるようになったが、それらは
 善の世界である永遠の命の世界にはない。永遠の命の世界はそれらがなく、幸福であり、安穏であり、安楽であ
 る。


207 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/03(日) 18:37:07 ID:l8PU3Pt3
■悪魔は悪からでたものに克つことより、偶像への依存を教える
イエスを信じ、信仰を増すことは御言を皆してしまったとき、〜「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をし
たに過ぎません」と言いなさい〜と悪からでたものに克つことが信仰を増すことだとイエスは教え、「主よ、主よ」
と言うことが信仰を増すことではないと教える。

悪魔は、信仰を深めることは永遠の命にない行為を善と教え、自分の利得のために、自分の功徳のために、または、
人々の利益のためにという餌で釣り、決して永遠の命の世界にはないつくりものの偶像を拝ませ、献供させ、長々
と祈らせ、または呪文のように意味もなく長々と言葉を発して、その行為が永遠の世界に通じる善い行為だと教え、
人々を死後の滅びに導こうとしている。明らかに知慧のない人々は、その天にもない行為が真実なものと思い込み、
自分の利益のため、または人々の利益になると思い込み、知らずに世間を無明にさせる。



208 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/03(日) 18:38:30 ID:7bH29e3Y
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。王族でも、バラモンでも、
庶民でも〜下水掃除人でも、精励してつとめ、熱心であり、つねにしっかりと勇ましく行動する人は、最高の清ら
かさに達する〜(サンユッタ二カーヤU)
〜「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに
裂けてしまえ。」詐りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして〜かれのその呪詛のことばを聞いて、バーヴ
ァリは苦しみ悩んだ〜(ブッダ)無明が頭であると知れ。明知が信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びついて、
頭を裂け落とさせるものである〜世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない〜(スッ
タニパータ)

〜やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう〜
(イエス)
 
 呪文のように意味のない言葉を長々と発して、自分のために長い祈りをして、それらに何らかの効力を求める
 者は無明である。ブッダも、それらの行為がなくなるようにと教えていた。


209 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/03(日) 18:39:26 ID:7bH29e3Y
〜園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、―かれらの功徳は、昼
夜に常に増大する〜(サンユッタ二カーヤT)

〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心か
ら神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい〜僕であれ、自由人であれ、それに相当す
る報いを、それぞれ主から受けるであろう〜(新約聖書)

 王族でも、バラモンでも、庶民でも、下水掃除人でも、誰でも、それぞれの立場にたって誠実に人を喜ばせ
 るように勤めを果たすこと。呪文のように意味のない言葉を長々と発して、天にもない人が作った偽物の偶
 像を拝み、それに効力があると信じる人が地上に増せば、益をもたらすどころか地上は闇となる。


210 名前:名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 18:59:02 ID:I45AqQyG
>>1
有機物

211 名前:名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 19:23:12 ID:JpUgyvjr
>>1
信者が馬鹿?

212 名前:名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 22:11:34 ID:6OJBdGMr
多くの呪文をやたらにつぶやいて何か益があると思うのは明らかに知恵はない。

知恵のある人は、僕でも、自由人でも、庶民でも、下水掃除人でも、熱心に働いて

人々の益になることをする。

では、いったい誰が呪文のように意味のない言葉を発して益があると言うのか?

永遠の命の世界にないつくりものの偶像を拝ませ、益があると言うのか?

《答え》つくりものの偶像を拝ませ、呪文のように意味のない言葉を発して益が
    あると言う輩が益を得るため。つまり、つくりものの偶像の所有者。
     




213 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/03(日) 23:27:12 ID:dSSGIuQT
この世で騙され損失をしたとしても、この世だけで済む。しかし、天にも地であってはならないことをまことと
することにより、永遠の命の国には決して入れず、この世にも再び生まれることができない可能性がある。悪魔
ナムチの求めることは、無明で怠け者の親族を天にも地にもないところに生まれさせることだろう。

〜一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない〜(サンユッタ二カーヤT)
 そのように、修行を完成させ、罪過なき者になって、永遠の命の世界に生まれる。
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされたイエス・キリ
スト―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―
 罪なき永遠の命の国は、神が困る者もなく、苦しむ者もなく、病む者もなく、貧しくもなく、全てを幸福にさ
 れるのだが、地上で天の父を現されたイエス・キリストをまこととすることで、罪なき天の存在のように罪が
 ゆるされ、永遠の命の世界に生まれることができる。

永遠の命の国に生まれる道は、あわれみを常に完全に得とくしているか、あわれみの神とその国をまこととする
こと。御言を自己ににとどまらせることは、望むことを与えられるためでもある。偶像を拝むことで、神の怒り
が下る。

214 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 01:33:24 ID:0CTayEt+
>イエスとブッダの共通点とは?

あのー、いつも思うんだけどさー仏教やっててキリスト教にも魅力を感じた人がね、
改宗する勇気もないのでこんな幻想を抱いて強引に理論付けて安心しようとする…
そんなふうに聞こえてきてしまうんですよ。


215 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 17:33:38 ID:oYfYyCri
永遠の命にはない作り物の偶像を拝ませ、それが死後あると思う
明らかに知恵のない人間を騙して、自分たちの言うことを聞かせ、
金儲けする人は知恵があるんじゃないの?


216 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 17:39:52 ID:sHkSbWAl
>>215
「ない」と言い切れる君はグレーーートである。
その根拠は?などと野暮な質問なんかしないさ。

217 名前:   :2005/04/04(月) 17:41:23 ID:bPSn4B5r
人によって説法の仕方が少し違った。
自分をみなと同じ人間と呼ばせた。
存命中、書物ではなく口伝で教えを広めた。
服装と食事が質素だったとされている。
あとなんかあった?



218 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 17:55:03 ID:ylfQ92F0
イエスもブッダも、日本語である。

219 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 18:44:59 ID:7KXS1C+Z
何書いてあるかわからない経典の解説書を読んでみたら、
経典を意味なしに唱えるなと書いてあったりして・・・・・


220 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 18:47:49 ID:7KXS1C+Z
そして、経典を意味なしに唱えるなが釈迦の教えだった、
そして、坊主に金をやるなと教えるのが釈迦の教えだった、
 

221 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 18:49:33 ID:7KXS1C+Z
あわてた坊主は、お経を意味を把握せずに読むことが、
成仏できると教える。

222 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 19:04:20 ID:0CTayEt+
何劫年も(1劫が手で岩をさすって磨り減ってなくなるまでの時間)
かけて、ガンジス河の砂の数ほどの仏に仕えなければ仏になれない。

…つまり、成仏なんてないのだと、経典読んでて気付かないか?普通!

223 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 19:34:06 ID:t8IoisCt
日本の仏教の疑惑

 1.経典を読まずにお経を唱えることにしてしまう疑惑
 2.釈迦から離れて、日本の変な僧侶に従う疑惑
 
 

224 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 21:23:12 ID:+wpPduw7
>>223

208 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/03(日) 18:38:30 ID:7bH29e3Y
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。王族でも、バラモンでも、
庶民でも〜下水掃除人でも、精励してつとめ、熱心であり、つねにしっかりと勇ましく行動する人は、最高の清ら
かさに達する〜(サンユッタ二カーヤU)
〜「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに
裂けてしまえ。」詐りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして〜かれのその呪詛のことばを聞いて、バーヴ
ァリは苦しみ悩んだ〜(ブッダ)無明が頭であると知れ。明知が信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びついて、
頭を裂け落とさせるものである〜世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない〜(スッ
タニパータ)


お経など呪文のように唱えるな、それらは明らかに知恵のない人間がやること。
そんなことするな、働けと釈迦が言っているから。


225 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 22:15:23 ID:d/FuKJsP
もともとイエスやブッダの教えは、何かに依存し頼ろうとする人を、現実的に
善い生き方に誘導しようとしているんだろう。見えのため長い祈りをしても何も
ならないと教え、現実だけではあわれみや愛が損なわれる可能性があるので、そ
れらは大切だと教える。何も妙なことを教えているわけでないだろう。


226 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 22:46:28 ID:iQm9toSx
>>223>>225
宗教って、始まりの時にはごく当たり前で良い事を言ってた(やってた)と
思うんだけど、そこから広がれば広がるほど胡散臭くなるような。
新興宗教に至ってはもう訳分かんないし。

227 名前:名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 23:11:51 ID:0CTayEt+
ニセモノがあれば、どこかにホンモノがあったってこった

228 名前:名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 17:37:12 ID:DTiH/Q3K
呪文や長々と祈り自分の利益を本気で望んだ人たちがいた。
イエスやブッダは、単純にそんなことしても何にもならない、バカのやること、
と言わず(逆にそいつらにバカにされるから)、もっと考えて戒めたというこ
とか。

229 名前:偶像撲滅運動:2005/04/05(火) 19:26:12 ID:MHpJ22s2
日本の南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏を唱える人間たちはいったいどこからでた?
南無妙法蓮華経を唱えると一番とか、南無阿弥陀仏で救われると言っているが、唱える
文字の違いだけでご利益があるとか、ないとか言っているみたいだが。
とにかく、南無妙法蓮華経を唱えると交通事故に遭わないとか、病気にならないとか、
南無阿弥陀仏を唱えると交通事故に遭いやすいとか、南無阿弥陀仏に救われるとか言って
る奴、気持ちが悪い。そいつらこの日本いなくなれば、気持ちがすっきりするな。



230 名前:名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 20:56:01 ID:ZqtPJmC4
日本の仏教の疑惑

 1.経典を読まずにお経を唱えることにしてしまう疑惑
 2.釈迦から離れて、日本の変な僧侶に従う疑惑
 
どうしてなのか?みんな原始仏典を読んだら、現代日本の仏教
は撲滅してしまうから。 

231 名前:名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 22:04:06 ID:q8ajm8C8
イエスとブッダの共通点:できの悪い弟子達のおかげで世が乱れた

232 名前:偶像撲滅運動:2005/04/05(火) 22:51:47 ID:9LXuvEgn
原始仏典読んだら、多くの呪文をやたらにつぶやいいても内心は汚物に汚れと釈迦が言っていた。
南無妙法蓮華経を唱えたり、南無阿弥陀仏を唱えたりお前らの心は汚いんだ。そしてきもい。
原始仏典と日本の仏教はあべこべのことをやっていた。だから必死にお経を唱えるだでよいとした(W


233 名前:偶像撲滅運動:2005/04/05(火) 23:08:23 ID:d48o1xlv
そしてお経などのように呪文のようなものに効力があると思うのは、明らかに知恵のない奴が
やることとも書いてあった!(WWW


234 名前:名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 23:11:34 ID:q8ajm8C8
結局、二人ともおいしいビジネスモデル作ったってことで…


235 名前:サリーちゃん:2005/04/06(水) 11:58:38 ID:AEmVqJP/
とっておきの呪文を教えよう…
これを毎日唱えて励みなさい

   マハリクマハリタ ヤンバラヤンヤンヤン

236 名前:名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 12:29:56 ID:RHn/fIEd
所詮日本人のレベルはその程度だったという事か。
さびしいね。

237 名前:名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 18:04:18 ID:Oiia6RKS
本当に知恵のある人間って、何か偶像にすがろうとする人たちをうまいこと
騙し、先生と尊敬されたり、労働せずに暮らしている人だろうなあ。

これを拝めば救われいいことあるよ、離れれば恐ろしいことがあるよ、
さあお布施しなさい、先生の書物を買って読みなさい、と言っている人。

本当は何かにすがるだけで自分の利益や不安を取り除こうとする怠け者
の人間が悪いのだろうけど。

泥棒にあっても、盗まれるほうも悪いと警察は言うし。

238 名前:名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 19:08:50 ID:YcB3+deD
そういうのは、頭はいいが、人徳のない奴だな。
カルトの教祖は、だいたいそう。

他人の心の中にある、人智を超えた何者かへの空想的期待を
利用して、信仰心を勝ち取る。

人智を超えたものってのは、結局、空想上の概念でしかないから
「教義」でいかようにも操作できてしまう。

カルトに騙されないための対応策は、形而上と形而下の区別を
しっかりと付けられるようにすることだね。
子供にも、ちゃんと家庭で教育しといてあげないと危険。

239 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/06(水) 19:45:05 ID:PLswYOQJ
神が創造された自然の中で、恐れや不安、悩みなど永遠の命にはない煩悩を滅ぼしつくし、何ものにも依存する
ことのない自己をきずき、この世で自己こそ自分の主となる修行僧。
〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?賢者は、自分をよくととのえて、
自分の主となり得る〜(ウダーナヴァルガ)
かの世もこの世も望むことを捨て、今現在に精神統一し、あすのことも思いわずらうこともない。
〜今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜いつもそのような清々し
い心でいるならば、偶像など偽りものに依存することもないだろう。


240 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/06(水) 19:45:52 ID:PLswYOQJ
(58)神の命令は愛
〜究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは〜あたかも、母が己が独り子を命を賭けて
も護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。〜
上に、下に〜障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。立ちつつも、歩みつつも〜眠らないでいる限りは、
この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ〜(スッタニパータ)

〜わたしたちに命じられたように、互いに愛し合うべきことである〜神は愛である〜現に見ている兄弟を愛さな
い者は、目に見えない神を愛することはできない〜(新約聖書)
〜人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない〜(イエス)

241 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/06(水) 19:46:41 ID:PLswYOQJ
■悪魔はあの偶像を拝めば自分が救われる、この偶像を拝めば悪いことは起きないと依存させる
何ものにも依存することなく、平静に生きていることは信仰を持たない人間でもしている。信仰を持つことに
より、どうして偶像に依存しないと自分のことができなくなるというのだろう。

〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の
慈しみのこころを起こすべし〜(ブッダ)
〜人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない〜しかし、あなたがたは敵を愛し、
人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ
深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ〜(イエス)

 自分のことでくよくよ思いわずらうよりも、自分の命を捨てるくらいの気持ちで、人々に尽くそうとする
 人は悩み少なく生き生きとしている。またそのような人は、この世で役に立つ。誰でも簡単にできること
 ではないが、イエスは信仰を増すことはその方向へ、最低でも受け入れることでよいとされた。

242 名前:名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 22:38:25 ID:w0Szbf8K
人智を超えた神などへの偶像的期待感をもって信仰をしようとする弱い人間に、
自分を信仰させ、自分を信じるなら命を捨てるくらいに人々を慈しめと教える。
自分のために信仰しようと思ったら、逆に命を捨てるくらいに人を愛せと叱られる。




243 名前:名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 22:39:52 ID:w0Szbf8K
要するに、信仰しようとする人間を厳しく叱るのが本来の宗教かも。

244 名前:偶像撲滅運動:2005/04/06(水) 23:40:14 ID:c6H1mM49
南無妙法蓮華経を唱えれば、事故に遭わないとか、病気にならないとか、そいつらの言ってることキモイ。
南無阿弥陀仏を唱えれば、救われるとか言ってる奴もキモイ。
美しい太陽を見て、清々しい気持ちになって恐れや不安がなくなってる人間ならキモクない。
信仰を持たない人間だって、何かにすがらず、何かに助けを求めなくても生きている。
何かを唱えれば救われると言う奴は、何ものにも依存することなく、何かにすがることなく、
自分のことは、自分で生きれるようになってから話を聞いてやる。
まず美しい太陽を見て、清々しい気持ちになって恐れや不安がなくなって、心晴れ晴れ、何
も頼らなくても、一般人のように生きていけますという人間になってから話を聞いてやる。


245 名前:Albert Magnus @一過渡 <sage>:2005/04/07(木) 07:02:00 ID:xUu+Vecs
>>242
> 自分のために信仰しようと思ったら、逆に命を捨てるくらいに人を愛せと叱られる。

そんなもんでしょ。

 一粒の麦が地に落ちて死ななければ、ただ一粒の麦として残る。
 しかし、死ねば多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書)

最終的に、「自分自身の持ち物としての命」への執着を放棄することが
求められるワケだ…

ン?信仰に対する報酬?
んなもん、信仰それ自身に含まれとるがな。


246 名前:Albert Magnus @一過渡 <sage>:2005/04/07(木) 07:06:12 ID:xUu+Vecs
っつーワケで、>>244さんの

> 南無阿弥陀仏を唱えれば、救われるとか言ってる奴もキモイ。

には、ちと違和感があるのね。
南無阿弥陀仏を唱えているコト自体に、既に救いが存在しているような希ガスるから。

「唱ふれば 我も仏も なかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」

247 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 18:26:47 ID:FgpNnihO
本物の宗教は、人を厳しくしつける親父のような教えだったんだだろうなあ。
何かに依存しようとする人間を、おいお前騙されるな、自分自身しっかりしろと
う教え。そして人によくしてやったり、何も当てにしないで貸してやったり、な
ど世の中でよく勤まる人間にさせる。

宗教でもリハビリの宗教があってもいいかも。太陽を浴び、健康的に運動し、
恐れや不安をなくし、何もすがらなくても生きていける人間をつくる宗教があ
ってもいいかもしれない。



248 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 19:21:04 ID:HnNBz1Ll
>>246
太陽を浴び、健康的に運動し、健全な精神の持ち主なら
南無阿弥陀仏を唱えない。


249 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 19:30:40 ID:fnW8Mjyy
そんなもの唱えても何の力もありません。

250 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 20:18:57 ID:pCz1InxM
どっちも、毎日まじめに誠実に生きて他者に優しくあれってことだろ。これ以外
ねえよ。小難しく考えることないぜ。それ以上に何があるってんだ。

251 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 20:24:05 ID:Z1oR3cSd
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。
あと長々と祈っても、ろくなことがないと言っているような..............。

252 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 20:27:06 ID:Z1oR3cSd
>>246
お釈迦様が生きていたら、無明とか、明らかに知恵がないとか、説教の対象人。

253 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 20:30:32 ID:Z1oR3cSd
つまり、現代の良識に通じる教えを教えていたんだ。呪文に頼らず働け、自己中心的
にならず、他人のことも考えよ。何にも頼らず、自分を主とせよと。

254 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 23:07:18 ID:B/ElSviU
>>246
はあ?違和感ないぞ。南無阿弥陀仏を街中で唱えろ、みんなに奇異な目で見られるぞ。
そしてキモイ。
南無阿弥陀仏を南無妙法蓮華経を唱える奴の前で唱えろ、快く思われないぞ。
南無阿弥陀仏を仕事中いつも、人に聞こえるように唱えろ。なにぶつぶつ言ってるんだと
言われるぞ。そしてキモイ。
ただ仕事を熱心にしているならキモイと言われないぞ。
美しい太陽を見て、心晴れ晴れしている人間はキモイと言われないぞ。
南無阿弥陀仏はキモイを世の中にふりまく。


255 名前:名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 23:41:13 ID:FwmgkwKz
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


256 名前:名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 00:24:29 ID:0Acz5nDA
>>247
元来、釈迦の教えってのは、そういうものだった。
原始仏教ね。
日本仏教界に伝わったのは、大乗仏教だった。

イエスだって、パリサイ人の戒律主義を批判して、人間を大切に
する、まっとうな生き方を説いたわけで。

宗教に頼らず、自立して生きていけるのが真の宗教じゃないかな。

257 名前:名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:58:53 ID:1z/TnlLo
>254
宗教批判にすりかえたいだけじゃん・・・。

その場、その時に相応しくない事やったらなんだっておかしいべ。

街中で突然『ちんこもみもみ音頭』歌い出したら怪しくないか?
人の結婚式で「うらみます」歌ったら快く思われないよな?
仕事中にいつも、人に聞こえるように【仕事と全く関係ない事】をぶつぶつ言っていたら
言われるわな・・・。

ただ仕事を熱心にしているのにオマエはきっとキモイといわれるんだろうけど。

258 名前:名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 18:15:50 ID:wJ6rRC/R
Hは隠れてする、しっこも隠れてする、盗みも人目につかないようにする、
南無阿弥陀仏もあまり人目につかないところで唱える。

恥ずかしいこと、やばいこと、悪いことはみなあまり人目につかないとこ
ろでする。

しかし、仕事などに精励してつとめ、熱心であれば正々堂々としている。

やっぱり、宗教人のリハビリ宗教は必要かも。太陽を浴び、健康的に運動
して、なんでこんなの唱えて生きていたんだろう、なんですがっていたん
だろうと思えるまで。


259 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/08(金) 21:16:49 ID:fxKf/0a4
困った人、貧しい人々を助けること、自分の持ち物を何も当てにしないで貸してあげたり、人によくしてあげ
たり、人々にしてほしいと、あなたが望むことを、人々にもそのとおりにしてあげたり、偉くなりたいと思っ
たならば、仕える人となり、かしらになりたいと思う者は、すべての人の僕となったり、肉による主人に従い、
目先だけの勤めをするのではなく、主に仕えるように快く仕えたり、あすのことを思いわずらうことなく生き
たり、自分の家族を大切にしながら、誇ることもなくそれらの行いができるなら、どれだけ行ってもよいでし
ょう。

ただ自分の救済を求める人は、はげたかに食われる。

260 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/08(金) 21:17:35 ID:fxKf/0a4
(59)親族を大切にすること
〜立派な人は、莫大な富を得ると、自分を楽しませ、喜ばせ、父母を楽しませ、喜ばせ、妻子を楽しませ、喜ば
せ、召使い・使用人を楽しませ、喜ばせ、友人・朋輩を楽しませ、喜ばせ〜
〜愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健き人・智慧のある人は、富を得たならば、
自ら用い、またなすべきことをなす。牡牛のような人であるかれは、親族の仲間を養って、人から非難されるこ
となく、天の場所におもむく〜(サンユッタ二カーヤT)

〜もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合は、その信仰を捨てたことになるのであっ
て、不信仰以上にわるい〜(新約聖書)

〜父母につかえること、妻子を愛し護ることと、仕事に秩序あり混乱せぬこと、―これがこよなき幸せである〜
(スッタニパータ)

莫大な富を得た国王、働いて富を得た人、自ら用い、他人に与え、親族の仲間を養って、天の場所におもむく。


261 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/08(金) 21:19:33 ID:iGJnMLhf
〜林のほとりでと楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである〜修行僧は、瞑想を修め〜
世の興亡盛衰をさとって、良き心あり、こだわることなく、そのとき、すぐれた益をもたらすののとなって〜

 ― 一切の所有物を捨て去り、色かたちと、音声と、味と、香りと、触れられるものと、ひとえに思考の
 対象たるものと、これらを超越して悪魔の領域を超え、やすらかな彼岸を目指す人がいる―彼岸はそれら
 がなく安楽である。
 ― 無一物で、人のいない林で楽しみ、愛著なき人となって快楽を求めず満足する人々がいる―自然を楽し
 むことはこの世で最上の楽しみだ、執着する拠りどころもなく楽しめる人は、何かを失っても失望すること
 も、この世に絶望することもないだろう。恐れなく、こだわりなく、悩みなく、何ものにも依存することな
 く、明らかな智慧のある人は、たとえ全てを失っても、失望も少なく幸福を求める意欲を努力を見失わない。
 


262 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/08(金) 21:20:16 ID:iGJnMLhf
(60)父母を敬え
〜母または父、あるいは長兄に対し〜慢心を起こしてはならない。かれらに対して尊敬心をもて。かれらはこの
人によって敬われるべきである〜(サンユッタ二カーヤU)

〜「父と母とを敬え」、また「父または母をののしる者は、必ず死に定められる」〜(イエス)

 父と母は、子によって敬われるべきである。慢心を起こして、父または母をののしる者は、永遠の命から遠
 ざかる。


263 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/08(金) 21:41:52 ID:iGJnMLhf
〜多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている。王族でも、バラモンでも、
庶民でも〜下水掃除人でも、精励してつとめ、熱心であり、つねにしっかりと勇ましく行動する人は、最高の清ら
かさに達する〜(サンユッタ二カーヤU)
〜「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに
裂けてしまえ。」詐りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして〜かれのその呪詛のことばを聞いて、バーヴ
ァリは苦しみ悩んだ〜(ブッダ)無明が頭であると知れ。明知が信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びついて、
頭を裂け落とさせるものである〜世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない〜(スッ
タニパータ)

 精励してつとめ、熱心であり、つねにしっかりと勇ましく行動する人は、最高の清らかさに達する。
 一方、呪文に類似したものに効力があると信じ、呪文のようなものをやたらにつぶやく人は、内心は汚物に汚れて
 いる。呪文に効力があると信じる人は、無明(無知)であると言われ、永遠の命の国、善の国で呪文を唱えている
 と言うならば、明らかに智慧がない。自分のために虚妄なるものを唱えるよりも、人々の幸福のため、安穏のため、
 安楽のため、怠けず働くほうが、一切の生きとし生けるものの幸福を喜び、安穏を喜び、安楽を喜んでいる彼岸に
 近いから清まると教えている。
 
 

264 名前:名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 04:06:45 ID:EYJAjPRG
自分の救済を宗教に望まない人が、宗教をやったら........................

265 名前:イケダとブッダの共通点とは? :2005/04/09(土) 06:21:10 ID:NSUpHF7l

 そんなのあり創価?・・・NASA創価?  長井・・・創価 色々・・・創価人

 個人なの組織人に見られてしまい損か学会?
 

266 名前:名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 09:36:48 ID:3vJo3T8k
林のほとりで楽しむなんて欲のない話、なんてね

  欲のない話をするのが宗教だなんて、あたりまえのことだったりして

呪文をやたらにつぶやいて、ご利益があると思ったりして、

  働け、働け、誰がお前を飲ませ、食わしてやると怒られたりして

267 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/09(土) 22:41:15 ID:+xQnXxRz
〜かれは財を欲しがっている詐欺者なのです〜所有物も少ないバーヴァリに、呪詛の作法をして脅し、施しを乞
うバラモン。財を欲しがっている詐欺者には、施しをしなくてもよいだろう。

(61)乞うものを退けると悪いところに生まれる
〜この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退ぞけ、他人が与えようとするものを妨げる人々、―かれらは、
地獄、畜生の胎内、ヤマの世界に生まれる〜
[神いわく]〜このことが、このように説かれるのを、われらは知っています〜(サンユッタ二カーヤT)

〜ある金持ちがいた〜毎日ぜいたくに遊び暮らしていた〜ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、こ
の金持ちの玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた〜(そして二人とも死ん
だ)〜「子よ、思い出すがよい。あなたは生前はよいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた〜ここでは、
彼は慰められ、あなた(金持ち)は苦しみもだえている〜」〜(イエス)

 優雅に暮らしているのに、無慈悲で哀れみもなく、もの惜しみをし、乞う者に与えない人、また他人が与え
 うとするものを妨げる人々―地獄などの悪いところに生まれる。


268 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/09(土) 22:43:24 ID:+xQnXxRz
決して死を味わうことのない永遠の命の世界は、〈この山にむかって『ここからあそこに移れ」と言えば、移る
であろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう』〉という言葉が真実であると知る世界
であり、〈林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである〉〈人のいない林は楽
しい〉というぐらい、この世で自然を楽しむような心に通じる世界。〈すべては水の泡か陽炎のごとく、一切は
虚妄である〉と観じ、悩みなくこだわりのない平安の境地であり、安らぎの境地に至上の喜びを得て、幸福であ
り、安穏であり、安楽である。その境地を知ったら、なぜあわれみが大切か知るのである。
妄執という悪いものに従って、このような人間の心が生まれた。〈生存のための妄執も、生存の断滅のための妄
執も存在しない〉その悪いものに従って悪いところに生まれ、人の安穏と安楽、幸福を思わず、無慈悲であわれ
みのもなく冷酷な人は、永遠の命の世界に反する。
能動的にそれを行い、「私はそれを行った」といって誇れと言っているわけではないでしょう。自分が冷酷な心
にならないことが大切で、自分があわれみを持たなければならない人に無慈悲であることが悪い。


269 名前:名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 02:53:49 ID:G/dyp90b
魅力的な人だった。

270 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/10(日) 16:32:12 ID:Qrp5sFJx
□ブッダと修行僧を尊敬、または天で神がされることをまこととする
無一物で究極の理想を目指し、森に住み、日に一食を取るだけで平静を保つ修行僧。
〜この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、ブッダと真理の教えとに対し
て信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならば、かれらは天界に生まれて、そこで輝く
〜(サンユッタ二カーヤT)

 無一物で平静な人々、そしてその教え。善である世界は無所有で、悩まない。在俗信者は、人の彼岸をよし
 とすることになる。〜「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む〜在俗信者は、
 享楽や快楽の貪りから離れ、愛欲も、憎しみも、愚かさも、羨望も、嫉妬も、中傷も、自惚れも、傲慢さも、
 虚勢も、害わないようになろうともする。人が信じることは彼岸であり、二度と生まれないことであり、ブ
 ッダの方針はブッダを尊敬し、個人的に信じたい人が信じるのだから宗教対立は少ない。ブッダはブッダを
 尊敬しないと教えを説かなかった。教えを人々に押し付けることはしなかった。ブッダに神通力あり、多く
 の修行僧が貪りをやめ修行に励んでいる、という態度を示して多くの人々に教えを示そうとしたのだろう。



271 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/10(日) 16:32:55 ID:Qrp5sFJx
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされた―
―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われた―
永遠の命の世界は、当然困る者もなく、病む者もなく、苦しむ者もなく、富む者も貧しい者もなく全てが公平
に幸福である善の国。そのようにされるのが天の父で、地上で父を現されたイエスを主とする者は父を持つ。
そして同時に、その実が試されるわけで、罪なき命の国は、このような人間の肉体も心も存在せずこの世もな
く幸福に満ちている。幸福に満ち、安穏に満ち、安楽に満ちている。この世で困る人、苦しむ人が幸福になっ
たこと、安楽になったことを何よりも喜ばなければならない。その実があればイエスは呪われよとは言わない
し、悪い者だとは決して言わない。
死後の世界を多少でも信じる人は、天国は善いところで、病もなく、困る者、苦しむ者、富む者、貧しい者も
いない世界だと多くの人はそのように思うだろう。そのような存在が実は天の父で、見えるように現したイエ
スをあがなえとすることは、自然に近い。

272 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/10(日) 16:33:42 ID:Qrp5sFJx
罪なき永遠の命の世界は、このような自分自身が存在せず、自分のためにといって偶像を拝むこともない。
無神論者でさえ、くどくどと自分のために祈っても何もならないと知っている。「神よ、わたしはほかの人た
ちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく〜」といって自分を義人とすることもない。
無神論者でさえ、自分を愛するように隣人を愛す人がいてくれたほうが、無慈悲で冷酷で自分のことしか考え
ない人が隣人にいるよりましだと思う人は多いだろう。善の国は、誰でも公平である、誰かを偉いとして人を
操ることもない。「偉くなりたいと思う者は、仕える人となり〜」民主主義の原点になるようなことも教えて
いる。無神論者でさえ、権威をもった支配者に支配され、自由を奪われたくないと思うのではないか。誠実に
人のために働くこと、無神論者でさえ、自分のためによくしてくれる人のほうが、目先だけの勤めで金銭を要
求する人よりありがたいと思うのではないか。無神論者でさえ、自分の身勝手な善悪の思いで、人を罪に定め
るより、あやまちをゆるしてくれる人のほうが好ましいと思うのではないか。「主よ、主よ」と言わず行え、
人のおかしなところを指摘するばかりでなく、まず自分が行え、信仰を増すことは、御言を「ふつつかな僕で
す。すべき事をしたに過ぎません」という方向であって、「主よ、主よ」と多く言うことではないと教えるイ
エス。イエスに従う人は、非難されることなく、むしろ多くの人に受け入れられる人になるだろう。

273 名前:名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 17:46:16 ID:wGrS5kDt
◎くどくど祈って人間の願いを聞いてくれる神はいないよ

◎自分は貪欲でない、いい人間だよね、不正をしない、いい人間だよね、姦淫をしない、いい人間だよね
 と聞いて認めてくれる神はいないよ

そんなことしてるより、人が自分の目の前にいる人を互いに愛したほうが、なんと幸せになるだろうかと、

神頼みで祈っているより、人々が誠実に働いたほうが、なんと豊かになるだろうかと

神様は思っていました。そして、神様は言いました、神頼みはいけません、人間は互いに助け合え、愛し合え

と。











274 名前:名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 18:03:37 ID:8SvK9FcW
無理だと分かっててもこの二人の対談を見てみたいなー。
お互いをどう思うんだろう。

275 名前:偶像撲滅運動:2005/04/10(日) 22:30:55 ID:yqA9Bdqb
南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏を唱える人間でも、自分が死んだら全てが幸福な世界に行くことを望んでいるのか?
まさか、その世界でお経をし、南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏を唱えるなどと考えていないだろうな(W
一般的でいいんだよ、一般的。こいつを唱えればよく、あれを唱えれば悪いと言って喧嘩売ってる奴、それを権威
にして、人を自分の言いなりにしたいだけだろ。
この世界を幸福にしたいなら、人が人のことを実際に思って行っていればいいんだよ。
誰が幸福にしてくれる?誰が豊かにしてくれる?人間だろ、人間。人間が行って初めて人を幸せにするんだよ。
まともな教えは、人をまともにするんだよ、いらんこと唱えて何になると。



276 名前:名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 23:38:43 ID:poA6C3m1
宗教があたりまえのこと言ってるとすると、誰も儲からない。

277 名前:名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 02:02:01 ID:KuDWvSiE
DQNの偽善者

278 名前:名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 17:55:14 ID:SKbnqOko
宗教のもとものもは、特殊なことではなくて、人々に好かれるような
人、役に立つ人にするために教えているんだ。

279 名前:名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 22:31:56 ID:Nub1uTw9
宗教で権威を獲得した人たち。もとの広く世間一般に通じる普通の教えを、
わざと枉げて、その人またはその組織に盲目的に従わないとダメなものに
した。
特別なあがない物、特殊な教義、特殊な宗教儀式、に盲目的に従うこと。
それによって、自分の権威と自分たちの利益獲得を願っているのである。



280 名前:名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 18:44:58 ID:1Q1W3Y5v
神は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず

281 名前:名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 00:25:58 ID:WTC7F4hG
>>274
「おお、私と同じように世を憂いているではないか・・・。同士よ!!」

しかし、西と東に伝言ゲームしていくうちに、イロイロな人々の利害やイメージが
くっついていったんだろうね。

282 名前:名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 21:30:20 ID:nHGI0/JJ
神が公平であったら、神の教えも公平でないと不自然。誰かが特殊な知識をもって、その教えに
従えとしたら、その時点で既に人が人を支配することになる。

神が平和を望むとしたら、神は特異なものを正しいとしないのが自然。特異なものと、特異なも
との正しい、正しくないとの争いは人がつくりだした争いだろう。


283 名前:名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 22:21:17 ID:66dMgJDH
たとえば人のために正直に働いて、そして得た金で満足して暮らすことを命令されたとし
よう。しかし、どうしたらもっと楽に利益が得られるかを探し出そうとするのが今の宗教。
宗教営業マンは、あちらの信仰より、こちらの信仰のほうが有益なはからいが得られると
勧める。しかし、真の教えは、人のためになるようより多くの努力を自分で行えと教える
だろう。

284 名前:名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 22:41:46 ID:KnrF/KLu
神は支配する者、支配される者をつくらない。人は自由だ。どうして、宗教ばかりが
人を支配しようと試みるのだ。人は自由な意思を持って生きればよい。しかし、人が
糧を得ようとするなら働くこと。社会から利益を得たいなら、社会に奉仕すること。

人は互いに自由だ。誰でも幸福を求めている。その幸福を奪うことは悪なのである。
その幸福を与えることは、善いことである。互いに人の幸福を奪わないこと、むしろ
人を幸福にするなら、善いことをしている。

285 名前:名無しさん@3周年:2005/04/14(木) 09:36:26 ID:2P2e6d2X
>どうしたらもっと楽に利益が得られるかを探し出そうとするのが今の宗教。
需要と供給の問題で、人々がそのような都合のいい教えを求めてきた結果でしょう。

真の教えを知りたければ、自分の内側をみつめて、真の感動がどこにあるのか
改めて見つめなおす必要があると思う。
自分のため・・・の中にあるのか?自他の一体感の中にあるのか?団体の繁栄や、保身の中にあるのではない。


286 名前:名無しさん@3周年:2005/04/14(木) 18:11:50 ID:GtZ6tQsq
宗教人のリハビリ宗教が必要だね。自然の中で楽しんで満足するとか。
なんにもないところで満足すれば、どこにいても不満は抱かない人となる。
今自分が生きていることに素晴らしさを感じる人は、現在の環境に不満を
抱いて、宗教に頼らない人となる。

自然の中で大いに自ら満足していたブッダらは、いつも健全な精神を保ち、
人にも左右されず、この世の環境の変化にも対応できる人間となり、何か
を失っても失望しない人間となる。

この世には様々な人間がいて当然。人を自分の思ったとおりの人間にさせ
ようとすることが、人間を自分のものにしようとしている。人間に期待感
を抱かず、むしろ互いを尊重しあって、怨み敵意を抱かず、気に入る気に
入らないにかかわらず、慈しみの心づかいがあれば、人に左右されない自
由な生き方ができる。


287 名前:名無しさん@3周年:2005/04/15(金) 22:26:18 ID:ghr/8ReK
平和、平和といったとしても、他人を自分の思うとおりになるようにする平和じゃー、誰か
が誰かを支配して人の自由を奪うまで平和は来ないだろうし、たとえひとつの宗教と一握り
の宗教幹部が勢力を拡大しても独裁国家と同じになる。
また、ひとつの宗教が勢力を拡大しても、他の宗教と異質なものを提唱して平和を訴えるな
ら、新たな争いを生み出す可能性はある。特に排他的な宗教なら、その可能性はさらに増す。
宗教人は、人から金銭を要求しながら、人を自分の思った理想に従わせさせたいだけだ。そ
れが宗教の拡大の結果となるだろう。


288 名前:名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 01:02:33 ID:j3mEYW56
桜でも見て楽しむ 満足 満足 感謝 感謝

289 名前:名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 20:27:37 ID:7qmUShzZ
神は、イエス・キリストに罪をゆるす権威があるとはどういうことか
示すため、ブッダを修行完成者とした。



290 名前:名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 21:36:50 ID:jUPPPH5g
どゆこと?

291 名前:名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 22:14:02 ID:k4GT65UH
ブッダは神の望みとして、限りなく公平な道を選んだ。
それは妄執に導かれた世間から離れることであった。
そこで善悪の悪魔を滅ぼす修行をした。
その行いは、神が世の初めから望んでいた道であった。



292 名前:名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 22:33:13 ID:jUPPPH5g
>>291
善悪の悪魔ってなんですか?
それとブッダは神に通じていたのですか?
とすれば霊的な世界も認めていたわけですか?

293 名前:名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 07:13:02 ID:ltncq+GS
9 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :05/01/26 20:24:10 ID:zOHwr7RC
(3)善悪は悪魔
〜あなたは悪魔の征服者です〜あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから彼岸に渡りおわ
り〜麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されません、雄々しき人よ、
両足をお伸ばしなさい。サビヤは師を礼拝します〜(スッタニパータ)

〜へびは女に言った〜「神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。」女
がその木を見ると〜賢くなることは好ましいと思われたから〜(創世記)
  〜思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり〜(感興のことば ニルヴァ
  ーナ)もちろん彼岸は思考が存在しないわけだが、世の初めの人も「生も死もない神聖な境地」
  だっただろう。


294 名前:名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 07:20:08 ID:ltncq+GS
霊的な世界を現す経典は多い。

295 名前:名無しさん@3周年:2005/04/18(月) 23:26:04 ID:f2DuCGDG
善悪の両者に汚されないと、雄々しき人として尊敬されるんだよ。

296 名前:名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 00:14:11 ID:wLZsc0SO
イエスもブッダも、その時の弱きもの虐げられるもの迷うものを救おうとした。

297 名前:名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 00:16:38 ID:wLZsc0SO
彼らを政治や権力の道具にしたのは彼らの生きた時代よりずっと後の事。
聡明な彼らは生前からそれを見抜いていた。

298 名前:名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 16:13:54 ID:6T2zL0Te
なんか二人とも、神様っていうイメージがある。

299 名前:名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 18:02:40 ID:w9wyAHSL
本当は、現代の良識に通じる教えだったかもな。
 1.特殊な教えで、人に権限を与えることはない。
 2.収益を求めて、働いている人と同等の生活はしてない。
 3.個人個人が、善い生き方をして、無慈悲な行いはしない。
    人間が人間を支配する政治に関与するような教えではない。

300 名前:名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 22:29:42 ID:431VJ8gI
〜この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退ぞけ、他人が与えようとするものを妨げる人々、―かれらは、
地獄、畜生の胎内、ヤマの世界に生まれる〜
[神いわく]〜このことが、このように説かれるのを、われらは知っています〜(サンユッタ二カーヤT)

〜ある金持ちがいた〜毎日ぜいたくに遊び暮らしていた〜ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、こ
の金持ちの玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた〜(そして二人とも死ん
だ)〜「子よ、思い出すがよい。あなたは生前はよいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた〜ここでは、
彼は慰められ、あなた(金持ち)は苦しみもだえている〜」〜(イエス)

 イエスが悪いという人は、よほどの人間。人を宗教の呪縛からも開放し、自由を与えようとする意図もあるか
 も。

301 名前:自由騎士団 ◆ZAAWpAFeBg :2005/04/19(火) 23:13:40 ID:D6jkss9s
ほ〜〜

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1112825349/l50

302 名前:名無しさん@3周年:2005/04/20(水) 17:55:51 ID:Qe19xCsu
宗教は人をおもちゃにする。何か人の手で作られたものに偉大な力があると
思わせ、それを守る人に権威を与えようとする。人は架空の力に魅了され、
それを守る人を尊敬し、やれ布施だの、言うことを聞けだの無償で働かせ、
あめとむちで人を自由に操る。

本来の元の教えは、人間の良識に反しない教えであって、人を人間の配下
に治める教えではなかった。

人を宗教上尊敬し、その人を食わせ、その人の言うことを聞かせようとす
るのは、偽善的宗教。

303 名前:名無しさん@3周年:2005/04/21(木) 17:43:23 ID:rRT+7TNW
本物の宗教は、人を厳しくしつける親父のような教えだったんだだろうなあ。
そして、人の良識とはかけ離れてはいない教え。
何かに依存しようとする人間を、おいお前騙されるな、自分自身しっかりしろと
う教え。そして人によくしてやったり、何も当てにしないで貸してやったり、な
ど人にも喜ばれるような自然な教え。

宗教でもリハビリの宗教があってもいいかも。太陽を浴び、健康的に運動し、
恐れや不安をなくし、何もすがらなくても生きていける人間をつくる宗教があ
ってもいいかもしれない。


304 名前:タイトルだけ読んでカキコ:2005/04/21(木) 20:14:02 ID:sLKw6FAT
何年か前に、「キリスト教は仏教のパクリ」って本が出たよね。

キリストが生きていた頃は、既に古代ローマに仏教の名が轟いていて、
多くの坊さんが布教にパレスチナまで来ていたから、
当然キリストもそれを耳にしていたはずだ、という論旨。

双方はあまりに似すぎていると、ユダヤ教には無い考えが含まれていると。
まあ、半分ネタ本だけど。

305 名前:名無しさん@3周年:2005/04/21(木) 21:38:35 ID:7meazBh3
〜あなたは覚った人です〜あなたは悪魔の征服者です〜あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みず
から彼岸に渡りおわり、またこの人々を渡すのです〜麗しい百蓮華が泥水に染まらないように、あなた
は善悪の両者に汚されません〜(スッタニパータ)

〜へびは女に言った、「神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がそ
の木を見ると〜賢くなるには好ましいと思われたから〜(創世記)


新しい教えは空。

306 名前:名無しさん@3周年:2005/04/21(木) 21:41:42 ID:7meazBh3
死後は悪が存在せず、一切の苦しみが存在しない。
しかしながら、この世でそれを行う者だけが、一切の苦しみのない世界
に入る。

307 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/23(土) 17:30:01 ID:yJ4PfGyQ
□□□□□神通力は公平□□□□□神頼み

〜真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう〜(イエス)
〜この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう。このよう、にあなた
がたにできない事は、何もないであろう〜(イエス)

 そのことが真実であると知ったから、私は宗教上、人に依存することはない。

〜神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは
必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう〜なんでも祈り求めたこと
は、すでにかなえられたと信じなさい〜(イエス)

 自分の願いはもうすでにかなえられたと信じて、くどくどと自分にこだわり自分の願いを祈
 らないこと。何でもかなう永遠の命の世界は、自分にこだわることも一切ないから。


308 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/23(土) 17:31:01 ID:yJ4PfGyQ
―みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように―地上も困る人も、苦しむ人も、貧
しい人もなく全ての人々が幸福となりますように、争いもなく平安となりますように・・・と祈
り求める心は、何でもかなう永遠の命の世界のすぐ近くにいる。

― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―(ブッダ)
修行を完成させ、平安の境地に到達したブッダは神通力を得て、地上でその思いと共に不思議な
能力を発揮する。不完全な私たちでも、人々の幸福、安穏、安楽、平安を願う心は、何でもでき
る永遠の命の世界に近い。自分にこだわることで遠ざかる。

〜使徒たちは主に、「わたしたちの信仰を増してください」〜「もし、からし種一粒ほどの信仰
があるなら、この桑の木に〜
 
 人が誰か他人より勝れた信仰があるということは一切ない。地上では、神は誰にでも権威を
 与えない。奇跡も起こせないのに、宗教上その人を信じろというものは何もない。

309 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/23(土) 17:31:55 ID:yJ4PfGyQ
奇跡を起こせるほどの信仰はないが、命じられたこと(御言)を皆してしまっても、〜わたしは
ふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎない〜と言い、決して誇らない人が信仰を増している。
人に誠実に仕えてその人を喜ばしたり、人々からしてほしいことを人々にもしてあげたり、人に
よくしてあげたり、返してもらうつもりもなく人に貸し与えたり・・・・・・そのようなことが
信仰深い人のすること。

〜ねがい求める者には欲念がある〜(ブッダ)

人は自分の思いわずらいもあって信仰をすることも多い。それらはかなえられたと信じ、くどく
どと祈ってはならない。自分の思いわずらいは、何でもできる神にゆだね、勇気をもって生き、
人の幸福や安穏、安楽のために尽くせるような人は、悩みも少ないだろう。

310 名前:名無しさん@3周年:2005/04/24(日) 09:48:42 ID:7oaIIink
自分のことを願わず自然を楽しみ、「一切の生きとし生けるものは、幸福で
あれ、安穏であれ、安楽であれ」と人々の幸せを願う人こそ、勇気があり、
なんでもできる。

311 名前:名無しさん@3周年:2005/04/24(日) 09:53:10 ID:7oaIIink
人はブッダを見習うことです。自分の所有物さえ捨て去り、人の幸福
を思う人、そのような人は永遠の世界に生まれる。
そのような人を尊敬する人は、天の世界に生まれる。

312 名前:名無しさん@3周年:2005/04/24(日) 21:12:37 ID:HQ1T1hAn
ひとりの人間の意のまま動かされないように、人に人が支配されないように、
不思議な力のない者には、宗教的には「ハイ」と従ってはならないと教えて
いる。




313 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 10:08:35 ID:seSL6/EO
ブッダのカルマ論はどういうものでしょうか。
後世、諸説が生まれ、あくようされているものもあります。

私は、キリストの贖罪による罪からの解放と、ブッダのヒンズー教否定は同根のものだと思います。
悪果善果の繰り返しを、神の愛に気付くことによって、進化へのスパイラルとすることが出来るのです。

314 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 18:00:48 ID:pTSgC8am
「歯ならびが悪くなったり・・・唇がゆがんだり・・・鼻がゆがんだりする・・・
顔が長かったり、顔がゆがんだり・・・・・・」法華経
釈迦の善因善果・悪因悪果の教えは、人を差別するような教えだ。

天国という善いところは、神様が皆公平に幸せにするから善い国だというキリストの教え
は、自分のことばかり考えて生きようとする人の本性を戒め、人を助けなければならない
ような思いにさせる。

キリストの方が、この世の中に対しては有益だろう。

315 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 19:36:07 ID:8kpC2+dI
キリスト教の罪のゆるしは、悪用されやすい。
牧師や神父に従えば天国、反すれば地獄。
たとえ牧師が子供に性行為をしても、牧師に従わないと地獄だと教え、反抗
しないようにできる。

信じれば救われ、信じないと救われないという教えこそ本当は恐ろしい。
自分を整え、法灯明・自灯明で他人に盲従するなというブッダの教えは、人の
行いを正しくする。



316 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 22:39:28 ID:76gE5pUH
では、寺院、仏像、お経、お宮、お守り、神々、宗教儀式・・・・・・・・など様々なものが
信じること、参拝することなどで有益であると教えるが、そのうちどれが一番有益なのだろう?
 「そんなもの、何もならない」と教えるのがイエスであって、ブッダではなかったのか。

奇跡も起こせない人間に盲目的に従うべきではない。皆自分のために人の命令に従って、人の
奴隷になって好きなようにされているが、犬でも自分のためなら人に従って素直になる。

◎自分の願いはもう叶えられたと思って、自分自身のために神仏にしがみつくのはやめなさい。
◎困る人も、苦しむ人も、貧しい人もなく、争いなく皆平安になるよう人のことに対して思っ
ていなさい。自分を思うことなく、一切の生きとし生けるものの幸福と安穏と安楽と願ってい
なさい。こんな善い人が永遠に生きるのです。こんな善い人になりなさい。

「自分のために神仏にしがみつくのはやめなさい。あなたたちは自分のために人より余計に宗教
を行い、人に好きなようにされているが、本当に善い人は、自分のことを思わず人を思う人で、
宗教をしない人でも、自分のためだといって何かにすがることなく生きているじゃないか。あな
たたちは、その人たちより劣っているのですか。」こんなことをイエスやブッダは言いそうだ。

317 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 22:49:54 ID:LnNgrR/x
イエスとブッタに共通点などない。イエスはもともと存在しない ユダヤの商人から作るユダヤ教の中の新興宗教が自分達の商いがしやすいように作り上げた 作り話イエス・キリスト ユダヤ商人が作った新しい商売キリスト教 

318 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 22:54:52 ID:bR5zp0xS
2人ともノイローゼ患者であったが、悟りを開いた。


319 名前:名無しさん@3周年:2005/04/25(月) 23:27:30 ID:YP5We6St
† WEB版★牧会短信 †
http://saeru.shirayuri.ch/?eid=116802#comments

320 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 12:34:46 ID:i20xeVAC
>>316
同意いたします。
キリストやブッダは、何を言いたかったのか。私たちには触れる機会があります。
本を手に入れる機会、文字を理解する能力を得ています。

○○を信じようとするとき、☆☆は、悪意に解釈しようとします。解釈の仕様によって、
いくらでも悪用することは出来ます。
先人は何を言いたかったのか、公正な目で判断していかなければ、宗教家が、真の平和を
示すことができなければ、悪用するものを責めることも出来ないでしょう。

それらの奥に流れている、平和への法則は、西と東で違うものであるわけが無いのですから。
もし、違うものであったのなら、神は故意に争いをさせているのですか。
違います。人間のほんの小さな捨てきれない欲望が、全ての発端なのです。
○○は、☆☆よりすぐれている。この思いの悲しさこそ、神の愛を見失っていると言えるのです。

満たされた思いというのは難しいけれど・・・誰の胸にも原風景としてあることを思い出してください。

321 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 12:47:17 ID:i20xeVAC
>>314
ご参考までに、ひとつ豆知識を。
善因善果・悪因悪果の教えを否定はしません。それは法則として現にあるのです。
キリスト教でも、神の喜ぶことを神の御心のままに行う人が、天国に行けるのでしょう?
その法則について、説明してあるだけなのですよ。

問題は、どうすることが善果に繋がるのかを導くより、犯してしまった罪をことさら脅しに
使ってしまうことです。
罪・・・も赦し・・・も、特に説明しなくても、キリスト教をご存知のあなたならわかっていますね。
仏教にも、赦しのシステムはちゃんと説明されています。あなたがご存知で無いだけかもしれません。

もし機会がありましたら、菩薩とは何だろうと、勉強してみてください。

322 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 12:55:17 ID:i20xeVAC
そうそう、上の書き込みにひとつ補足しますと、
ヒンズー教自体が、善因善果・悪因悪果の法則をみとめてはいるものの、そこから逃れる
方法は示されていないと言えます。
だから、仏陀の教えが、新しいものとして生まれてきたのです。

323 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 17:54:43 ID:1aTP/TM0
1.自分のために信仰して、自分の利益を望んで何かにすがる(御利益信仰)
  
   動物人間・・・・・餌をもらうために必死な人間(まるで犬のよう)

2.自分の利益のために、そのすがっている信仰団体に寄付する

   家畜人間・・・・・自分の利益と損失を洗脳され、寄付すれば有益
            になると思わせられ、信仰団体の幹部を食わせ
            る。




324 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 18:19:38 ID:ezxRJga1
神道ってブッダやキリストから見たら邪教なのかな…(´・ω・`)

325 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 18:55:24 ID:pnDxvTD6
イエスとブッダの共通点

 人に教えても、金銭を要求しなかった


今の宗教団体の共通点

 人間を家畜同然にして信じる者に有益なはからいを語り、
 金品を要求して、自分の食い口にする

326 名前:名無しさん@3周年:2005/04/26(火) 23:25:55 ID:ijNWxXt8
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」釈尊

釈尊は他人をたよりとすることをしてはならないと教えた。
仏教を教えとして学ぼうとしながら、他人をたよりとして法を学ぼうとするから、『家畜人間』
となるのです。

そのような人は人に盲従して、組織や団体に依存して、法ではなく自分の利益だと騙され人に
利用される人となり、家畜のように宗教で人間に利用される人は、死後、畜生の胎内から畜生
の胎内に生まれる人となるやもしれません。


327 名前:名無しさん@3周年:2005/04/27(水) 18:08:54 ID:XTMKqcOL
「林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、
聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」

「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つね
にひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角
のようにただ独り歩め。」

他人に従属しない独立自由な人となる。自分をよくととのえ他人をたより
せず自らをたよりとして生きる人となるのが仏教の一貫した目的。
恐れおののきを捨て、利益を欲する宗教の呪縛からも離れ、自らをたより
として生きることのできる人となることが仏教の目的。

現代仏教は、その仏教本来の教えを180度反転させ悪用し、人を何もの
かに依存させ、人を洗脳し、人を意のまま操り、信じる人から摂取し、人
の利を人が食うようにする恐ろしい宗教なのです。





328 名前:名無しさん@3周年:2005/04/27(水) 21:34:53 ID:NwO5iIGt
自分のために信仰するのみの『家畜人間』、餌につられる『犬人間』

 
`天国という善いところは、神様が皆公平に幸せにするから善い国だというキリストの教え
は、自分のことばかり考えて生きようとする人の本性を戒め、人を助けなければならない
ような思いにさせる。'

人のことをも考えて生きることが最も大切なことだ、と言うと罵倒して逃げていく。




329 名前:名無しさん@3周年:2005/04/27(水) 23:40:57 ID:35Y6vY2Y
>>321
ブッダのゆるしのシステム
 「罪過を告白して懺悔するのを受け入れない人は、内に怒りをいだき、憎悪で重く、怨恨をまとう。
  その怨恨を、わたし(ブッダ)は喜ばない。」

 「恐れること無く、疑い無く、後悔のわずらいの無い人は生存の矢を断ち切った人である。」

仏教は何ものにも依存しない。後悔のわずらいの無い人が神などに罪過を告白して懺悔することはない。
自らが主体となって、罪過を告白して懺悔する人を受け入れる人となれと。
人には自分に過失があれば謝罪するだろう。しかし、見えない何ものかに罪過を告白して懺悔すること
はない。
  


330 名前:名無しさん@3周年:2005/04/27(水) 23:42:58 ID:i8TTP5Xw
>1
>イエスとブッダの共通点とは何ですか?
沈黙

331 名前:名無しさん@3周年:2005/04/28(木) 02:09:31 ID:eiZqnfw4
ブッダがブッダ ブッダが豚をブッダ

332 名前:名無しさん@3周年:2005/04/28(木) 11:57:25 ID:D4Tk0UG2
>>324
神道は、自然の中に神の命や理を見出し、それと調和して生きようとするものです。
つまり、神の命は、人間の中にも外にも見出せるものなのですね。

キリスト者が、人格神をとくに一人に絞らない仏教者を理解しがたいように、
アミニズムも、宗教と切り離して考えようとするものもいます。
しかし、人間の命が感じ、感動することを、神の創造と切り離すことなどできるでしょうか。

そして、それは、生まれた土地や肌の色とは関係なく、同じ神の子であると
言うことは、世界中のアミニズムを比較してみたらわかると思います。

333 名前:名無しさん@3周年:2005/04/28(木) 19:01:47 ID:r174QpK1
ブッダの教えは、神々を超える教え
「有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り・・・・・・・
それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。
またそれらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めて
いる。」
「何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死
の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨てた人。」

334 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/28(木) 23:51:16 ID:8qFya3hf
〜神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは
必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう〜なんでも祈り求めたこと
は、すでにかなえられたと信じなさい〜(イエス)

その言葉の意味する世界を実際知ったから、私は宗教上、人に聞き従うことはない。

神は世の初め、決して死を味わうことのない永遠の命の世界に似せて自然を創造した。
〜林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである〜(スッタニパ
ータ)
しかし、人は神のもので満足せず、―神のように善悪を知る者となることを―という神に背くこ
とを行った。(創世記より)
〜あなたは覚った人です〜あなたは悪魔の征服者です〜煩悩の潜在的な可能力を断って、みずか
ら彼岸に渡りおわり〜麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されま
せん〜(スッタニパータ)

335 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/04/28(木) 23:52:08 ID:8qFya3hf
人々はそれ以来、生まれながらにして神と永遠の命の世界を知ることができなくなった。
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ人々を神のわざでいやされたイエス
・キリスト―多くの財産のある人に貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―

人は悪い者に従わなかったら、困る人もなく、苦しむ人もなく、病む人もなく、貧しい人もなく
全てを幸福にされる唯一の神の人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安を喜んでいる。
〜究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ〜(スッタニパータ)
〜一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない〜(サンユッタ二
カーヤT)

一切の所有物を捨て去る修行により煩悩の断つのではなくて、神のように善悪を知り、賢くなった
ままで、地上であわれみの神を現されたイエスをまことの存在と信じることで人の罪はゆるされる。
なぜなら罪なき永遠の命の国は、全てを幸福にされる神をまこととしている世界だから。


336 名前:名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 17:49:47 ID:cqsbTbNp
1.自分のために信仰して、自分の利益を望んで何かにすがる(御利益信仰)
  
   動物人間・・・・・餌をもらうために必死な人間(まるで犬のよう)

2.自分の利益のために、そのすがっている信仰団体に寄付する

   家畜人間・・・・・自分の利益と損失を洗脳され、寄付すれば有益
            になると思わせられ、信仰団体の幹部を食わせ
            る。


337 名前:名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 05:09:20 ID:bgu2I72j
曼荼羅を拝めば自分が救われるという魔法みたいな
ものは、全て人から金銭を要求するため

人のために生きることを教えているだけだ

338 名前:名無しさん@3周年:2005/05/04(水) 08:12:48 ID:vwW5NtEc
>>332
>自然の中に神の命や理を見出し・・・・・具体的にはどういうこと?

 自然災害も神の理とすると、そしてそれぞれの人が自由な発想でそれを見習うとすると、
 人に対して何をしてもいいという人がでてくるかも。

 人間の感動は、自分が順調で素晴らしい人生を送っているときだけ。

339 名前:名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 15:12:17 ID:kSA/qMnE
自然は弱肉強食。


340 名前:名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 15:51:24 ID:AK+ISaUJ
創造主=人格神
地上を創造した愛に満ちた力のある神様、
その方は、生まれた土地も肌の色も関係なく人という子供を愛している。

自分がその神様が創造された世界で満ち足りた生活を送る時、
神様に感謝し様々なことに感動し喜ぶ。

雨も降らず作物も実らず飢え、地震など様々な自然災害によって苦しんで
生活をしている人は、神様の愛など嘘だという人もでてくる。

本当のことは神様は地上と人を見捨て、しかしキリスト・イエスを信じることで
救済されるというのがキリスト教。>>332





341 名前:名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 16:00:29 ID:COzr0nZB
>>340
地上を想像したのが神ならば在るもの起こる事全て許されるが故じゃないのかなぁ?そもそも憎がないと愛は認識出来ないんじゃないの?

342 名前:名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 21:06:52 ID:OvkAjH0x
>>341
宗教にならないでつ(−◇−)
天国は憎まないから憎まない人は善い人でつ(^^)v




343 名前:名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 22:40:35 ID:Il5idRmc
>>341
自分のために信仰して、人が作った偶像に自分のためにくどくどと祈る犬人間的な
宗教からの解放のために、永遠にある世界を善として信仰の対象にしたのがイエス。
絶対に憎むなと言っているわけではなく、にせ預言者への警戒のためにも教えている。
「にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。しかし・・・・・・敵を愛し」
肝心なことは、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」であって、自分が嫌な
ことは絶対人にするな、むしろ自分が人からしてほしいことを相手にしてあげること
が良い事だと教え、その例えとして強盗に遭い死に掛けた人を親切に助けてあげるこ
とを挙げている。


344 名前:名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 23:06:25 ID:MdxAoqhU
良いから悪いから、正しいから正しくないからといって天罰を与えたり、くどくどと
祈って何かをくれる神はいないとイエスは教え、つまり人間的な感情を持ち合わせた
神はいないが、人間が「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」を行えば人々は
暮らしやすくなる。現実的な話だ。

345 名前:名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 07:50:54 ID:DFZ1n0N7
日本古来の宗教を信仰している日本人は犬人間でつねw
日本人( ´,_ゝ`)プッw

346 名前:名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 20:45:38 ID:+1WSjsxY
お守り、仏像、お経、まじない、寺院、神社、占い・・・・・・・どう吠えたら
主人にかわいがってもらえるだろう


347 名前:名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 10:56:05 ID:NyX6Ak9p
>>340
>苦しんでいる人は・・・神の愛など、嘘だと言う人も出てくる。
泣いていても、笑っていても、大切なのは、生命の実感ではないかな。
何の不自由の無いはずの日本人が、生きる希望が無いという場合もあるし、
物質的には恵まれないアフリカの民が、家族の温もりを根拠に、生を実感し、
溢れるほどの笑顔で今を生きている。

素朴な疑問を大切にして欲しい。
何故、私は寂しいのか。何故、彼らは、笑っていられるのか。
神は、何を意図しているのか・・・そんな大きなことまで話を広げなくても、
まだまだ、自分の目線でしか物事を感じることの出来ない自分に気が付いたら、
結論を出すことは早いことに気が付くだろう。


348 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/08(日) 12:20:52 ID:z3fBr9EA
〜天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨
を降らして下さるからである〜(イエス)
 現実世界は、悪い者良い者、正しい者正しくない者関係なく、或る人に果報を与え、或る人には
 天罰が下ることはない。形あるものを礼拝し、それにより善いと判断してもらえることもない。
 少々善いことを行い、他の人より私は義人だ、善い人だといって判断してもらえることもない。

神を悪い者に従った人間と同格に判断してはならない。天には人間的な神が存在し、地上で善いこと
を行ったからあなたは「よしよしよい人だ」といってかわいがってもらえると思っているなら、形あ
るものの偶像を拝み、それにより義を願うなら神を勘違いしている。形あるものいかなる偶像も神を
現すことはできないし、むしろ神から遠ざかる。


349 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/08(日) 12:21:42 ID:z3fBr9EA
神を悪い者に従った人間と同格に判断してはならない。神は完全に善い存在となった世界で、初めて
神を知ることのできる存在。このような悪い者に従った人間の良い悪いと思う心と、真実の善とは隔
たりがある。

〜この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう。このように、あなたがたに
できない事は、何もないであろう〜(イエス)― そのことを真実であると体験した人は、宗教にお
いて人に聞き従うことはない。永遠の命の世界に入るのは偶像礼拝者に騙されることなく、人に犬の
ように従うことなく最も単純なのである。人は別れねばならない存在であるとよく覚えておき、永遠
の命の国はこのような人間は存在せず、人間を尊敬したからといって永遠の命の世界にはつながらな
と覚えておくこと。しかし、人をゆるし、悪い良いにかかわらず愛することは永遠の命の世界につな
がる。

神は永遠の命の世界を自然として現した。世の初め、自然に満足する心は永遠の命の世界に満足する
ことに近いのである。〜林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきであ
る〜ブッダは彼岸の境地に近いから、そこで楽しみ満足するようにした。

350 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/08(日) 12:23:13 ID:z3fBr9EA
そしてイエス・キリスト。神のわざで多くの人々をいやし、あわれみの神を現さなかったら信じなく
てもよかっただろう。イエス・キリストが盲人を神のわざでいやし、その行いをまこととして人が一
緒になって喜び、病苦に苦しむ人々をイエス・キリストが神のわざでいやし、その行いをまこととし
て一緒になって喜び神と永遠の命の世界を知ることができ、富む者も貧しい者もなく全てを幸福にさ
れる神を人が一緒になって喜び神と永遠の命の世界を知ることができる。敵対することなく神と永遠
の命を知ることができ、人によくしてやり誇ることもなく喜んでいれば神と永遠の命を知ることがで
きる。イエスの行いを善いとする心は、神と永遠の命の世界を地上で知っている。

そして、求める者に与え良いとする者に与えられる。人は良いとする方向に行くだけだから、地上で
善いものをまこととして常に信じていること。神は永遠の命を与えるのに妙な手段は使わず考慮させ
ることもなく、また人にも任せてはいない。また永遠の命を少しでも信じる多くの人々に知れわたっ
ているだろう。「天国は善い世界で、困る人も苦しむ人も富んでいる人貧しい人もない世界」と少し
でも思うならば、偶像を避けイエスを信じればよい。永遠の命の国まで自然と考え、とってつけたよ
うな違和感のあるものは真実ではない。

351 名前:名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 17:24:09 ID:8BaiQUhZ
宗教は哲学と違い死後も存在するとした教え。
人が「完全な善とは何か?」という疑問に対して答えるもの
でもある。
非生存状態は一切の悪が存在せず、一切の苦しみが存在しない
としたならば、五感と意の対象の第六感から離れ、執着する拠
りどころを一切離れた状態が悪のない状態で、苦しみがない状
態であるとするのがブッダ。

死後善いところはといえば、全てが幸福になる世界だと現すの
がイエス。

352 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/08(日) 18:55:15 ID:OIU8zHiJ
〜究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ〜(スッタニパータ)
〜一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない〜(サンユッタ二
カーヤT)

 修行を完成させ、一切の事物は我ならざるものであることを知り、この上なき最上の喜びの境
 地(ニルヴァーナ)において、幸福であること、安穏であること、安楽であることに喜び満ち
 た境地が妄執を滅ぼしつくした罪のない永遠の世界の我であると知ったブッダ。

この世では、― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―と願う
のが悪のない境地。困る者、苦しむ者を知っては、安穏であり、安楽であり、幸福であることを願
う。― 一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない ―


353 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/08(日) 18:56:03 ID:OIU8zHiJ
多くの人々は、一切の所有物を捨て去り自然の中で修行をして彼岸に渡りおわることはできない。
〜あなたは覚った人です〜あなたは悪魔の征服者です〜煩悩の潜在的な可能力を断って、みずか
ら彼岸に渡りおわり〜麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されま
せん〜(スッタニパータ)
また、人々が必要なものを生み出すためには何が正しいか正しくないかの判断も必要でしょう。

―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされ
たイエス・キリスト。また、多くの財産のある人に貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイ
エス・キリスト。
イエスは救世主として現れ、〜みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように〜と地
上も困る人もなく、苦しむ人も貧しい人もないように心を込めて祈り求めることで、永遠の命に
つながる人となるようにした。

354 名前:名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 19:09:14 ID:mn7DK+1K
あまり知られてない話なんですが、この12年ほどは2人とも
東京に住んでいるんですよ。

もう5年も前の話ですけど、私が最後にイエスさんと飲んだ時、彼は自分の親父に
対するコンプレックスに押しつぶされそうになっていたよ。あの時は
珍しくブッタさんが真面目に残業してだとかで、待ち合わせの時間より
2時間近く遅れて来たんだけど、イエスさんはブッタさんに向かって「お前に
俺の気持ちが分かるものか。人の悩みを全て受ける宿命を背負った俺の悩みは、
いったい誰が受けてくれるっていうんだ。お前は“私も人です”で逃げられるけど、
俺には逃げ道なんてありゃしないんだよ〜」などと、めちゃくちゃ泥酔して暴言を
吐きまくってました。今世紀に入ってからはイエスさんとは会っていなけど、もうそろそろ
自分の国に帰るらしい風の便りに聞いています。ブッタさんのほうは、2008年の末までは
東京にいる予定だそうなので、もし興味のある方がいらっしゃいましたら
紹介しますよ。

355 名前:名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 23:24:02 ID:XgmvEOY8
ブッダさんの話 : 成仏は幸福で安穏で安楽なとこです。他に何もありません。
        さあ、一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、
        安楽であれと思いましょう。そうすれば成仏できます。
イエスさんの話 : 天国は神がみんなを幸福にし困る人も貧しい人もいません。
        さあ、この地上もみんなが幸福になるように祈りましょう。
        そうすれば天国に行けます。

  


356 名前:名無しさん@3周年:2005/05/09(月) 23:04:26 ID:2aswqoQ6
人がなんとなく自然に思っていること、完全に思っていること、
  それは死後成仏したら安穏、安らか。或いは苦しみがない。

しかし、宗教的にはこの世で安穏と安楽と安らかなものを目指したり、人に幸福や安穏や安楽を
与えた人が死後善いところに生まれるとする。

人がなんとなく自然に思っていること、完全に思っていること、
  それは死後天国に行ったら、全ての人が病もなく、困る人もなく幸福であり安穏であり平安。
  或いは病もなく困る人など絶対ない。

しかし、宗教的には天国で全てを幸福にする神にこの地上でも仕えたり、困る人もないように祈ったり
する人が死後善いところに生まれるとする。

357 名前:名無しさん@3周年:2005/05/09(月) 23:15:01 ID:2aswqoQ6
人が自然に思うこと、自然に善いと思うことの延長線にあるのが真実の宗教で
はないか。

どのような人に聞いても、おおよそそれは善いことと認められるもの、それが
嘘偽りのない真実の宗教ではないか。

特殊な教え、特殊な人が作った偶像や一部の人に権威や尊敬を持たせるもの、
一部の人を養うもの、それは嘘偽りの教えで、人を騙し金儲けと権威を目論む
悪人の教えで、当然善いところには生まれることができないもの。

358 名前:名無しさん@3周年:2005/05/10(火) 20:24:05 ID:O4Bt9DRA
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を
島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
{この世では自己こそ自分の主である}とする仏教の教え。

人の幸福や安穏、安楽を損なわないように生きれば、むしろ人の幸福や安穏
や安楽を与えるように生きれば自分をたよりとして生きることができる。

他人をたよりとして、他をよりどころとして、特別なものに祈り、特殊な宗
教的行事によって何らかの利が得られるとか、「私たちに布施などをすれば
救いが得られる」とか人を餌で騙して『家畜人間』にする宗教そのものに気
をつけよう。

359 名前:名無しさん@3周年:2005/05/10(火) 20:25:21 ID:O4Bt9DRA
そんな宗教団体に寄付し『家畜人間』にされるぐらいなら、自然災害やその
他貧困に困る人に寄付したほうが、自分のあわれみの心に正直だし善いこと
をしたと思えるから、うまいこと騙され布施などの金銭的欲求に答え『家畜
人間』にされるよりどんなに正直な自分に近づくか、どんなに仏教な行いか
を自らをたよりとして考えてみよう。

360 名前:名無しさん@3周年:2005/05/10(火) 20:35:45 ID:g9t6luCy
ネクロノミコン

361 名前:名無しさん@3周年:2005/05/10(火) 21:21:50 ID:nhEymb/c
むかし、むかし、そのむかし、
 死の恐怖を題材にして、人を脅し金銭を要求する人たちがいた
むかし、むかし、そのむかし、
 神をバックに、人を支配しようとする人たちがいた
むかし、むかし、そのむかし、
 霊力と不思議な力を求める人たちを、食い物にする人たちがいた

そして宗教革命者釈迦は言った
 自分を頼りとして生きればいいのだと

362 名前:名無しさん@3周年:2005/05/11(水) 00:18:09 ID:7vCeEnKr
愛。

363 名前:名無しさん@3周年:2005/05/11(水) 11:52:02 ID:nA21c0bh
>>358-359
同意。

364 名前:名無しさん@3周年:2005/05/11(水) 21:44:00 ID:EWKWA//o
偶像など特定のものに人が依存的な信仰をすれば、人が人を支配することに
なり人の自由を奪ってしまう。
信仰対象を公のものにすることにより、人々が円滑な生活活動を失うことな
く自分自身に従い自由な生き方ができるわけだ。
全てが公平で幸福な世界を基本的な善とすることで、人の幸福を奪うことが
悪、人に幸福を与えることが善とわかれば、その後人は自分の判断で生きる
ことができる。

365 名前:名無しさん@3周年:2005/05/12(木) 14:44:41 ID:zj7CBPJj
そうなんだけど、何が善で、何が悪なのか、単純には割り切れないよね。
イロイロ失敗しながら学んでいくことも多いと思うんだ。
イロイロ経験したり、人と触れ合ったりしながら、悲しみや、感動の中で何かを身につける。

そんなことを、宗派を超えて語り合える場があるといいね。
幸福な人が、何を持って幸福といっているのか。苦難の中で、学んだことはなんだったのか。
傍から見ているだけではわからないことはたくさんある。

こうでなくてはならないと言う思い込みを捨てた時に、見えてくることもたくさんあるんだよね。

366 名前:名無しさん@3周年:2005/05/12(木) 19:34:28 ID:X5nCpo9F
何ものにも依存しない人となること。自分をよくととのえて自己を自分の主とすること。
自らをたよりとして、他人をたよりとしない人間になること。

人々を力で支配し、自分の欲望に忠実であった時代は宗教が必要であった。
今は自分の良心に忠実であればいい。人の良心は人に危害を加えない、自分が不幸だと
思うことを人にしない。自分が幸福だと思うことを、人も幸福であると必ずしも思わな
いということをよく思慮して人に配慮して、自分が幸福だと思うことを人にすれば、人
の数だけ世間は幸福に満ちる。特に自分が安穏や安楽であると思うことを人にすれば、
世間は人の数だけ彼岸の世界のように安穏で平安になる。



367 名前:名無しさん@3周年:2005/05/12(木) 19:35:36 ID:2OSArBua
神のメッセージ
現代の預言者 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html
http://7andy.yahoo.co.jp/books/search_result?writer=%a3%d6%a1%a5%a5%e9%a5%a4%a5%c7%a5%f3
神のいつくしみ
http://www.nowaksvd.opoka.net.pl/jiai/jiai02.htm
カトリック教会の宝
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/index.html
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

368 名前:名無しさん@3周年:2005/05/12(木) 19:43:10 ID:X5nCpo9F
「世間は貪りと怠惰により、それ故輝かない。」弟子アジタに釈尊が話されたように、
世間を輝かせるような理想世界は、人々が貪りと怠惰を捨て、それぞれの人が真理である
幸福と安穏と安楽」に満ちた世界に従うことであっただろう。
そのため法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ、自らをたよりと
せず、他人をたよりとせずと教えた。

「その言葉は真実であって偽りなく、他のいかなるものでもない。また、いろいろな仕事
に従事し、種々さまざまな意図をもってそれぞれに良心による判断に従って行動する人々
に、善根を生じさせようとして」

人が他人にこの世から正しいことを学んで行動すれば、人に依存して正しいことを学べ
ば、ひとりの人の意図した世界になるし、偏った世界になる。そのことは釈尊は大いに考
慮されていたのだ。


369 名前:名無しさん@3周年:2005/05/13(金) 12:12:03 ID:u/f+gaGp
>ひとりの人の意図した世界・・・
救世主が一人しかいないと考えるとそうなりますね。
各時代、各地域で、様々な人の努力があって秩序が保たれてきたのです。

自然な一人一人の良心もありますが、身を挺して守らなくてはならなかったものもあります。
目の前の欲に流されていく部分もあるからです。
しかし、私たちは一進一退しながら、自分の行動を反省しつつ少しずつ前進していくことが出来ます。

学ぶ材料は、内にも外にも、沢山用意してあります。
これでなくてはいけない・・・その思いが、人を盲目にさせてしまいます。
自ら・・・というのも大切ですが、依存する必要の無い自分を見つけられたとき、
それぞれの人もまた、尊敬されるべきところを持っていることがわかり、人は一人で
生きているのではないと言う、存在の意義もわかってくると思います。

370 名前:名無しさん@3周年:2005/05/13(金) 21:54:53 ID:8IL2+JO4
>>366
釈迦の自分をたよりとして、他人をたよりにしない人間になること。
宗教は詐欺師が多いからね。人に騙されないように気をつけよう。
そのことが一番大事なこと。


371 名前:名無しさん@3周年:2005/05/14(土) 00:03:45 ID:QebACQ34
釈尊は自灯明で善悪を見極める教えを人に伝えた。法と自分をたよりとして善を見極めれる
教えを人に伝えた。身体のない世界(彼岸)が善。そこから道理を導き出し教えた。
「道理を語らぬ人は善い人ではない。」と教え、彼岸はこのようだからこの世でこのように
行うことが善であると人々に善悪を明快にした。

372 名前:名無しさん@3周年:2005/05/14(土) 19:28:51 ID:eOgNK0DY
両方結果は一緒だが、
仏教は認識し自覚する宗教
キリスト教は求めて信じる宗教


373 名前:名無しさん@3周年:2005/05/19(木) 16:22:13 ID:N+mMim6v
むやみに信じるのも危ないし、自分を掘り下げて、抜けなくなるのも危ない。
どっちもほどほどにして吉。

374 名前:名無しさん@3周年:2005/05/20(金) 20:02:32 ID:bncpGrvD
私はクリスチャンですが、仏教の事は勉強していないので
良く分かりません。ただ、正座をしなくて済むという点で
私はキリスト教信者で良かったと思っています。w

375 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/21(土) 14:29:56 ID:r4PzP+Yi
〜生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その
人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない〜善をなすのを急げ。悪から心を
退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ〜また悪の報いが熟しないあいだは、
悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟しないときには、悪人はわざわいに遭う〜
〜「その報いはわたしには来ないだろう」とおもって、悪を軽んじるな。水が一滴ずつ滴りおち
るならば、水瓶でもみたされるのである〜(ダンマパダ)

―神いわく〜ひとは、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?もしも、
自分の心を制することができないならば〜
―尊師いわく〜修行僧は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人
を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カー
ヤT)

376 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/21(土) 14:31:01 ID:r4PzP+Yi
ひとを下界(欲界)に結びつける五つの束縛
(1)欲貪 (2)瞋恚=怒り (3)有身見=われとかわがものとかいう観念を離れぬ我執
(4)戒禁取見=誤った戒律や禁制を正しい修養方法であると執着すること (5)疑い

このような自身は永遠には存在せず、執着する拠りどころもなく、地上のもの一切に囚われる
ことなく幸福であり、安穏であり、安楽である境地の世界が永遠に続く我としてある。このよ
うな自身が偶像を拝み、また献供することも永遠には続かない。神は思考されることも、認知
することも、見ることも、人がなんらかの偶像を抱いて識別・感受されることもない。
ブッダの修養方法は、世間から離れ一切の所有物を捨て去り、自然の中で瞑想し大いに自ら満
足する修養方法。永遠の命のその境地は、自然の快適さを味わうのに類似した快適さだから。

正しくさとりを開いた人ブッダと真理との教えとに対して信仰心あり、自然の中で瞑想修行を
した修行者に対して熱烈な尊敬心をもっているならば、また人に気前よくわかち与え、もの惜
しみをしない人々は、天界に生まれてそこで輝く(サンユッタ二カーヤTより)


377 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/21(土) 14:32:17 ID:r4PzP+Yi
自分の欲望のみに忠実ではなく、他人の幸せをも思慮することができ、自分の心を制することが
できる人は、他人を悩まし謗ることなく、また自分の利益のために他人を利用しない。―他をな
らかしめて、自らの利を欲してはならない―はブッダの教えにもある。

〜「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」『わたしが好むのは、あわれみであ
って、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい〜(イエス)
〜「神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して〜イエスが言うその神は、人が善いところ
に生まれて、決して死を味わうことのない世界を知った時、初めてわかる神である。その善い存
在は、困る者も苦しむ者も病む者もなく一切を幸福にされる神を人知ではとうてい測り知ること
のできない神の平安のもとまこととし喜んでいる。〜キリストは、神のかたちで〜おのれをむな
しうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた〜この世に惑わされず耐え忍んで善い信仰のあ
る人は、永遠にそのままである。

そして、その世界のように他人の幸せをも思慮することのできるその実のある人は御言を受け入
れる。

378 名前:名無しさん@3周年:2005/05/21(土) 15:49:24 ID:JWeUtK1s
>>374
正座は日本において行儀がいいといわれるひとつの形でしかない。
インドでも、朝鮮でも、行儀良い姿勢は正座ではないしね。

379 名前:名無しさん@3周年:2005/05/22(日) 11:54:17 ID:qtQhtWnn
人間の知性が高ければ、人のことを思慮できる。
人のことをも思慮できる知性があれば、偶像は存在しないという結論がでるかもしれない。
人間はひとりで生きていくことができないという思慮ができることと、
文化や文明は個人の幸福のみではなく、人間全体の互いの幸福や安楽や安穏のためにあると
いう思慮ができれば、安全重視や不幸のない人をつくる人間重視の社会的活動を国や企業、
または個人が最優先するだろう。

戦争により被害者がでる、その被害者のことをも思慮できる知性があれば、戦争の多大な労
力によっても幸福を求める人間への被害があると思慮できれば、どんなに年数を費やしても、
話し合いで問題を解決しようと考えるだろう。

しかし、人は聖者と呼ばれる人のように生きているだろうか。理論的には存在しない偶像を
拝ませても、平和を訴える人に間違いはあるだろうか。

問題は宗教同士が信者獲得のために争うことと、人のことも思慮しながら生きている人々に
も、信仰の必要性を訴えることだろう。丈夫な人には医者はいらないだろうから。


380 名前:名無しさん@3周年:2005/05/22(日) 13:51:13 ID:icDBA4bd
仏教も信者を修行僧に依存させた。
世間と財産などを捨て去り、空の定義を
人に教えるため。

人は何もしなくても善。なぜなら彼岸は
人間の行為もなく善。

381 名前:名無しさん@3周年:2005/05/22(日) 14:43:03 ID:Krmm6EkX
>>380
それは道教でもいわれるね。
『為無為』というやつ。

382 名前:名無しさん@3周年:2005/05/23(月) 20:40:43 ID:iW9lsCaa
仏教には業の輪廻という教えがある。これは悪いことをするなと教え諭す方便的な
ものかもしれないが、
 「殺す者は殺され、怨む者は怨みを買う。また罵りわめく者は他の人から罵られ、
  ・・・・・・・・業の輪の廻転によって、掠め取られた者が掠め取る。」
 ―戦争についての二つの説示

平和のためといって正当性を主張して正義の戦争をするが、戦争を指示する人間も
それに賛同する人間も業の輪の廻転の中にいるとするならば、戦争で被害を受けた
子供たちや家族は、戦争を指示しまた賛同した来世の姿かもしれないということ。

人間の正義と悪の妄想分別など、自分たちの行いによって犠牲になる人々のことま
で思慮しないと過ちを犯すと釈迦は業の輪廻という喩えで教えているのだろう。

自分が人に行ったことが自分が人に行われることになると戒められれば、どのよう
な人の幸福をも奪わない人となろうとする。

383 名前:名無しさん@3周年:2005/05/24(火) 15:53:48 ID:6RvlvuEL
そうですね。輪廻というと、悪用や諦めに使われがちですが、どうしたらその苦しみの
循環から逃れられるのかが、釈迦のテーマでした。

キリストも言っています。「目には目を」この理屈では、本当の解決は導き出せないのです。
その常識を覆す為には、神の計らいを信じて愛してみて、結果を知ることしかないのです。

384 名前:名無しさん@3周年:2005/05/24(火) 15:57:52 ID:6RvlvuEL
↑キリストも常不軽菩薩も

385 名前:名無しさん@3周年:2005/05/24(火) 18:41:34 ID:6IWkr5bi
損だと思うことをすることに信仰の意義がある。
それは人間社会から遠く離れたことではない。
初めの教えはそういうものだったかも。


386 名前:名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 16:19:07 ID:9QdF0LPJ
損か得かで考えるのではなく、与えるか奪うかと言う目線で考えてみたらどうだろう。
与えることは決して損ではないし、奪うことが得にはならないことに気付くと思うよ。

教えと言うよりも、それが自然の流れなのだと言う。
流れに逆らった生き方で、苦しみを自ら引き寄せているのだと・・・。


387 名前:名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 18:28:43 ID:0CUD7tKa
「今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。
今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、
きたならしい。」ブッダ

388 名前:名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:00:06 ID:DvfE9DTt
>>382
神らしい存在があって、その存在は目にを目を、歯には歯ををする。
人間社会も当事者同士の争い事は、許すことを教えられても、
第三者の裁判官は、犯罪者を被害者の苦痛に見合うように裁かない
といけないよね。
そうしないと次の犯罪を防げなくなるから。


389 名前:名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 16:25:18 ID:ceco8LNx
>>388
よく言われることなんだけど、そうだったら、裁く人、死刑執行する人の罪はどうなるのだろう。
人間の理屈だと、それは仕事なんだから罪にはならないと言うことも出来るけれど、
実際のところはどうなのだろう。

386で言うように、人間の理屈と自然の流れが同じだとは限らないよ。
その理屈で、本当にすっきりできて、禍根が残らないのならば、それもひとつの真実かも
しれないけれど、そう言い切れるだろうか?

私が言いたいことは・・・それで被害者の苦痛に見合うのだろうかということなのです。
それで、その苦痛をのり越えることができるのだろうかということなのです。


390 名前:名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 17:01:08 ID:ceco8LNx
・・・常に殺を司る者有りて殺す。それ殺を司る者に代わって殺す、是を大匠に代わって
削ると謂う。それ大匠に代わって削るものは、其の手を傷つけざること有ること希なり。

(・・・それらのものをいつも殺す役目のものがあって殺すのだ。殺す役目のものの代わりに
殺すことは、いわゆる偉大な工人に代わって木を削ることになる。ところで、偉大な工人の
代わりに木を削るとき、自分の手を傷つけないものはまれである。)  老子


「あなたはすべての魂の運命は決まっていて、我々は運命の流れの中に漂う麦わらでしかない
とおっしゃりたいのですか?」
「いや、まったくそうなのではない。大いなる地球の出来事は決まっている。それらは
不可避的に地球のある時期に生じるようになっている。
しかし、どのようにこれらの出来事が人間の魂の生涯に影響を与えるのか、あるいはそれらが
善と悪の、幸福と悲しみの分岐点となるのかどうか、それらは魂それ自身の判断による
のである。
・・・・・・
人が宿命の道を最大の努力と善を持って精進し,その魂が純粋で無欲であれば、あの星は
清浄な汚れの無い光線で輝き、魂の道筋を照らし出すのである。」フランチェッツオの言葉

391 名前:名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 17:24:11 ID:ceco8LNx
↑フランチェッツオの言葉×
フランチェッオと言う霊人の問いに関して答えた、指導霊の言葉

392 名前:名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:20:15 ID:9AHR9YRD
(58)神の命令は愛
〜究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは〜あたかも、母が己が独り子を命を賭けて
も護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。〜
上に、下に〜障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。立ちつつも、歩みつつも〜眠らないでいる限りは、
この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ〜(スッタニパータ)

〜わたしたちに命じられたように、互いに愛し合うべきことである〜神は愛である〜現に見ている兄弟を愛さな
い者は、目に見えない神を愛することはできない〜(新約聖書)
〜人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない〜(イエス)


ブッダも究極の理想を目指す修行僧をとおして、人々に慈しみが一番大切だと教えたわけ
だ。自分の利益のみ知り信仰する人はきたならしい。

393 名前:名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 20:16:41 ID:PPl0cmhs
この世では、無欲の究極の生き方が慈しみ、愛。
人は悟りを目指す時点で、自分の利得を欲している。
それから究極の善を釈迦は教えるわけだ。

394 名前:名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 00:26:29 ID:LBsYZ9+8
今日、利益をめざさない友は、得がたい(ブッダ)=人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない(イエス)

今日、自分の御利益を求める信仰(偽?)は多い。


395 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/28(土) 15:31:17 ID:gJhuLKsO
ダニヤ〜わたしはもう飯を炊き〜わたしは妻子とともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ〜
    神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜
ブッダ〜わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、
    欲情の火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜
ダニヤ〜わが妻は従順であり、貪ることがない〜わが意に適っている。かの女にいかなる悪のある
    のをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜
ブッダ〜わが心は従順であり〜永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたくしには
    いかなる悪をも存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜
ブッダ〜牡牛のように結縛を断ち〜神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ〜
〜怱ちに大雲が現れて、雨を降らし、低地と丘をみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは
次のことを語った〜われらはあなたに帰依いたします〜

 人は自分たちの生活環境を気にして感謝したり、平和や自分たちの生活環境をよくしようと思っ
 って神を信じるが、神の望みは自分をよくととのえてこの地上に生まれないことと教え諭すブッ
 ダ。

396 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/28(土) 15:32:13 ID:gJhuLKsO
〜地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むために
きたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめを仲たがい
させるためである〜わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない〜(イエス)

 人が求める平和は、他人が良くなって初めて平和を感じること、他人を良くして平和を求める
 心が強い。非我なるものを我と思いなし、我を忘れてしまっては永遠の命の国には入れない。 
 他人を自分の意のまま動かそうとする心が先立てば、他人にも意思があり、その人の人生があり
 平和どころか対立することは当然あるだろうし、その人の幸福感をも損なう恐れがある。

〜兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目にある梁は見ない
でいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えよ
うか〜わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない〜(イエス)
〜他人の過失を見るなかれ、他人のしたことしなかったことを見るな。ただ自分のしたことしなか
ったことだけを見よ〜(ブッダ)


397 名前:名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 09:37:34 ID:BRwidKdk
人を自分たちの支配に入れるのが宗教。
それは他人を自分の意のままにしようとすること。

398 名前:名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 09:40:59 ID:BRwidKdk
みんな俺たちの言うことを聞かないとダメだと言ってるじゃないか。
みんな自分たちの信じることを信じろ、そして奉仕しろ、金銭を要求して
いるじゃないか。

399 名前:名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 10:27:56 ID:MA6blpFt
宗教は人を支配し、自由を奪い、人の自由な幸福を奪い、人に別の幸せを押し付ける

400 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/29(日) 12:28:19 ID:W0Ol/MG2
迷いなく、こだわりなく、恐れなく、この世もかの世も望むことなく幸せな決して死を味わうこ
とのない永遠の命の世界に基づき、この身の愛欲、欲情もなく自然を喜び、満足するものに近い
永遠の命の境地に基づき、恐れおののきを捨て、非我なるものを我と思いなし、固体に執著し、
或るものを、ああだろう、こうだろうと考えて虚妄なるものに迷うことなく、生存のための妄執
も、生存の断滅のための妄執も捨て去り、何ものにも依存することなく、人の幸せを奪わない人。

〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?賢者は、自分の身
をよくととのえて、自分の主となり得る〜(感興のことば)

 悪くなかったら、この世もかの世も望むことなく、恐れなく生存のための妄執もない。また、
 生存の断滅のための妄執もない。たとえ無一物でも、永遠の命の世界のように類似した自然
 を楽しみ、失望も羨望もこだわりもなく、悪い者に従って生まれたものから解き放たれて幸
 せを感じる。その人が何を頼るというのだろう。何に依存して自分の利益を望み、架空の偶
 像なる存在をつくりなし信仰をするというのだろう。無神論者でも、自分のためなら自分に
 頼って力強く生きている。


401 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/05/29(日) 12:32:20 ID:W0Ol/MG2
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病苦に苦しむ人々を神のわざでいやされたイエ
ス・キリスト―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリ
スト―

― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―(ブッダ)

耐え忍んで善を信じた人が、病む者も苦しむ者も困る者なく安穏で安楽にされ、富む者も貧しく
もなく全てを幸福にされる神によって善い国に入る。その神は公平でありあわれむ。

世の初めのように神のもので満足すれば信仰はいらないだろうが、人には人々から何かしてほし
いことがある。また、人より偉くなりたいと思う人までいる。人は自分だけではなく、他人も同
じように幸福を求めているだろうから、その人々も公平に思い幸福も尊重してあげないといけな
い。
人々に自分のしてほしいことを命令するだけ、人が何かの権威を獲得し、人々のためにならない
が偉い者として人々に命令するだけでは、人々の幸せを損なう。

そのような人は、やがて裁きを受けるだろうし、そのような人にならないことをも意図しイエス
やブッダは教えている。「人は皆公平だ、自分の幸せを求めることにより、他人の幸せを損なう
な、その言葉に従え」と言ってもそれは善の国に忠実な言葉。



402 名前:名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 21:05:20 ID:wKHvpNoN
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を
島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
{この世では自己こそ自分の主である}とする仏教の教え。

人の幸福や安穏、安楽を損なわないように生きれば、むしろ人の幸福や安穏
や安楽を与えるように生きれば自分をたよりとして生きることができる。

他人をたよりとして、他をよりどころとして、特別なものに祈り、特殊な宗
教的行事によって何らかの利が得られるとか、「私たちに布施などをすれば
救いが得られる」とか人を餌で騙して『家畜人間』にする宗教そのものに気
をつけよう。

でいいでしょう。


403 名前:名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:34:52 ID:lxdX4sU+
彼岸=天国=人の死後だ

人の死後は偶像など拝むこともなく、人に支配されないから、
そこらへんを思慮できない人間は『家畜人間』となるわけだ。
もともとすがるものがないわけだから、人は恐怖を抱き何か
にお助けを願っても、それは無効。
「普段から自然に接して健康体でいろ」というのがブッダ、
人の死後から公平性を見出し、人々に役立たないのに権威を
つけて偉いとしないのがイエス。

404 名前:名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 15:41:32 ID:pokiK5rt
398
つまり、しらずしらずのうちに罪を作っているんだね。
大きなオセワも、人によっては必要かもしれないけど。

幸せになれるよ・・・って、人によって違うからね。
選択肢の一つ、と言うことにしておいて、自分で選ぶ時間と自由を尊重しなくてはね。
心配して押し付けなくても、植物は光に向かって伸びていくからね。

405 名前:名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 21:58:51 ID:X99xqdDw
>>399
信仰して幸福な人と、信仰しないで幸福な人を考えると、
人はそれぞれの自由な意思で、信仰するしないを決定する。

自分以外の他の人の影響で、どうしても信仰しなければならない状態
に陥った時に不満を言う。

406 名前:名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 22:18:01 ID:ihGmNxoF
人が人を支配して、幸せになったと思わされた国は他にもある。



407 名前:名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 19:52:28 ID:vG240Uzd
>>406
だから、自分が自分の主となる教えが一番大切なんだ。
「あ〜あ、誰かがそう言うからそ〜なんだ」という自分で思考することのできない人間は、
人の奴隷にされる。
最も正しいことは彼岸であり、空の論理を思考していけば自分で正しい生き方がみつかる
としたのがブッダ。

408 名前:通りすがり:2005/06/01(水) 17:00:50 ID:3Bmt1Ve/
407さん、同意。
知らず知らずに人の奴隷になって、ストレスを溜め込んでいる人は少なく無いね。
かといって、孤独の中で、自分を確立する勇気も無い。

でも、焦らなくていいと思う。強くならなくてはいけない時期は、人それぞれ
いつかやってくるけど、それまでに少しずつでも自分の姿が見えてくるようになるものだから。

409 名前:信仰者 ◆myyIOsk/QA :2005/06/03(金) 20:34:20 ID:ATPAYmN+
>イエス様も、お釈迦様も、モーゼ様も神の代理者です。

410 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/03(金) 21:58:21 ID:dHzatXPR
自分のことを思うなら、人のことをも思うべきであると考える良識のある人はイエスを非難で
きない。
〜不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
これらのことのために、神の怒りが下るのである〜(新約聖書)

 困る人も、苦しむ人も、病む人も、富んでいる貧しい別のない世界。ブッダが彼岸の世界を― 
 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ― としてこの世の思
 いとして教えたように、多くの人は天国という善いところで、困る、苦しむ、病む、富む貧し
 い別なく全てが幸せな世界だと思うだろう。死後成仏できたなら、一切が安穏だと思うだろう。
 このような自身は存在せず別のものとなり、その善い世界を喜んでいるとするのが自然だ。

その世界が善いと思うなら、この地上でも善いことをできる限りするか、善いと認めて反するこ
とを善としないのは当然ではないか。イエスもブッダもそれを善いと認め、耐え忍んで生きるこ
とで善いところに生まれるという教え。

411 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/03(金) 21:59:13 ID:dHzatXPR
その善いところに人の手でつくられた偶像があるというのは不健康である。その善いところは、
このような人間は存在せず、思考も何かを認知することも、五感もなく見ることもできず、人が
なんらかの偶像を抱いて識別・感受できることはない。

〜「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく〜と罪
人が自分と同じような人間的な神を想像し、私は良い人間だから認められるだろうと報告する
ように祈っても、それを認める神はいない。神に対して何らかの偶像を抱いても、それは神を
罪に定めることとなる。永遠の命の世界の善い存在は、このような人間は存在せず神の平安、
全てが幸福になった世界を喜んでいる。私は良い人間だからといって誇る存在は何もない。自
分自身にこだわることさえない。

〜「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と
言ったとしても、その言葉どおりになるであろう〜(イエス)

 私は人より信仰があるという人は誰もいない。信仰上「あの人は信仰の優秀な人だ、彼は神
 に任された人で、あの人に従っていけばよい」という人はない。人は平等にからし種一粒ほ
 どの信仰はないのである。

412 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/03(金) 22:00:10 ID:dHzatXPR
信仰を増すということは、命じられた御言を皆してしまっても、決して誇らず「あたりまえの
ことをした」と思う人。「私は良いことをしました、良い人です」と認めてくれる偶像的な神
はいないのだから、「ふつつかな僕です、すべき事をしたに過ぎません」と言って善行に対し
て誇らない。
〜あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜
 永遠の命の国は、「我が物という愛着」はなく、自身に囚われることなく、自分によくし
 てくれる、よくしてくれないからという思いはないから、恩を知らぬ者にも自分によくし
 てくれないという人にも、なさけ深くあること。自分の持ち物を相手に与えたことで、相
 手が幸福になるなら、その行いは善である。

〜兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか〜
 永遠の命の国は、敵味方の識別はない。平安と安穏な生活を望み、どのような人にも近隣の
 人には対立しないように願い挨拶をすること。

□信仰を増すことが、存在することのない偶像的なものに尽くすより、御言を行うことで善の
 国に通じる人となる。

413 名前:yamakumadagaya:2005/06/03(金) 22:34:39 ID:pIhzA5K5
ふふ、ここの浄土真宗議論など小川のせせらぎに過ぎぬ
下のスレには本物の求道者がいる。
霊性とはなにか、参学されたければトピに参加されるもよし、ここで偽者の悪知識と戯れるもまたよし。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=552019920&tid=a5aa5bfbda165a4ka4da4a4a4f8la4j9ga4a4a4dea47a4ga4a6&sid=552019920&mid=119000


414 名前:名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 00:47:32 ID:27MEK3Pj
>>411
要するに、善いところは何もない世界

415 名前:名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 00:49:30 ID:27MEK3Pj
善いところは何もない世界と悟ることが悟ること

416 名前:名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 08:59:05 ID:MOv6Ntgw
>>415
善いところは何もない世界と悟ることが悟ることなら、善いことは何もしない
ことが善いことと悟ること。

善いところは何もない世界と悟ることが悟ることなら、善いことは何も考えな
いことが善いことと悟ること。カ?

417 名前:名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 09:21:58 ID:J/5gy/9Q
小川のせせらぎ・・・いいですねェ。

善い悪いに囚われずに、当たり前であること。
当たり前であることを喜ぶことができれば、誰に誇る必要も無い。
・・・誰かに認められる自分でありたいと思うこと。それにあてはまる基準に縛られること。
それを偶像だと言っているのかな。

418 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/04(土) 11:37:44 ID:hi+3E6Ii
永遠の命の善い国は、人の手で作られた偶像は存在しない。あの偶像、この偶像を拝んで救わ
れるというたぐいのものは存在しない。そしてそれらを褒め称え、先生といわれ尊敬される人
もなく善であり、人間が存在せず善の国が永遠である。

〜わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にい
ますわが父の御旨を行う者だけが入るのである〜(イエス)
 善の国では『主よ、主よ』などと言うことも無く善である。

〜終わりの時には〜自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる
者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、裏切り者、
乱暴な者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる
者〜

〜たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても〜わたしたちには、
父なる唯一の神がいますのであって、万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する〜
(新約聖書)

419 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/04(土) 11:38:45 ID:hi+3E6Ii
〜有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの、考えられるもの
であって、好ましく愛すべく意に適うもの、― それらは実に、神々並びに世人には「安楽」
であると一般に認められている。またそれらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」で
あると等しく認めている〜(スッタニパータ)

 世の終わりには神々さえ苦しみを味わうから人は神々には依存できない。神々に依存して
 も何もならないのだと教え諭すブッダ。ましてや人に依存できるはずがない。

〜世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる
人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう。かれは、悪
を静めて、世界の終極を知り、この世もかの世をも望まない〜(サンユッタ二カーヤT)



420 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/04(土) 11:40:08 ID:hi+3E6Ii
世界の終極に、―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神の
わざでいやされたイエス・キリスト―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさい
と言われたイエス・キリスト―キリストは、神のかたちであらわれたが、神と等しくあること
を固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿に
なられた―

― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない ―

 普通、世界の終極といえば、困る者、苦しむ者、病む者、富む貧しい者なく一切が幸福で
 あり、安穏であり、安楽であると思う人が多く、また神はそのようにされる。その神を信
 じなさい。人は偶像など拝まなくてよいから、神々を信じなくてよいから、人々に対して、
 幸福であること、安穏であること、安楽であることを心得て生きること。
 苛酷なることなく、貪欲なることなく、万物に対して平等である神を信じ、動揺して煩悩
 に悩まされることなく、公平とあわれみと忠実とを重んじて生きること。

421 名前:信仰者 ◆myyIOsk/QA :2005/06/04(土) 21:28:39 ID:8wUZuIOT
http://u.skr.jp/128/files/8999.jpg

422 名前:名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 23:10:35 ID:klouZhQz
完全な善の世界が慈悲、自由、公平(平等)を訴えても、その究極は人を拠りどころ
としないことでしょ。
客観的に考えても、それが理に適っていると検証できるなら、それを信じても良いか
もしれない。
仏教は道理を大切にする宗教。人を盲信することはいけないし、神というものに感動
して信じるだけではいけない。
信じ込んでそれが正しいと思い込む人など大勢いる。


423 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/05(日) 09:09:29 ID:3wLv4i4L
良識がある人なら、おおよその人が受け入れられるようにしたイエス・キリストの教え

 □□神を信じる人

 □□神は信じないが、自然のままで善いことは何かと考えられ、道理により信じる人
  
 □□いつ頃来るのか、と将来に期待する人

〜心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せ
よ〜(イエス)人はそれぞれイエスの言葉を聞いて、良いと思うことを行うこと。
人はそれぞれ自由な意思があるから、それぞれの人が良いと思うことを行えばよい。

〜自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ〜 自分を愛するだけで、隣人には自分
が人にしてほしくないことを決してするな。自分を愛するならそのように隣り人を愛す
ることを戒めとしておくこと。

424 名前:名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 12:54:13 ID:4/XwMxnS
どっちも人間存在を罪深いものとしているところは同じだろうな。

425 名前:名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 13:28:30 ID:azJJQEQA
罪という題材がないと、信仰をする意図がなくなるからさ。
その題材のない信仰は、「欲求をもっと満たすため」または、
「好きだから」となると思われる。

何か人より余分にやることは、「やらねばならない」のと、
「別にやらなくてもいいのにやる」のと違うんだろう。

426 名前:名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 15:24:11 ID:Ok/cMK1X
人間を罪にすることで、半ば強制された宗教環境をつくりだす。
完全な善の世界が慈悲、自由、公平(平等)を訴えても、罪という
題材を前面に出すことで、誤った宗教環境、誤った宗教となる。


427 名前:コテトリップ:2005/06/05(日) 15:55:07 ID:Recjxs0w
イエスとブッタが共通した所あったところで何も変わらないぜ
うちのおかんととなりのおばはんが共通したところでおとんはとなりのおばはんと
結婚やり直す事が絶対ないようにさ

428 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/05(日) 18:57:38 ID:ldQrCjWj
〜人々は自分を愛する者、金を愛する者〜高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者〜こう
した人々を避けなさい〜(新約聖書)
〜人をさばくな〜人を罪に定めるな〜ゆるしてやれ〜あなたがたは、敵を愛し、人によく
してやり、また何もあてにしないで貸してやれ〜(イエス)

 永遠の命の世界は、人をさばかず罪に定めず神とともに喜んでいる。誰も責めず、敵と
 認知することもなく、憎むことなく神とともに喜んでいる。人によくしてその人が幸福
 になったことを自らのように喜ぶように、全てが幸福になったことを喜んでいる。我が
 物という愛着はなく神とともに喜び、人に何かを貸し与えてその人が幸福になったこと
 を自らのように喜ぶように、全てが幸福になったことを喜んでいる。

 罪なき永遠の命の世界は、人をさばかず罪に定めず神とともに喜び、誰にもさばかれず
 罪に定められることなく、責められることなく、敵意を持たれず、憎まれることなく神
 とともに喜んでいる。人によくされて苦痛を味わう人がいるだろうか。おおよそ幸せだ
 と思うことが多いだろう。自らも慈悲の国で幸福なのである。


429 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/05(日) 18:59:25 ID:ldQrCjWj
〜こうした人々を避けなさい〜おおよそ自分を愛するだけの人からは、幸福を得られるこ
とは少ない。金銭に愛着があり人に分け与えることを知らない人からは、その人を友とし
ても互いに融通しあうことがないから、そのうち打算的になることが多い。恩を知らぬ者
からも愛する心が失われることがある。無情な者、そしる者、粗暴な者、裏切り者、乱暴
者などからも、それだけその人から幸福感を得られることが少ないのではないか。
人は完全ではないから、人や社会環境から影響を受けることが多い。

〜今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益を
めざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のよう
にただ独り歩め〜(スッタニパータ)

 ブッダと修行僧は自分の利益のために交わりを結ぶ世間から離れて、森の中で暮らし、
 修行を行った。利益をめざさない良い友といることも、永遠の命に近いということに
 なる。


430 名前:名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 19:05:51 ID:dTmB7rUa
永遠の命とは、神の命って事だと思うよ。
永遠とは、神の領域だからね。
そして命とは、神の息であり風だよ。
つまり、神の風が吹く時を生きるって事だよ。

431 名前:名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 20:25:11 ID:nyQT4y9e
>>424
人間は、苦しんだり迷ったりするからね。
幼子の様に・・・、動物の親子愛のように、無垢でいられたらいいんだけれど。

432 名前:名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 22:28:23 ID:MjBXFww9
>>424
人間の存在を否定するような教えは危険だよ。
危険な宗教と危険でない宗教は、人間の倫理道徳から離れない宗教。

433 名前:名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 22:32:17 ID:MjBXFww9
>>432
危険な宗教と危険でない宗教の区別は、人間の倫理道徳から離れない宗教か
どうか(訂正)





434 名前:信仰者 ◆myyIOsk/QA :2005/06/06(月) 22:34:41 ID:IkpSuK07
   ◇◆ 釈迦が説いた救いと調和の原点 ◆◇

『八正道のこころ』  堀田和成氏著作  法輪出版
  

435 名前:名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 00:09:35 ID:BYr3jI1N
>>430
永遠の命の言葉とは、永遠にあるものを言葉で現したもの。
それを相手に伝えようとすることは難しいものだろう。
相手は何が永遠か、何が永遠でないか考えながら教えを聞かねば
ならない。


436 名前:名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 23:01:18 ID:YNOU6ScV
清水義範のザ対決で対決してるよ。

437 名前:信仰者 ◆myyIOsk/QA :2005/06/09(木) 21:52:04 ID:bEwlY8Ry
◇◆至上主(かみ)クリシュナ バガヴァット(神の中の神)・ギーター(神の言葉)◆◇

       堀田和成氏著作・法輪出版 (1997-11-15出版)

     http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4938418401.html

   

           〈忙しいのでしばくの間これにて失礼〉


438 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/09(木) 23:26:41 ID:H6y4Zgd2
□まことである人は存在しない
人にまことを見出そうと思い人を評価するが、まことである人は世の初めから存在しない。

〜わが妻は従順であり、貪ることがない〜わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあ
るのをも聞いたことがない(牛飼いダニヤ)
〜わが心は従順であり〜永いあいだ修養したので、よくととのえられている〜(ブッダ)

〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した〜(サンユッタ二カーヤT)
〜全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている〜(新約聖書)

 人を正しい存在であると思うならば、その人から悪を見出した時、悪い人だと決めつけ
 嫌ったり、ゆるさない。人はまことの存在でもなく、過失があり悪いところがあって当
 然の存在である。人のあやまちをゆるせるような人は、人は悪しき者の配下にあること
 を知り、人に義を求めず、真理のことばに義を求める人。
 

439 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/09(木) 23:27:45 ID:H6y4Zgd2
(62)あなたの神
〜この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法と島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ〜(大パリニッバーナ)

〜心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ〜
〜自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ〜これらの二つのいましめに、律法全体と
預言者とが、かかっている〜(イエス)

 ―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざ
  でいやされたイエス・キリスト―
 ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない ―

永遠の命の世界で、一切をあわれみ幸福にされる神と修行を完成させ罪なき人となり、一
切が幸福であり、安穏であり、安楽である世界を説くブッダ。その教えや法をよりどころ
として、宗教の上で罪過ある人をよりどころとしないこと。


440 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/09(木) 23:28:39 ID:H6y4Zgd2
(63)人の罪をゆるすこと
〜罪過を告白して懺悔するのを受け入れない人は、内に怒りをいだき、憎悪で重く、怨恨
をまとう。その怨恨を、わたしは喜ばない。そなたの罪過の告白を、わたしは受け入れる
〜(サンユッタ二カーヤT)

〜もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるして
やりなさい。もしあなたに対して一日七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言っ
てあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい〜(イエス)

 神が創造されたもので満足せず神のように善悪を知り、人が賢くなって人の手で作られ
 たものが必要になったことに対しての罪は、あわれみの神を現したイエス・キリストを
 信じることでゆるされる。イエスの言う罪は、兄弟にむかって愚か者と言ったり、ばか
 と言ったり、悪人に手向かってしまったり、おおよそ御言に反する自分を愛するだけで、
 隣り人を愛さない行為のことでしょう。

441 名前:名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 00:49:09 ID:MMYw/t5A
興味あるスレです。
 私は、中村原始の原始経典、大乗経典等を読んでみましたが、今日この頃
原始経典の「感興の言葉」の中の第27章以下が最も自分にあっている、又は
好きな経典と思うようになりました。そこで、27章以下を毎日読む事にしました。
これなら覚えやすいし、日々の行動に生かしやすいと思っています。
 あなたには、私のような部分がありますか?

442 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/12(日) 21:28:36 ID:8d8Om4pt
〜世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜
〜この身は泡沫のごとしと見よ。この身はかげろうのごとしと見よ〜

〜あなたがたのいのちは、どんなものであるのか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、
 たちまち消え行く霧にすぎない〜(新約聖書)

人は自己を自身であると思っている。しかし、その自身は死んで滅びるものに過ぎない。
自分自身を愛し、その自身に囚われ信仰をしても、その信仰は無意味に近いだろうし、永
遠に続くものに近づかない。


443 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/12(日) 21:30:04 ID:8d8Om4pt
他人の過失を探し求め、他人を見下しているわけではない。
偶像や神々を信じることで義を求める、或いは願い求めても、その自身が存在しないのだ
から、永遠の命につながることはない。

さとりを得るための七つのよすが(七覚支)を楽しみ、
 択法・・・・・・教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨てる。

その自身が消滅した世界をよく思慮して、教えの中から真実なるものを選びとり、偽りの
ものを捨てる。ほんの一部分だけに書かれたことは偽りである可能性が非常に高いし、複
数の経典に書かれたことは真実とみなしてよい。また『道理を語らない人々は、善い人々
ではない』『道理によってそれをよく説き伏せて』、この『道理』も複数の経典にあり、
異論が起こったときには、「このようだからこれが正しい」と誰でもわかるように教える
ことができるものが真実である。

444 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/12(日) 21:31:34 ID:8d8Om4pt
(64)他人を見下げるな
〜他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する。かれ
は実に真理を見ることから遠く隔たっている〜(ウダーナヴァルガ 感興のことば 第二
十七章 観察)

〜自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して〜パリサイ人は立って〜
「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、ま
た、この取税人のような人間でもないことを感謝します〜・・・・・しかし、神に義とさ
れた者は「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と言った取税人であった〜おおよそ、
自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう〜(イエス)

>>107
〜自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは見る視力が無い〜(スッ
タニパータ)

 永遠の命は、自身に囚われ「私を善い人」とすることも無いし、「私は善いことをやっ
 たから」と言っても認める神はいない。永遠の命の世界は、偉いとする存在はない。


445 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/12(日) 23:36:55 ID:6WJOJmFB
〜さとりを得るための七つのよすが(七覚支)を楽しみ〜(ウダーナヴァルガ 感興のことば
第30章)そのひとつ択法・・・・・教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨
て去る。

〜他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはす
べて楽しみである〜(ウダーナヴァルガ 第30章)
〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?〜(ウダーナヴ
ァルガ)
〜従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがな
い〜(スッタニパータ)
〜自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束
縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カーヤT)
〜この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をより
どころとして、他のものをよりどころとせずにあれ〜(大パリニッバーナ)


446 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/12(日) 23:37:38 ID:6WJOJmFB
〜異論が起こったときには、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを反駁し得ないものと
して説くようにならないならば〜(大バリニッバーナ)
〜道理を語らない人々は、善い人々ではない〜(サンユッタ二カーヤU)

『他人に従属するな』『他人がどうして自分の主であろうか』『何ものにも依存することなく』
『自らをたよりとして』仏教では、他人に従属せず何ものにも依存することなく、自分を主と
して自らをたよりとすることが大事な教えのひとつでしょう。


447 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/12(日) 23:38:30 ID:6WJOJmFB
■「どういうことか明らかには説明できないが、私たちに盲目的に従え」という人は最も悪い
人。その人々にしかわからず、従属させようとする人々は、悪い道を歩ませようとしている。

〜何物ももっていない人々は楽しんでいる〜(ウダーナヴァルガ 第30章)
 一切の所有物を捨て、世間から離れ修行をしなくても、
〜気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、ブッダと真理との教えとに対して信仰心
あり〜かれらは天界に生まれて、そこで輝く〜(サンユッタ二カーヤT)

 ブッダの教えと正反対のことを正しいとせず、信仰心あり、それを行おうとする心があれ
 ば、悪いところには生まれないだろう。反対のことを正しいとすれば、悪いところに生ま
 れるだろう。 


448 名前:名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 17:30:52 ID:TSPAByqZ
愛、自由、平和

449 名前:名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 22:02:26 ID:egmC+Z+u
人は自由、他人も自由、
その自由を奪わないようにするのは、
自己にとらわれず、人を尊重すること。

450 名前:名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 17:49:02 ID:GX4A0hZ5
>>445
動物でも人に依存するなあ。依存するっていうより盲目的に従う。
餌をくれる人間に従い、そしてやがて食べられるような牛。

何かに依存せず、自分のことは自分で責任を持てるような人にな
ること。しかし、最低限のルールとして他人に迷惑をかけない人
になること。

何かに依存しなけてば生きていけない人間ほど弱いし、頼りない。
その依存をやめるように厳しく教えるブッダ。

451 名前:名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 20:00:33 ID:Z5Ut+bCf
>>450
それは宗教家の教えじゃなくて思想家や道徳家や倫理家の教えだよ

452 名前:名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 17:33:02 ID:xGg/ssqm
宗教が人を洗脳支配するというものなら、道徳より悪い。

453 名前:名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:43:44 ID:CcfgDRvg
過去に人が人を支配した時代に、独立自由を教えたブッダ。
何ものかに人が自由を奪われ、何ものかに人が依存し心の自由を奪われた。

「他人を悩ますことなく、なんぴとをも謗るな。」他人を悩ますことなく、
なんぴとをも謗らなければ、何ものにも依存することなく、怒りや貪欲を
抑え生きればよいではないか。

そのブッダの教えを否定する人は、人の自由と尊重を否定する。


454 名前:名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:47:26 ID:iyfytwVA
>>453
それは宗教家の教えじゃなくて思想家や道徳家や倫理家の教えだよ



455 名前:名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 20:49:12 ID:hAVJfYdl
〜他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはす
べて楽しみである〜(ウダーナヴァルガ 第30章)
〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?〜(ウダーナヴ
ァルガ)
〜従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがな
い〜(スッタニパータ)
〜自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束
縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カーヤT)
〜この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をより
どころとして、他のものをよりどころとせずにあれ〜(大パリニッバーナ)


仏教は自己の内に平安を求め、何ものにも依存することのないようになる
 宗教。他人をたよりとしないようにならなければいけない。

456 名前:名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 20:54:27 ID:iyfytwVA
>>455
>仏教は自己の内に平安を求め

それは外に平安を求める志向を内側に転換しているに過ぎず、本質的には何も変わっていない。

457 名前:名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 21:38:05 ID:qcBktfju
〜さとりを得るための七つのよすが(七覚支)を楽しみ〜(ウダーナヴァルガ 感興のことば
第30章)そのひとつ択法・・・・・教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨
て去る。

 他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせず
 にあれ。

 ★他人の意見など、あまり参考にするな。


458 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:17:05 ID:FFYd/NWy
>>454
宗教家や思想化の思想を、そう厳密にわけられるか?
>>456
外に向けるより、内に向けるほうが、取っ掛かりとしてはやりやすいじゃん。

459 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 16:49:47 ID:r7uh6s8H
>>458
>宗教家や思想化の思想を、そう厳密にわけられるか?

宗教家は思想家じゃないよ。

>外に向けるより、内に向けるほうが、取っ掛かりとしてはやりやすいじゃん。

外向きも内向きも同じことだと言ってるんだよ、内側指向になっても動機や目的が外側指向と同じだからその指向が
内側に変わっただけの話。君が逆立ちしても君自身に変わりないだろ? そういうこと。

460 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 18:37:50 ID:xFap+U5A
他人に従属するな(ブッダ)

 それを否定する人がいれば、洗脳されている証拠。

そもそも人は自由を好むはず。自分の意思で生きることを楽しみにしている。

貪り求めても得られないから、人々のためになるよう働き得るものを得る。
人を憎んでも、楽しい人生が送れないから憎まないようにする。それを自分の
意思として行えということだろう。

何も不思議なことを追い求めるのではなくて、現実的に思慮できるまとも
は何かを教えるのが仏教ではないか。

461 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 19:52:11 ID:MZvqb1yj
★拓法・・・・・教えの中から真実なるものを選び出し、偽りのものを捨て去る

 〜他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはす
べて楽しみである〜(ウダーナヴァルガ 第30章)
〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?〜(ウダーナヴ
ァルガ)
〜従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがな
い〜(スッタニパータ)
〜自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束
縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カーヤT)
〜この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をより
どころとして、他のものをよりどころとせずにあれ〜(大パリニッバーナ)


  他人に従属するな。何ものにも依存するな。自らをたよりとして、他人をたよりとせず。
  複数の経典にこれだけのことが書いてあるなら、この教えは仏教として真実である。
  それを仏教の教えとして否定する人は、悪意がある。
  


462 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:38:19 ID:J01S9mSy
「信じる者は足すくわれる」
「知らぬが仏、知ってキリスト」


463 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:52:53 ID:3ZtI8wWx

       ,,,
      mm
   ,;mmml
   ;mmmmm;
  mmmmmm
  m        m
  m ー 一 m
  |'':    !!   :~|       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  U',  ー   ,'U    < 言葉により何者をも怒らせない者 斯かる者を聖者と呼ぶ |
    iヽ._ _ . 'i       \_______________________/

464 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 22:13:18 ID:r7uh6s8H
>>463
古今東西の聖者たちは国全体を怒らせた。これこそ聖者の証である。

465 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 22:39:46 ID:quOErzlp
仏教は信じ込んだら全て真実とは限らないということか。


466 名前:名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 23:31:34 ID:ZxBbIeav
>>1
どちらも末端にカルトを抱えている。

467 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 20:02:49 ID:fSkNxymF
怠け者の人間が、宗教で食べていこうとして「俺たちの宗教こそが正しい」と
主張する。そしてそれに従えと。釈迦はそれを見抜いていた。


468 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 20:06:36 ID:/1S5bMGb
組織宗教は全部カルトだよ。

469 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 20:41:54 ID:ux5GgQuY
もし、神も死後もないとしてしまうと、釈迦の時代に国王が人を支配し、人間を自分の
意のままにしても恐れはなかった。

バラモン教のように、特別な宗教的行いによっても、誰かが誰かを支配する。

人は死後を恐れ宗教者の脅しに屈するのであるが、今健康な人が宗教に頼らないで生きれる
ように、自然の中での瞑想修行により恐れの雑念を取り除く。
そして、恐れなく誰も頼りとしない理性を身につけ、何者にも依存しない人間となって、自分
の人生を生きれる人となる。

修行により本能的な行動を抑えることのできる人は、他人を傷つける行為は少ない。そのよ
うに人に理性があれば宗教は必要ないし、本能的な行いの多い人は恐怖や不安が多く、宗教
に依存しやすくなる。

宗教依存している人を頼りとしてはならない。




470 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 21:48:04 ID:/1S5bMGb
>>469
恐怖や不安の極地である戦争は理性によって起こるよ。

471 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 21:55:05 ID:kYSlZCxT
470さん
修行によって本能的な行動を抑えることの出来る人=理性
戦争を起こしている人は、本当に理性的と言えますか?

472 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 22:06:57 ID:kYSlZCxT
459
>宗教家は思想家ではない
というのは、宗教家は霊感体質だと言うこと?
しかし、ブッダの教えを見てもそのようなものでは無いし、キリストにしても、聖書の預言の
預言の真偽はともかくとして、弟子がキリストをどう信じたかという思想が大部分だしね。

473 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 22:20:21 ID:/1S5bMGb
>>471
>修行によって本能的な行動を抑えることの出来る人=理性

その抑圧はその本能を強めてしまうよ。

>戦争を起こしている人は、本当に理性的と言えますか?

それも理性だよ。

>>472
仏陀の教えは教えを求めに来た個人に悟りの道を指し示すことだよ。例えば太りすぎの人には食べ過ぎないように
薦め、痩せすぎの人にはもっと食べなさいと言うようなものだよ。キリストの弟子はキリストを前にして思想と言う考
えをしたのではなく、キリストを見て成就した人独特の「それ」を垣間見たんだよ。それは「感じる」ことであり思想の
ような「考える」事ではないよ。

474 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 22:41:42 ID:nqS5oWaL
共通点は、後世に争いの種を撒いたとこかな?

475 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 22:51:30 ID:/1S5bMGb
>>474
争いの種を撒いたのは後世の人たち
仏陀やキリストが撒いたのは目覚めの種

476 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 23:10:50 ID:k13KMPbQ
>>475
その点で、両者が人に従うな自分の健全な言葉に従いなさいとしたのは
正しい。

人は何かを恐れて何かにすがる。悩みがあって信仰をする。その人たち
から学んでも健全になるばかりか、すがることを教えさせられるばかり
だ。

何かに依存しようとする人を、よく思慮された言葉で健全な姿に戻すの
が元の教え。

元の教えは、不健康な人の教えでは決してない。

477 名前:名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 23:17:41 ID:dkt76gUT
組織の無い宗教って有るのか???


世界最大の組織って『宗教』だろ?
数億のバチカンとか・・

478 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:06:47 ID:GhAkLsZ3
>>476
>その点で、両者が人に従うな自分の健全な言葉に従いなさいとしたのは
>正しい。

その健全な言葉とは実は言語ではない。自分の心に目まぐるしく去来する言葉やイメージの隙間のことを彼らは言っている。だから彼らは書物を書かなかった。

>>477
本当の宗教とは個人から個人に伝達されるか、個人だけでそれに達するか。
宗教は組織化できず、組織化したら宗教ではなく実業になる。

479 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:26:05 ID:j/uCMV8t
>>478
あんたみたいな人間がいるから犯罪牧師に従う人間がでるんだ(W
わけのわからんこと言っておかしなことに従わせるようになる。

480 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:26:11 ID:CRNaWy6R
弟子がいたから、私たちは本人の思想(といったら適当では無いなら、その人となり)を
知ることができるわけだし、その一方で、言葉にしたから、その人となりから感じるものが
正確ではなくなってしまい、思想と化したといえる。
つまり、利点と弊害は常に表裏であるのだ。

適当に足したり引いたり、自分独自に感じ取らなくてはいけない部分があるね。
物理ではなく、宗教を求めているのならばね。
国語のテストだったら、正確に暗誦することができればそれで事足りるけれど。

481 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:38:27 ID:j/uCMV8t
適当に足したり引いたり、自分独自に感じ取ることは、その人個人のものと
して、また意見として人に強制してはいけないね。

組織宗教は、集団で間違った方向に行く場合がある。

これぞ正しいとする確実なものを見分けられることができるものなら、
分派・分裂などあり得ない。

正しく教える人は、「書物にこう書いてある」と伝えるだけの人かも
しれない。

482 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:42:15 ID:GhAkLsZ3
>>479
>わけのわからんこと言っておかしなことに従わせるようになる。

そんなことにならないために彼らは書物を書こうとしなかった。

>>480
思想とは社会に関することであり、彼らは思想を捏ね上げ社会を変えようとはしなかった。彼らが関わろうとしたのは個人である。思想は後世の我々が編み上げたものであり「彼ら」が伝えようとしたものとは全く無関係である。

483 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:42:51 ID:38dtzrWe
すれ主に聞きたいのだが、
イエスとブッダの共通点をなぜ見出そうとする?
それを知ってなにになる。
趣味か?w

484 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 00:47:54 ID:GhAkLsZ3
>>481
>正しく教える人は、「書物にこう書いてある」と伝えるだけの人かも

釈迦が死んだ100年後にそれは起こった。弟子の弟子またその弟子たちが釈迦と邂逅した人たちからその言葉を
集めて保存分類を始めた。この仕事を提案したのは学者気質の弟子だったに違いない(笑)

485 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/18(土) 08:30:14 ID:lgk1P7e2
〜もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言
ったとしても、その言葉どおりになるであろう〜(イエス)

 私は他の人よりも信仰が深いという人間は誰もいない。全世界は悪しき者の配下に入って、
 「私は信仰が深い者です。私に従いなさい。」と言える人は誰もいない。
 〜世の中は泡沫のごとしと見よ〜この世の有様は過ぎ去り、過ぎ去るものは虚妄であり、人
 も世間も信仰上、現実でもやがて別れなければならない運命です。信仰とはその別れなけれ
 ばならない運命のものに頼らないことを教えている。

―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされ
 たイエス・キリスト― ― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽
 であれ ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―



486 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/18(土) 08:31:07 ID:lgk1P7e2
困る人も苦しむ人もなく、病む人もなく、富む人も貧しい人もなく全てを幸福にされる神をまこ
ととする心は永遠に続くものであり、永遠の世界に入ればさらに一切が幸福で、安穏で、安楽に
なったことを喜んでいる。悪しき者に従わなければ、地上でその神を現されたイエス・キリスト
をまこととする心がある。

このことは永遠の命があると思う人なら、天国は善いところで全てが幸福になるところと思う人
のほうが多い。永遠の命があると思うとする限り、消滅ではなく残るものを考えるだろう。それ
は慈愛に満ち、安穏で安楽で幸福に満ちた世界なのです。そしてこのような自身は存在しない。

しかし、人はそのままでは善いところに行けず、この地上の貪りよりもその善い世界のものをま
こととしているからその世界に入れる。

天国は善い国だとするなら、地上でその善い国のことを行うことが善です。

487 名前:暇人:2005/06/18(土) 08:45:23 ID:Wz17mV3G
>>483

んだ まず それが聞きたいかも(笑)

488 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 09:25:24 ID:zj2Som17
>>475 その目覚めの種というのを撒かなければ、
争いは起こらなかったのでは?

489 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/18(土) 10:44:56 ID:XFH0gRMO
〜神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことが
必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう〜
〜くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいられると思っている〜
〜天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ〜
〜「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜」そのような人は義とされない
〜わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく〜
  ― 偶像なるものは実際は世に存在しないこと ― (新約聖書)

神は思考外の存在。善い国の存在は思考しない、くどくどと祈らない、地上であの人が良い・悪
いと思っても自然のままである。善い国の存在は善悪を思慮しない。自己に囚われ自分を義人だ
と報告しても、認める神はいない。「主よ、主よ」と言っても通じない、善い国の存在は「主よ」
と言わない。悪い者に従ったのにこのような朽ちる人間と同じような存在だと思うならば、神を
罪に定めている。


490 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/18(土) 10:45:41 ID:XFH0gRMO
神は永遠の命の世界で完全に知り、このような自身もなく、自分を愛することさえない世界で、
全てが幸福になったことに喜び神を知る。

□人は思い描く偶像を捨て去り、永遠の命の世界で慈しみ全てを幸福にされる慈悲深い神をま
こととすることで、その世界に入る。偶像礼拝を止め、まことの神を神とすることで永遠の命
を得る。神は真実であり、地のものより慈悲深い神をまこととすることでその世界を与え、神
より地のものをまこととする者は、罪の誘惑に負ける。

信仰を増すということはイエス・キリストに従うことで、人に従うことではない。
〜求める者には与え、借りようとする者を断るな〜敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜人によく
してやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、
なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者と
なれ〜

 イエスの言葉を正確に把握せよというのではなく、その言葉を聞いて本人が悟ることを
 目的としている。


491 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/18(土) 10:46:42 ID:XFH0gRMO
〜律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たな
くても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。彼らは律法の要求がその心にしるされて
いることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして〜(新約聖書)

 人は自然のままで、永遠の命の国で全てを幸福にされる神を信じることもできるだろうし、
 そこに人の手で作られた偶像はないし、善いものではないと思慮することもできる。

自分によくしてくれるから、その人に尽くすことは当たり前であって、給与をくれるから働く
のは当たり前である。尊いことは、自分によくしてくれない人にもよくしてあげたり、返して
もらうつもりでなく、人に貸し与えたり、人の過失を責めることなくゆるしてあげたり、それ
らのことがあらぬ偶像にくどくど祈り信仰が深まったと錯覚するよりどんなに善いことか、自
分のために偶像に供え物をして、私によきはからいがあるようにと願うより、どんなに善いこ
とかを自然のままに自分の良心で考えること。

492 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 13:49:23 ID:5eXZn5OV
信仰は自分の良心と比較して良いと信じるものかもしれない。

組織信仰に洗脳され、その良心がむちゃくちゃにされた人、組織と
幹部に盲従させられ、『家畜人間』となり『猛獣』と変わらなくな
ってしまった人。

誰にも従わず、自然に何が良いことなのか考えられる人は、本当の
善を見つけられるようになるのかもしれない。

493 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 16:28:11 ID:icZERzTa
良い宗教、悪い宗教、本当の宗教、偽りの宗教、
 良い宗教は自然に考えて、欠点が少ないと言えるだろう。

 悪い宗教、偽りの宗教は、自然に考えると不自然なことばかりで、
 説明されず盲信させようとする。
 詐欺師が、嘘がばれそうになると知恵を絞ってごまかすようなも
 の。


494 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 18:20:28 ID:shx87bqD
>>481
>これぞ正しいとする確実なものを見分けることができるものなら・・・
神よ!いらっしゃるものなら姿を現して証明してください。と言いたくなりますね。
うがった言い方をすれば、争いをさせているのはあなたではないかと。

495 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:31:10 ID:MaZq9IAB
自然のまま信じれる神って?
 (答え)天国で全てを幸福にする神。
良い行いは何?
 (答え)人を幸福にすること。

 もし、論理的にその答えを導き出せたとしても、
 人はいろいろあるしなあって考えたとしても、

良いことはそれしかないという答えが出たとしても、
 それは人の自由な生き方を束縛してしまうものかな?

逆に人を不幸にすることが悪だとしても、
 それは人の自由な生き方を保障するものと論理的に
 導き出せたとしても、

やはり人は絶対に善いことがわかった時、
 その人の心の自由は奪われる。
  

496 名前:名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:34:56 ID:G5aW1d3J
>>495

自由が善だよ。他人の自由を奪うことが悪。

497 名前:名無しさん@3周年:2005/06/19(日) 12:30:30 ID:rT5KL9K9
>>495
「聞かれたことは聞かれただけのもの」「考えられたことは考えられただけ
のもの」「識別されたことは識別されただけのもの」であると知ったら、苦
しみが終滅すると説かれる。

498 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/19(日) 12:35:54 ID:yWeCnmQx
〜キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、か
えって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた〜(新約聖書)
 ―『盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいや
   されたイエス・キリスト―多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言
   われたイエス・キリスト』―
【神は永遠の命の国で、一切を慈しみ幸福にされ、その善い国の存在はその神をまこととしている】
  
― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―
 ブッダは、一切の所有物を捨て去り自然の中で瞑想修行をし、彼岸の境地を得とくし平安の境
 地を得て、幸福に満ち、安穏に満ち、安楽に満ちた心の境地を得とくした。
【解脱の境地は空にして無相】このような地上のものに心引かれることはなく、このような現在
の自分自身の心もなく、この上なき最上の喜びの境地(ニルヴァーナ)を得て、ただ幸福であり、
安穏であり、安楽な境地を何よりも喜んでいる。

 多くの人々は、自然の中で満足し楽しんで、無所有で悲しむことなく執着するよりどころのも
 なく苦悩もなく、修行僧とブッタと真理のことばとを尊敬し、信仰することで天におもむく。


499 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/19(日) 12:36:54 ID:yWeCnmQx
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない ―
要するに永遠の命の世界には、この世で生きるものの幸福と安穏と安楽を願い、一切の生きとし
生ける者にあわれみの心がなければ罪過があり入れないのです。

〜立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心
づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。諸々の邪まな見解にと
らわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望を除いた人は、決して再び母胎に宿
ることがないであろう〜(スッタニパータ)

(イエス)信仰を増すということは、命じられたこと(御言)を皆してしまったとき、「わたし
はふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません。」と言いなさい〜その実を結ぶのは御言を
聞いて悟る人であって、律法を持たない異邦人でも、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、
神に義とされるように、神に義とされることは特殊な宗教的教義や特別な宗教儀式ではない。

特殊な宗教的教義や特別な宗教儀式は虚妄なるものであって、誤って作られたものである。


500 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/19(日) 12:37:50 ID:yWeCnmQx
信仰を増している人は、自分の貪りのために働くのではなくて、人にへつらおうとして目先だけ
の勤めをするのでなく、誠実に人のために快く仕える人。慈しみの心づかいをしっかりとたもち、
その人の行いによって人を幸福にすること。

自分によくしてくれるから、自分が良い人だと思うからといって自分自身にこだわり、自分の良
し悪しにこだわることなく、人によくしてやり、わが物という愛着もなく何も当てにしないで貸
してあげたりすること。慈しみの心づかいをしっかりとたもち、人に親切にすること。

わずかな物を取られたからといって、争わないこと。白と黒(善悪)のけじめをつけようとして、
何がどれだけ正しいかといって争わないこと。平安と安穏な暮らしを望み、自分の気に入る気に
入らない人、自分と考え方の違う人などにも敵意を持たず、挨拶をすること。

「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」「睡眠」「物質的なものへのこだわり」
「快楽や享楽」などへの思慮を抑制して、貪りを善とせず自制して、神が創造された自然を楽し
み、くよくよと思いめぐらすことなく健康的な精神であること。

501 名前:名無しさん@3周年:2005/06/19(日) 16:54:33 ID:EtDsgU1t
>>492
人にとやかく言われて何か信じるより、自然に考えて良いことは何か
が明確にわかるもの。そのことを信じればいい。

502 名前:名無しさん@3周年:2005/06/19(日) 18:37:18 ID:f8vHXjr7
★拓法・・・・・教えの中から真実なるものを選び出し、偽りのものを捨て去る

 〜他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはす
べて楽しみである〜(ウダーナヴァルガ 第30章)
〜この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?〜(ウダーナヴ
ァルガ)
〜従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがな
い〜(スッタニパータ)
〜自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束
縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな〜(サンユッタ二カーヤT)
〜この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をより
どころとして、他のものをよりどころとせずにあれ〜(大パリニッバーナ)


 仏教の大切な教えとして「他人をたよりとせず」「他人に従属せず」「何ものにも依存せず」
 がある。
 彼岸が「一切が幸福で安穏で安楽になる世界」とわかったならば、何ものにも従属せず、人
 の幸福や安穏や安楽を考えて、慈しみの心づかいをしっかり保って、「自分を主として」生
 きよ。

これが仏教修行の最終目的だな。

503 名前:名無しさん@3周年:2005/06/19(日) 22:08:09 ID:PMZsI2GJ
修行という形で、「一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」
と悟りの世界を教え、人に対して「慈しみの心づかいをしっかりとたもて」と教えた
仏陀。

一方イエスは、天国は神により困る人もなく、苦しむ人も、貧しい人もなくなるのだから、
困る人には困らないように、富んだ人には貧しい人にその富を分け与えてあげなさいと教
える。そうすれば天国に入ることができるのだと。

504 名前:名無しさん@3周年:2005/06/19(日) 22:09:29 ID:PMZsI2GJ
修行形式か、言葉形式かの違い。どっちにしろ、宗教というものは死後があるという前提
の教義で、死後は人がいなくなり一切の区別はなくなるのだから、その区別のない世界が
善で、その世界のように善を行う人が入れるならば、言葉で話して善を行わせるほうがわ
かりやすい。

505 名前:名無しさん@3周年:2005/06/20(月) 22:11:40 ID:mVYYMhnq
「自己が自分のものではない」それを離れない信仰は、
永遠の過ちを生む。

506 名前:名無しさん@3周年:2005/06/22(水) 20:05:16 ID:/anh8zyl
「諸法非我」・・・・・・一切の事物は我ならざるものであると明らかな知慧をもって
            観る。


「諸行無常」・・・・・・一切の形成されたものは無常であると明らかな知慧をもって
            観る。


「一切皆苦」・・・・・・一切の形成されたものは苦しみであると明らかな知慧をもって
            観る。


人の命は短い。その短い命から釈尊は教えを説かない。

507 名前:名無しさん@3周年:2005/06/22(水) 20:14:23 ID:/anh8zyl
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」・・・・・・・

「空にして無相」世界の幸福である世界、安穏である世界、安楽である世界である彼岸
の永遠世界から道理を語る。

「慈しみの心づかいをしっかりとたもて」・・・・・・・・・・この世で、慈しみの心
づかいを保つより他には崇高な境地はなく、それに基づく行いより他には人に対する善
はない。
人々に対する無欲の行いは、慈しみの心づかい。

その法に安住した人は、「この世で自分を主として、何ものにも依存することなく、他人
をたよりとせず」自分に従って生きる。

「この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?」・・・・
明らかな知慧を得た人はそのように教えさとす。(あたりまえのことだと思うが)
慈しみの心づかいをしっかりとたもち、他人に従属してはならない。


508 名前:名無しさん@3周年:2005/06/25(土) 09:47:00 ID:8Ju6aLaB
慈しみの心づかい、自己こそ主、自由、平安、幸福、安穏、安楽

 「若くて力があるのに怠りなまけていて、意志も思考も薄弱で、怠惰でも
  のうい人は、明らかな知慧によって道を見出すことがない」

論じ合いにより地獄に落ち、何ものにも依存することなく瞑想修行により
彼岸に至り精神統一された人が見出したもの。
「諸法非我」「諸行無常」「一切皆苦」

「自己が自分のものではない」と明らかな知慧を得た人は、何ものにも依存
することなく、「幸福、安穏、安楽」を自分のものであると悟り、「一切の
生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」と慈しみの心
づかいをしっかりとたもつならば、死後も「幸福であり、安穏であり、安楽
である」成仏世界へと生まれる。

509 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/25(土) 10:49:46 ID:IcaLnhSC
〜世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一
切のものが従属した〜(サンユッタ二カーヤT)

 そこで、一切の所有物を捨て去り世捨て人となり修行に励む修行僧。
―ひとはどれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?もしも自分の心を制す
 ることができないならば―
―修行僧は、自分の粗雑な思考〔※〕をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ま
 すことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな―

― 一切の生きとし生ける者をあわれむ【修行完成者】ブッダに、罪過は存在しない ―
究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは―幸福であり、安穏であり、
安楽であるその平安の境地に達してなすべきことは《一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ》《立ちつつも、歩みつつも〜眠らないでいる限りは、この慈しみの心
づかいをしっかりたもて》《上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しを行うべし》

 多くの人々は、幸福であり、安穏であり、安楽であるその平安の境地をまこととする。そして、
 慈しみのこころづかいは大切なことであるとする。それは、永遠の命だから。


510 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/25(土) 10:50:42 ID:IcaLnhSC
平安の境地を得て、一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダは神通力を得ている。

〜これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがた
は、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている〜
イエス)

〜神を信じなさい〜だれでもこの山に動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必
ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう〜なんでも祈り求めたことは、
すでにかなえられたと信じなさい〜

 なんでも祈り求めたことは、すでにかなったと信じること。いつまでもくどくどと自分の思
 いわずらいを神に祈っても、それを聞き入れる神はいない。自分自身のこだわりを捨てて、
 自分の思いわずらいを一切神にゆだね、何事も思いわずらうことなく、この世で神と永遠の
 命の国とともにいること。

511 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/25(土) 11:37:43 ID:cfpUHusS
神は滅びる者の思いを一切聞き入れない。自分にこだわり、くどくどと祈っても、長々と呪文の
ように意味のわからない言葉を唱えていても、神と永遠の命に通じることなく聞き入れることは
ない。自分の思いわずらいを一切神にゆだね、自分にこだわることなく、「みこころが天に行わ
れるとおり、地にも行われますように」と祈ること。

〜くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいられるものと思っている〜父なる神は、
求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである〜(イエス)

―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされた
 イエス・キリスト―多くの財産のある人に貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・
 キリスト―
『この地上も困る人・苦しむ人・悲しむ人も貧しい人もなく、全ての人が幸せになりますように、
御言が行われ敵対することもなく、人に親切にし、よくしてあげる人が増え平安となりますよう
に』と心を込めて祈ること。
 
 永遠の命は平安を愛し、困る存在も苦しむ存在も富む存在も貧しい存在もなく全てが幸せに
 なったことを喜ぶような国。この地上で自分のことに思いわずらうことなく、その世界が来
 るように祈り求める人は、なんでもできるようにされ、なんでもかなう神のすぐ近くにいる。


512 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/06/25(土) 11:39:17 ID:cfpUHusS
自分の思いで人を思うことは信仰がない。
〜もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言っ
たとしても、その言葉どおりになるであろう〜(イエス)

「あの人は何かを信じている、あの人は信仰が深い」という人は誰もいない。
「私は神に任されていて、私に従えば天国に生まれる」と言える人は誰もいない。

―盲人は見え・・・・・・・・神のわざでいやされたイエス、多くの財産のある人に貧しい人
々に分けてあげなさいと言われたイエスを天国でもそのようにされる神と信じる人は、神を見誤
ることはない。
信仰を増すということは、御言を行っても「わたしはふつつかな者で、すべき事をしたに過ぎな
い」と言える決して誇らない人。

 人を自分の思いで良い悪い、正しい正しくない人と決め付けることなくゆるせる人は信仰を
 増している人で、人と敵対せず人によくしてやり、何も当てにしないで貸してあげる人。恩
 を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深い人・・・・・・・そのような人が信仰を増している人
 で、地上で神とともにいる人。ただ「私は信仰が深く神に任されていて」という人は偽善者。
 
□偽善者にはよく気をつけること。


513 名前:名無しさん@3周年:2005/06/25(土) 13:09:45 ID:d3RG7S6B
仏教が東へ向かったのはキリスト教との関係があるんだよ

514 名前:立て看板:2005/06/25(土) 16:00:14 ID:li9uDYL9
スレを支える参加者、発言者、の参加を募ります。

坐禅と見性 第20章◎飯袋子の集い◎驢年横行◎
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119079479/

515 名前:名無しさん@3周年:2005/06/25(土) 19:37:46 ID:7Tt7yT8D
信仰を増すことは、他にいらんことをするなとオカルト信仰を戒め、人によくし
てあげること、何もあてにしないで貸してあげることなどとしたキリストの教え
は清潔である。

天国で病人もなく貧しい人もなくするのが神とし、信仰対象の争いを避けながら、
真理にもとづく善い行動を教える。


516 名前:名無しさん@3周年:2005/06/25(土) 22:57:16 ID:V928V7vU
イエスとブッダは、それまでの信仰形式=神々など人間と同じような存在か
らの脱皮で論理形式信仰、つまり論破しずらい信仰形式とした。

公平平等世界である死後を善とする信仰形式。その世界があるから信仰があ
るという定義のもと、善悪の思慮を繰り返すうち、賢くなった人類への神の
命令は、人々を幸福にするために思慮し行動するならゆるされると、『神と
は?信仰とは?』という疑問を抱いた人に答える。

人物神を想定して、くどくどと祈ったりしても何もならないと現実を教え、
人を幸せにする行動をすることで物理的に人が幸福になる道を信仰を求める
人に教える。

見えない心も、信仰を求める人が自分のため熱心に何かにすがり追い求めて
も、人のためにと心を転化すれば少しは悩みは軽減される。

つまり現実的に人を幸福にするよう思考されるものは神の配下にあるのだか
ら、それは正しいものとなる。


517 名前:名無しさん@3周年:2005/06/26(日) 06:49:57 ID:M4ie+o8m
人物崇拝するなとの共通点

518 名前:名無しさん@3周年:2005/06/26(日) 09:10:14 ID:EfYBXNgC
>>515
>>天国で病人もなく貧しい人もなくするのが神とし

 天国で病人や困った人や地上の財産のある人や貧しい人をなくするのが
 神とし・・・・・・・・・・人のまとも度のテストのような・・・・・・

519 名前:名無しさん@3周年:2005/06/26(日) 10:36:54 ID:1u1kvz42
まともな人は、自分のために熱心に信仰したり、くどくど祈ったり
することを限りなく欲の深い人だと言う。
そんなことをするより、何もしないで静かに座っていたほうが、ど
んなに欲のない行為だろう、とする座禅。

まともな人は、人によくしてあげること、何もあてにしないで貸して
あげることを信仰の増した人だと言う。




520 名前:名無しさん@3周年:2005/06/26(日) 12:01:00 ID:QS42DDDZ
★拓法・・・・・教えの中から真実なるものを選び出し、偽りのものを捨て去る

 仏教の択法は、人が言い伝え教えていることは本当に正しいのか、自分の思慮
 で確かめさせるもの。
 人を信じて盲目的に従う人こそ、とんでもないことになる>>517
 

521 名前:名無しさん@3周年:2005/06/26(日) 22:16:31 ID:ezEfga9Q
仏教は「自己が自分のものではない」という永遠の
真理から教えさとすもの。
この世の苦がなくなり全部幸せになるというものに
近く、また遠い。
「自己が消滅した場合何が残るのか?」という視点
で偽りのものを捨て去らなければならない。

勿論、何かをくどくど、或いは少しも唱えることは
ない。

自分をととのえることなく、間違った行いによって
永遠の真理を得ようと試みるなら、永遠に悪くなる。

522 名前:名無しさん@3周年:2005/06/30(木) 21:10:16 ID:gKSvnuLg
神通力と人々の幸せを思う心とはひとつ
自分のことばかり考えて悩んでいる人は何もできない
逆に人々の幸せや安穏などを心得て暮らしている人は、
自分の悩みが少なく、生命力が豊かとなり生き生きと
している



523 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/01(金) 20:30:07 ID:dcyHhouN
〜丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。「わたしが好むのは、あわれみであって、
いけにえではない」〜健康な人には医者はいらない。いるのは病人である〜(イエス)

 〜究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜『一切の生きとし生けるものは、幸福
  であれ、安穏であれ、安楽であれ』〜立ちつつも、歩みつつも〜眠らないでいる限りは、こ
  の慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ〜

  修行を完成させ、彼岸の境地に達して「安穏に満ち、安楽に満ち、その境地に幸福」に満ち
  た境地を得とくした人は、「一切の生きとし生けるものに、幸福であること、安穏であるこ
  と、安楽であることを願う」慈しみの心づかいをたもつ。

信仰とは地上に義を見出すものではなく、永遠の命の世界に義を見出すものと知っている人は、
 ―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされ、
  多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―を否
 定しない。天国という善い国は、神により全てが幸福となり、そこの善い存在は一切が幸福に
 なり、安穏になり、安楽になったことをまこととし、喜んでいるからだ。


524 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/01(金) 20:30:55 ID:dcyHhouN
善い国の存在は、神とともに敵意も憎むこともなく喜んでいる。わが物という愛着もなく、わず
かな物への愛着さえなく、取る取られたといって争うこともなく、自分自身へのこだわりもなく、
自分によくしてくれるからといって愛するだけではなく、一切の幸福を思い喜んでいる、神の平
安を喜んでいる。〜兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか
〜平安と安穏な暮らしを思い、自分と関わりの少ない人にも挨拶をする。〜人によくしてやり、
また何も当てにしないで貸してやれ〜自分への見返りを求めず、人の幸福を思ってあげること。

 〜にせ預言者に警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は
  強欲なおおかみである。あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう〜(イエス)

 永遠の命の善い国を語っているのは誰か、真の善いことを語っているのは誰か、その実で見
 わけること。その実がないと、永遠の命もその人を受け入れない。

□そして信仰を増すということは、他の道に走るのではなくそれら御言を行うこととされたイエ
 ス。「人によくしてやること、何も当てにしないで貸してやること・・・・・・・・・など」


525 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/01(金) 20:31:58 ID:dcyHhouN
■悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい
〔悪魔ナムチ〕〜あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこ
        そ、多くの功徳を積むことができる〜
〔ブッダ〕  〜怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は世間の善業を求めてここに来たのだが〜悪
        魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい〜

〜偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そ
うではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである〜(新約聖
書)

 永遠の命は、かたちあるものからも、かたちなきもの(このような人の思い)からも完全に
 解き放たれ、ただ ―盲人は見え・・・・・病に苦しむ人をなくし、富む人貧しい人もなく、
 一切を幸福にされる神のみをまこととし、一切が幸福で、安穏で、安楽になったことを神と
 ともに喜んでいる。

この世で、困る人も苦しむ人も貧しい人もなく全てが幸せになりますように「みこころが天に行
われますように」祈る人が神とともにいる。 

526 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 00:21:27 ID:0br1JoGe
供え物をもらって喜ぶような神は、実は悪魔系統の存在だった。

供え物をもらって喜びそうな神を想像してしまう人は、悪霊に取り憑かれて
いる人だった。

供え物や金品をもらって喜ぶのは、実は人だけであった。

527 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 00:55:10 ID:qcqP9LJO
>>525
「悪魔キムチ」と言うのは、ちょっと差別的表現ではないのか?

528 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 07:18:06 ID:NVhe5aaK
供え物をもらって喜ぶ神、金品を要求して「あなたは後から益になることをしました」
という神は実は悪魔。
力のありそうな見えないものに、賄賂のように何かを供えても、金銭を与えて何か益
があるように思っても、その人は地獄への道を歩んでいる。


529 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 09:41:41 ID:ZFxpIdxi
「偶像は何かほんとうにあるものか。そうではない。」
形あって見えるものにしたのは、全て悪魔の仕業。


金銭を要求する霊はいないし、物品を要求する霊はいない。
偶像に供え物をする人々は、悪霊に憑かれた人々。


530 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 10:44:07 ID:QmiUP2T2
>善行の功徳を求める人々・・・

何が善であるかにとらわれ、目に見える功徳を有り難がるところから何かが狂い始める。
『神の御心のままに・・・』個人的な欲を離れたところにそれは実感できるのでしょう。

531 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 10:59:25 ID:/kTZl6nj
何かを期待して、偶像に供え物をしたりすることが信仰の正しい
道だとの教えではなしに、人によくしてあげること、何もあてに
しないで貸してあげることなどとしたキリストの教えは清潔な教
え。
その清潔な心を持っている人が天国に行くとしても不自然ではな
いし。
自分のことのために供え物などしても、不純な動機から。
第一、供え物や金銭的なものを必要とする神はいないと頭を正常
にして考えないといけない。

キリストの教えが世界で愛されているのは、現実にいる人によく
してあげたりすることが信仰を深めることだとした清潔な教えが
あるから。正常な人なら供え物など必要とする霊はいないと考え
るのが当然。


532 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 18:55:11 ID:lsfwAIzL
>>531
供え物や金銭的なものを必要とする神がいるか、いないかでその人が正常であるか、
ないか判断できる!


533 名前:名無しさん@3周年:2005/07/02(土) 20:08:22 ID:BLM4IBzV
釈迦は世の中が病んでいることに気がつき、物事を正見することを
教えた。

聖火に供物をささげても、何もならないのだと。

キリスト系も「偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。」
と教えているところがおもしろい。

神などに供物をささげることが、功徳を積めるようだと錯覚していた
時代に、正しい行いは何かと教える。

534 名前:名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 07:58:47 ID:aqQ2fdVv
〜偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そ
うではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである〜(新約聖
書)

偶像というものは、この世にあってはならないものだということだ。
釈迦は、イエスが生まれる前にそのことに気がついた。

535 名前:名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 13:13:22 ID:WNzE6MxD
↑どっちが先だ何て、関係ないよ。
その時代その時代に、必要だったことを語っただけ。

いつの時代にも、本物は廃れないと言うことでしょう。

536 名前:名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 19:26:49 ID:TFL41by0
供物をしないのか?偶像はなぜないのか?

 仏教・・・・・・・・・自己が自分のものではないとまで追及する仏教。
            自己が自分のものではないと悟って真理の言葉を学ぶ
            ことができる。真理とは永遠にあるもの。
            供物などは、自己に対する見返りを期待して行うなら、
            やめたほうがいい。 

 キリスト・・・・・・・天国に対して、人は罪人とし、罪人は天国に入れない。
            つまり人間そのものは永遠に続かない。
            神のように賢くなったからこの世で終わりで、思考も
            ない世界は偶像など想像することもないだろう。
       

537 名前:名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 22:08:44 ID:l40nwqVx
難しく考える必要ないよ。偶像というものは、それを作った人が
人間を支配する道具にできるということ。特殊なものの存在意義
を強調することにより、利益誘導できるわけ。

供え物を必要とする何かの存在、それは実際にはあり得ないと。
供え物を必要とする何かの存在があると思わせるならば、誰か
が誰かを食い物にすることができるから。

基本的に人間がいない世界を善とし、人間に影響されない世界
を善とすることにより、人に支配されない自由を勝ち取る。

永遠にある世界を慈悲と説き、人に迷惑かけない生き方をする
こと、善いことは人に親切にしたりすること、それがわかれば、
人は全てが自由となるのだ。

538 名前:名無しさん@3周年:2005/07/04(月) 13:03:09 ID:KX4cSEsN
↑同意。
キリストも釈迦も糞。結局人類を救うことはできなかった。
という自称最大の預言者が要るよ。カカワラナイホウガイイノカナ・・

539 名前:名無しさん@3周年:2005/07/04(月) 22:02:46 ID:rAlLjO4w
偶像というものがないってことは、供物をしてこびれば利益を与える人間的な何ものか
というものが、全くないということだな。

仏教的には、善いことを行えば善いことが返ってくる、悪いことを行えば悪いことが返
ってくるような教えもある。
たとえば自分は人を苦しめたけれど、何かにすがり供物をすれば赦す人間的な感情を持
った神などはないということだ。

世間では善い行いをするよう、人に迷惑をかけるような悪い行いをするなと教え、その
世間が嫌になったら、世間から離れて修行する道もある。何も世間にこだわってばかり
生きるだけではないということだ。

貪欲を離れ、満足する心があればそれで人は救われているという理屈は通じるだろう。




540 名前:名無しさん@3周年:2005/07/05(火) 19:23:26 ID:uWhvSWze
業(その人の行い)だけは、死後もついてくる。
善業・悪業は、いつもその人のものである。

供物をしたからといって、供物をする人々の間に生まれるだけであり、
怠け者の親族(悪魔の仲間)は怠けて益を得ようとするが得られない。

呪文を唱えようと、呪文を唱える人々の間に生まれるだけであり、呪文
により益を得ようとするが得られない。

人々のために施しをするなら、人々のために施しをする人々に生まれ、
益は得られるだろう。

この世を厭い離れることに専念し貪欲を滅ぼせば、この世に再び戻る
ことはない。

541 名前:名無しさん@3周年:2005/07/09(土) 07:36:16 ID:m/aUlu75
キリストの神様=偶像は何かほんとうにあるものか。そうではない。

 人間がわかる神様はいないということだろう。

人間にはわからないから神はいないとしてもある意味正しいし、
人間に物体的に説明できる神はいない。神はこの世界でこういう行い
をする神だと説明できる神はいないし、それらを説明できる人は偽り
だと教える。

人間がなくなったらやっとわかる神。宗教が貪欲を避けよと言うのも
人間がなくなったら欲望がなくなるから。


542 名前:名無しさん@3周年:2005/07/09(土) 09:24:43 ID:nVaRWKS/
自分を助ける神様、「やー」と言えば「おー」と答えてくれそうな神様、
「物」をやれば喜ぶ神様、そんな神様がいるというのは病気の人という
こと。

543 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/09(土) 12:27:03 ID:xsF0W/X9
■悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい
〔悪魔ナムチ〕〜あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこ
        そ、多くの功徳を積むことができる〜
〔ブッダ〕  〜怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は世間の善業を求めてここに来たのだが〜悪
        魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい〜

〜偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そ
うではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである〜(新約聖
書)

〜悪魔ナムチはいたわりのことばを発しつつ〜「顔色も悪い。あなたの死が近づいた〜きみよ、
生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をなすことができるのだ〜聖火に供物を
ささげてこそ、多くの功徳を積むことができる〜

□供え物をした、くどくどと祈った、それで善を行ったと思ってはならない。
 たとえ命を失う危機にさらされても、何ものかにくどくどと祈ったり、供え物をしても無意味
 なことである。


544 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/09(土) 12:28:01 ID:xsF0W/X9
■悪魔ナムチの軍隊■
 〔1〕欲望 〔2〕嫌悪 〔3〕飢渇 〔4〕妄執 〔5〕ものうさ、睡眠 〔6〕恐怖 
 〔7〕疑惑 〔8〕みせかけ、強情、誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉、〔9〕自己を
  ほめたたえて他人を軽蔑すること (スッタニパータ)

  
(65)みせかけ、見え
〜汝(悪魔)の軍隊は〜第八の軍隊はみせかけと強情と、誤って得たれた利得と名声と尊敬と名
誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである〜(スッタニパータ)

〜彼らは〜広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、やもめたちの家を食い倒し、見
えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう〜(イエス)

 人は悪い者に従ったのにこのような自己が永遠に続くと錯覚し、あらぬ偶像を拝み、また献供
 する。また偶像にくどくどと祈り善業を行ったと錯覚する。本当のことは永遠に続く善い世界
 では、このような自己は存在せず、見えるものを拝むことも、思考され考案された特異なこと
 を行うことも、識別することも感受することも、神を認知することもない。神は永遠に思考さ
 れず、認知されることはない。

545 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/09(土) 12:28:50 ID:xsF0W/X9
神が創造された自然の中で瞑想修行をし、安らぎを楽しみ大いにみずから満足する人。その人は
永遠にある善い国に入ることができるだろう。神は永遠の命の世界を形として自然に現した。
人間が作ったものは一切存在しないし、悩みなくこだわりなく恐れなく決して死を味わうことの
ない世界は、快適な自然の中で安らぎを楽しむことに近い。

そこで修行を完成させ平安の境地に達して、幸福であり、安穏であり、安楽であることを何より
も喜び、
 ― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―
と全世界に対して無量の慈しみの意を起こすことは、平安の境地に達しないとなかなかできない。

〜神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって〜キリストは、神のかたちであ
らわれたが、神と等しくあることを固守すべき事だとは思わず、かえって、おのれをむなしうし
て僕のかたちをとり、人間の姿になられた〜(新約聖書)

 ―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ人々を神のわざでいやされた、
  多くの財産のある人に貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―
イエスは、神と善い国を人々に見えるように現され、さばきにあう見えの信仰ではなく、永遠の
命に入ることができる本当の善とは何かと悟らせるために地上に現れた。
 

546 名前:名無しさん@3周年:2005/07/09(土) 13:15:03 ID:qfWc/8Jz
キリストは、病に苦しむ人などをいやし、お金持ちや貧乏人をつくらない
神を神とすることとしたのです。天国ではその神しか会えない。その神を
嫌がっている人は天国に入れないのです。清潔な心のある人は素直にその
神を認めて地上で善い行いをして天国に入る準備をするのです。
信仰を深めること、信仰を増すということは偶像に供え物をすることでな
く、人によくしてあげること、何も当てにしないで貸してあげることとな
どとしたキリストの教えは清潔で、素直にそれを認める人が天国に入るの
です。


547 名前:名無しさん@3周年:2005/07/09(土) 14:57:38 ID:96FEDgZl
神は愛でしかわからない。神の公平性も愛があればわかる。
地上は全ての人が、サタンに従ったから滅ぼさせる運命にある。
人の愛は滅びない神の世界へと向かう。

548 名前:愛の教室 ◆X.3GozGUJ2 :2005/07/09(土) 23:10:22 ID:o4kz+iGg
◎特定の人間が作った偶像は、特定の人間が思い込みで作った架空のものですが、それを本気で信じる人は病気です。

◎供え物を必要とする神も、金銭を必要とする神も、その他それらを必要とするなんらかの存在も本当にいないのです。

 それらを必要とするものは、生きている人間だけだったのです。

◎本当の神を信じなさい。あなたは信仰をする限り永遠を信じ永遠の世界を善として入ろうとしている。そこではあな
 
 たが思っているとおり、神により一切が幸福になる世界なのです。間違ったものを信じてはなりません。イエス・キ
 
 リストはおのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられたが、見えない天国で神が行い、善として受け

 入れねばならない神のかたちであられたのです。


549 名前:愛の教室 ◆X.3GozGUJ2 :2005/07/09(土) 23:11:18 ID:o4kz+iGg
◎その慈悲深い神を信じ、人は天国のために慈悲深い者となることが信仰を増すことだということを知らないといけま

 せん。人をさばいたり、人を罪に定めたりせず、人のあやまちをゆるしてあげるようになること。敵を愛し、人によ

 くしてやり、また何も当てにしないで貸してやれるようになることなど、おおよそ地では行われ天では行われていな

 いことを滅びであると認め、人間がいない天に通じる慈悲深い心に従う行為をなにも誇らずにあたりまえのこととし

 て行えるようになること。それが信仰を増すということであり偶像礼拝することが信仰を増すことではないのです。

◎イエス・キリストを「主よ、主よ」と言っても、信仰を増すどころか天国に入れません。何が善いことかは、その人

 がその実で見わける必要があり、慈悲がない人は滅びの主に従うのです。


550 名前:名無しさん@3周年:2005/07/10(日) 13:05:03 ID:BSmFJ46k
偶像は自己愛の現れ。その自己愛により偶像を拝み供え物をする。
人の欲望が、ないものをあると錯覚させる。


551 名前:名無しさん@3周年:2005/07/11(月) 21:43:24 ID:e5P2OF8d
生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。かれらは、つくった
業のいかんにしたがっておもむき、それぞれ善と悪との報いを受けるであろう。
悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は、善いところに生まれ
るであろう。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世で人々のより
どころとなる。

信仰心あり、学び修めた賢明な人は、乞う人々を飲ませ食わせ満足せしめよ。その功
徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ。

 善業・悪業のみが死後もその人についてくるものだと。そして、善業は施しであ
 って供物ではない。

552 名前:イエス・キリスト(本物):2005/07/13(水) 19:20:01 ID:OYPEbbJR

       /\ \
   __/  / ̄/
  /\  _\/ /_\
  /  / ̄ ∧_∧  
  \/__(;・ ∀・) 目あるものは読みなさい。
   /  と  ノ ハァ ある町に完璧な牧師と悪人がいた。彼ら二人は同じ日に死んだ。
   /  人  Y ハァ 悪人は道での野垂れ死にだが天使たちはこの悪人を天国に運んでいった。
   \/し'(_) 一方、完璧な善人であるはずの牧師は天国に逝けなかった。牧師は自分が死んだら
必ず天国に逝けると自信があったが悪人にはそれが無かった。その自信とは「我(エゴ)」である、悪人にはその「我(エゴ)」が無かったので天国に逝けたのだ。ここが宗教の難しいところだ。

553 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/16(土) 09:20:21 ID:grW6ZRG7
〔悪魔ナムチ〕〜あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこ
        そ、多くの功徳を積むことができる〜
〔ブッダ〕  〜怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は世間の善業を求めてここに来たのだが〜悪
        魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい〜

〜偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そ
うではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである〜(新約聖
書)

□悪魔ではなく、創造主に従うこと
〜林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである〜
〜あなたは悪魔の征服者です〜あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから彼岸に渡りお
わり〜あなたは善悪の両者に汚されません〜(スッタニパータ)

 人は初め神が創造された自然で満足することなく、良い悪い好む好まないなど判断や断定に
 より賢くなり永遠の命にないものを身に着けてしまった。そして、人は賢くなったことで、
 人の手でつくられた物を生み出すようになった。

一切の所有物を捨て去り、自然の中での瞑想修行により生きながら彼岸に到達するという究極の
理想を目指し、― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―と
いう永遠の命の心に従い、慈しみの心づかいをしっかりたもって生きることを目的とした仏教。



554 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/16(土) 09:21:16 ID:grW6ZRG7
彼岸を知るということは、平安と幸福と安穏と安楽を喜び、慈しみの心づかいをたもつ人となる
ことであり、貪欲を制し満足する者となることである。

〜学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。心に喜
んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、その轟きを
発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ〜(サンユッタ二カー
ヤT)

神は人が神が創造した自然に満足しないと想定して、善悪を知る木とをはえさせた。命の木もは
えさせた。
神が創造した自然に満足すれば神は喜び、「人々からしてほしいと望むこと」は悪魔に従ってい
ること。しかし、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」と
いう律法に従えばゆるされる。

 永遠の命の世界は公平世界だから、「人々からしてほしいと望むこと」を命令し人に苛酷を
 与えるだけのことに神は裁きを与える。神が創造された自然に満足することが善であって、
 私に持ち物などがないからといって、自分の明日の権威や栄華を獲得するためにあくせくし
 て働くことは、悪魔に従うこととなる。「一日の苦労は、その日一日だけで十分である」



555 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/07/16(土) 09:22:08 ID:grW6ZRG7
□功徳は偶像に供物をささげることではなく、人々に施しをすること
〜園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、―かれ
らの功徳は、昼夜に常に増大する。それらの人々は、法に安住し、戒めを身に具えて、天におも
むく〜(サンユッタ二カーヤT)

〜働こうとしない者は、食べることもしてはならない〜健康で働けるのに、働こうとせず人から
得るだけのことをしてはならない。
〜肉による主人に従いなさい〜人ではなく主に仕えるように、快く仕えなさい〜
〜貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい〜(新約聖書)

==学び修めた賢明な人==
〜学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食持をもって満足せしめよ〜その豊
かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ〜(サンユッタ二カーヤT)

 神が創った自然で満足しないならば、人の手で作られたものなどを求める欲求のまま生きる
 ことなく、永遠の命に従って人々に対して幸福であること、安穏であること、安楽であるこ
 とを与えて、自分の手で正当な働きをして得るものを得ること。そして、貧しい人々に分け
 与えるようになれば、善い報いを受ける者となるとされる。


556 名前:愛の教室 ◆X.3GozGUJ2 :2005/07/16(土) 12:51:15 ID:1rBjql1O
創造主(神)は、地上を愛されていた。そのように考えるのが自然ですよねえ。

「また主なる神は、見て美しく、食べるによいすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る
木をはえさせられた。」創世記 第2 9

「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならな
い。」創世記 第2 16−17

このことは神に愛があって、最初の人が幼な子のように無邪気に美しい自然と、自然に生育している果実を食べて生
きていたなら、労働を要することなく悩みなどを持たないで生きていけた可能性があったということでしょう。

しかし、人は思考することを覚え、賢くなった人は自分の死という思考もするようになった。自然以外の人の思考か
ら生まれるもの全ては、神がつくるものではないということです。


557 名前:愛の教室 ◆X.3GozGUJ2 :2005/07/16(土) 12:52:09 ID:1rBjql1O
神は人が思考を繰り返すうち賢くなり、人が自分の好むものを生み出すことは知っているのであり、しかし、それ
らのことだけでは神はゆるさないと世の初めから教えているのです。

偶像(悪魔)を拝むことなく、イエス・キリストに従うことは人が賢くなりながら世の初めのように公平を保ち、
そのことに対してゆるされるのです。

人が賢くなりより豊かになる能力を得て、それで飲み、食い、着飾り、豊かさを楽しむだけでは裁きが下るのです。
人に仕えずに金銭だけ愛して、それで豊かさを楽しむことはより大きな裁きが下るのです。

文明や文化を誇ることなく、「困っている孤児や、やもめを見舞い」「貧しい人々に分け与えるようになる」こと
は、賢くなり豊かになる人の神の裁きの回避のための世の初めから決められた命令であったのです。

偶像に供え物をしてもなにもなりません。神ではなく偶像を拝ませやもめたちを食い倒し、貧しい人々から金銭を
要求する人々、偶像を拝ませることにより、神の代弁者となりこの世の悪事をゆるしてしまう人。そのような人と、
そのような信仰を勧める人は、もっと厳しい裁きを受けるに違いありません。


558 名前:イエス・キリスト(本物):2005/07/16(土) 13:17:10 ID:cKVlPQ7N ?##
>慈しみの心づかいをしっかりたもって生きることを目的とした仏教。

それは社会道徳の類。仏教の目的は悟り。

559 名前:名無しさん@3周年:2005/07/16(土) 18:09:52 ID:6tWWA5Xi
>>558
あんた、少しは考えたほうがいいよ。釈迦の時代背景はどうだったか。
勤勉ということを知らず、貪欲な人間が供え物をしたり呪文を唱えて、
利益を求める時代があった。
そこで、釈迦は悟りを目指すというかたちで修行僧をつくり自己をと
とのえさせた。
釈迦の教えは、修行を通じて究極の理想に通じた人は何をすべきか、
つまり釈迦が本当に言いたかったことは何かが「慈しみ」というこ
とだ。慈しみの心づかいを保つことが、この世では崇高な境地であ
ると呼ぶと言っているからだ。

とにかく現代の仏教が釈迦の教えた出家修行を行わず、世間から離れて
修行もせず悟りを目指せると言うなら、釈迦を冒涜しているしアホが何
かを拝んで悟ったと錯覚しているだけだ。



560 名前:名無しさん@3周年:2005/07/16(土) 18:50:58 ID:PYPjjRu6
>>559
イエスキリストになったつもりの人は無視ね。
何をいっても無駄。だって頭が天国だもん(W

561 名前:小川隆法(おがわたかのり):2005/07/16(土) 19:29:43 ID:cvmj3yeT
イエスは信仰を説いたが、仏陀は信仰を説かなかった。
この時点で違いはかなり大きい。
だが両者を比べてみるのは興味深い作業だ。

562 名前:名無しさん@3周年:2005/07/16(土) 23:17:38 ID:B4wO9pDK
>>557
偶像を拝むことなく神を信じることは難しいですね。
結局世の初めは神とし、世の終わりは神とすることで偶像崇拝を避ける。世の初めの神は、
物質文明もなく、世の終わりも、物質文明はなくなる。善をその両極とすることで、貧富
差はなくなり、すべてが公平で欲求を持たなかった世界を最善と定義するよう教える。

悪魔を人の思考と定義し、文明が発達することにより自制と奉仕の精神がなくなれば偶像
である神は存在しませんから、自然と人類は大変な世界または滅亡に向かうのかもしれま
せん。

企業利益を優先し、人に不利益を与える物を作ればその企業がいずれは世間から制裁を加
えられるように、株価が暴落するように、偶像というものに熱心になるのではなく、人々
が自分の欲求に押し流され、奉仕の精神を失えば生活しずらくなるということを教え、奉
仕の精神を養えばいつまでも幸福は続くということを教えるのが宗教の役目ではないでし
ょうか。

そして、信仰というものは無理に理由づけして解釈するのでなく、つじつまの合う自然の
ものに近い解釈が重要だとわたしも思います。


563 名前:イエス・キリスト(本物):2005/07/16(土) 23:26:31 ID:cKVlPQ7N ?##
>>559
釈迦は悟りのために修行僧組織を作ったことはなく、釈迦の周りに勝手に人が集まってきたのが真相である。
釈迦は慈しみを広めたかったのではない、釈迦の悟りに慈しみ芳香が漂っていただけだ。釈迦の仕事を社
会道徳、倫理、哲学、思想に歪曲することこそが冒涜である。もちろん具象崇拝は釈迦の教えではない。

>>561
キリストは信仰を説いていたわけではない、なぜなら信仰は当時盛んでありわざわざキリストが信仰を説く
必要はなかった。

564 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 06:51:49 ID:c6Lb+/VA
>>563
あんた、本物だったらパソコンを使わず奇跡を起こして布教しな(W
パソコンも社会道徳がある国で、働く人がいて製造できる代物。それすら
悟れないのか?イエスさんよ。

565 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 08:35:53 ID:/aRaehOL
>>563
キリストは信仰を説き、信仰心のない者たちをくじいた。

566 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 09:25:31 ID:EnJ3nDJr
釈迦は出家修行、無一物でひろびろとした野外での瞑想修行により悟りへの
道を修行僧に教えた。

釈迦でさえそのようなことをしなければ悟りへの道を歩ませることができな
かったのだが、現代の仏教に至っては驕りの教祖たちが偽りの行いをさせて、
仏教と名乗り、悟りへの道として遊びごとをさせているだけのものとなった。

その偽仏教教祖は、釈迦が無一物で金品を要求しなかったのに対し、信者に
お遊びごとをさせて生活費を得、楽な生活をするただの商売人である。

567 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 09:32:45 ID:dfTzwBac
イエス・キリスト(本物)だって、

 あのさあ、基地外相手に本気でレスするのも基地外になるよ

568 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 09:33:38 ID:dfTzwBac
無視 無視 無視が一番だって

569 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 09:34:08 ID:YO4ica+u
いいんだよキチガイだから。

570 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 09:58:57 ID:hHbgCJoe
>>559
違う、559に同調するレスだ。イエス(本)=を相手にしているわけではない。

釈迦は出家修行により悟りを目指すことを教え、仏教を築いた。
つまり、無一物で野外での瞑想修行によらなければ悟れないわけだ。

ここで悟り、悟りと言う奴は仏教をまるで知らないってことだ。
在家者が悟りに達することは絶対不可能なのだ。


571 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 10:30:08 ID:Tt7rUYQf
>釈迦は出家修行により悟りを目指すことを教え、仏教を築いた。

釈迦は出家を薦めたことは無い。釈迦と邂逅してこれだと思った人たちが勝手に釈迦にゾロゾロ付いて行っ
ただけである。この現象はあまりにも規模が大きすぎて社会問題になり、釈迦の親父さん(王様)がこれ以
上出家者を増やさないように釈迦に直接頼むほどだった。

572 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 12:14:29 ID:q/31oGyJ
修行僧たちよ。修行僧たちが、林間の住処に住むのを望んでいる間は、修行僧
らよ、修行僧たちに繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制すること。

諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから制して・・・・・・・


 仏教経典では、無一物、出家、林間に住み・・・悟りを目指すと書いて
 あるものが多く、ブッダが出家修行こそ悟りへの道であると言ったとし
 ても過言ではない。

573 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 12:58:32 ID:Tt7rUYQf
>>572
釈迦は自分の後ろにゾロゾロ大量に付いてくる出家者たちにウンザリしていた。彼らは様々なトラブルを起こし
て釈迦を困らせていた。それがあまりにも酷い時は猛獣がすむような密林に逃げ込んで隠れてしまったほど
だ。釈迦は馬鹿みたいに信者を集めまくる宗教実業化組織の主催者ではなかった。

574 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 15:44:27 ID:8c2kKs+1
>>566
釈迦の教えは、バラモン教への反発でもあった。
バラモン教は献供によって利益を得ていたが、それをやめさせようと
した言葉もあり、釈迦の教えでは「この世の欲望を断ち切り、出家し
て遍歴し、欲望の生活の尽きた人、―かれをわたくしはバラモンと
呼ぶ」とあり、「詩を唱えて得たものを、わたしは食うてはならない。」
と釈迦は教えによって食物を得なかった。

バラモンに「部分ごとによく区画されている美事な邸宅に種々の穀物を
みたして、財をバラモンたちに与えた」とあり、信者から財を要求して
いたから。


575 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 19:15:42 ID:PoOHF6Au
過去仙人であり人々から尊敬されていたバラモンが人々から貪りを覚えたから出家修行
というかたちで悟りを目指すという名目のもと、貪欲や怒り、羨望などの煩悩を滅ぼす
修行をしたと考える。

後に八正道という釈迦が重要な教えのひとつとした教えを説く
 正見とは、物事を客観的に観察し、見誤りのない見かたをすること。
 正思とは、物事を偏見なく正しく考える事。
 正語とは、偽りなどを語らず、正しい言葉を語ること。
 正業とは、善因になる正しい行いをすること。
 正命とは、衣食住は正しい行いをもって、正しく得ること。正しい生活。
 正精進とは、正しい目的に向かった努力。
 正念とは、正しい精神統一。
 正定とは、正しい心の落ち着き。

576 名前:愛の教室 ◆X.3GozGUJ2 :2005/07/17(日) 22:42:30 ID:tQ6OoAMu
神は園の中央に命の木と、善悪を知る木をはえさせられた。神は人が自分で賢くなることを不可能にしない存在であ
ること、神は人を遥かに超越した存在で偶像では現すことはできず、人は自然のまま物事を考えられるようになった
としてもよいのです。

しかし、人が賢くなり物質文明が発達しても必ずしも人々全てが幸せになるとは限りません。そのことは、世の初め
から神は知っておられたのです。

神は全ての人々が公平に幸せになるように、悩みもなく暮らせるように美しい自然と、自然に生育している果実で暮
らすことを望まれたのですが、それに飽き足らず人は賢くなる道を選んだ。そのようですから、命の木も賢くなる以
前よりいっそう大切なものとなるのです。

人が賢くなったその罪は命の木である御言を善であると理解し受け入れることで、罪をなくすることができ、それは
世の初めから予定されていたことでもあったのです。

>>562

577 名前:名無しさん@3周年:2005/07/17(日) 23:16:43 ID:byCuhNdo
宗教とは原始的なマルチ商法。
一部の人間が生きていくために考案した集金システム。
僧や牧師や神主などから見れば、
信者は『金』にしか見えない。
いかに信者から『金』を搾り出すかが
聖職者と呼ばれる人間たちの
本音だ。

教祖や僧や牧師や神主などから見れば、
信者は
『お前ら、馬鹿じゃねーの?
せいぜい頑張ってくれよ』
位にしか思っちゃいない。

教義上、平等を説いているが
信者の差別化は常識だ。
貧乏人や障害者、低学歴はこの世界でも
聖職者と呼ばれる人間たちからの
侮蔑、嘲笑にされされる。

578 名前:機濡川明彦:2005/07/17(日) 23:26:20 ID:kLFu6KV/
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1118833610/
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1059495713/
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1117532578/
http://life.2ch.net/psy/kako/1014/10141/1014106884.html
http://khon.at.infoseek.co.jp/chosha/k025.html
http://lark.cside.com/thx/
http://www.bestgroup.jp/index.html
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/5851/new39.htm
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/5851/new42.htm
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/5851/new50.htm



579 名前:名無しさん@3周年:2005/07/19(火) 18:40:21 ID:xS3XJzoh
イエスと釈迦より素晴らしい人が現れた。
現代ではこの教祖が悟りに向かわせるのだ。

 そのような人間たちが新しい集金宗教を作り出す。

イエスや釈迦は金儲けしなかったから、新しい教祖の
いいなりにして金儲けをしようと試みる。




580 名前:名無しさん@3周年:2005/07/19(火) 18:48:26 ID:ulv5aLdu
加西市下宮木村町 深田靖阿

581 名前:名無しさん@3周年:2005/07/19(火) 23:40:23 ID:eyEFEILv
仏教の‘自分を頼りとして、他人を頼りとせず’も重要な教え

582 名前:名無しさん@3周年:2005/07/20(水) 09:32:50 ID:Kp5h0FYV
やはりキリスト教徒は自分の目の中に丸太があるから、

他人の目の中におがくずがあるように見えてしまって、

いつも喧嘩したり殺したりしているのだろうね。

583 名前:名無しさん@3周年:2005/07/20(水) 20:39:27 ID:lSC6QFRY
釈迦は信仰を捨てること、キリスト教は信仰することであり、信仰を捨てる釈迦の教えは
対立を生まないもの。その教えの根拠となるものを名称と形態によらないニルヴァーナと
し、欲求のない世界を求めさせることにより、煩悩の滅びを習得させる。
欲求を抑える修養により、自制心を身につけさせ、欲望にもとづかない判断力を身につけ、
罵倒・怒り・怨み・ねたみなどの悪い心を制し、他人に従うことなく自分自身の正しい判
断により、他人に依存することなく正しく生活できる人となることを目指す。


584 名前:名無しさん@3周年:2005/07/20(水) 20:48:01 ID:lsE8ws9m
ブッダが生きていたら、キリスト教なんて鼻で笑うだろう。
いや、あの人の事だから、目に見える態度では示さないか。
まあ、並列に並べなさんな

585 名前:名無しさん@3周年:2005/07/20(水) 21:16:25 ID:y10imuvf
依存できるものは何もないと知ること。
頼れるものは自分自身しかないし、人自身がしっかりしてないと世の中は良くならない。
世の中は人がつくり、人が幸福へと導いていく。
人の自制心と理性が、他人のことまで考える余裕をつくり、不幸な人々への救済も行う。
自分の貪りのみに生きる人は、他人のことをあまり考えないだろうし、そのような人々
が多かった時代は、今のように豊かではなかった。

586 名前:名無しさん@3周年:2005/07/20(水) 23:23:18 ID:Rqp+QU2y
人が信仰をする理由として本能の刺激があるわけだ。
理性や知性が乏しくなった場合、何かにすがろうと
して救済を求める。

そして利益を与えてくれそうな架空のものに盲目的
に従い信仰が生まれる。

その宗教の主に言われるまま従い疑うことを知らな
くなる。「あなたに利益があるから。」と言って、
金銭を要求されても、命令をされてもまるで餌をも
らう「犬」のように「はい」と言って従うようにな
る。・・・・・それがその人の人生の終わりとも知
らずにだ。

原始の仏教は、修行により理性や学習により知性を
身に付け他人依存しない人間をつくるためにあった。
理性や知性が豊かになると、人のことを考える余裕
ある人になり、それが更に人々のために役立つと考
えたのだろう。

587 名前:名無しさん@3周年:2005/07/24(日) 21:52:05 ID:fFA5zvhd
信仰を増すことが、人によくしてあげること、何もあてにしないで貸してあげ
ることなどとしたキリストの教えは清潔なものです。
人は自分のために必死になって信仰するけれど、それはただ欲が深いだけです。
人に対して実際に親切にしたりすることなどを信仰を増すことと教えるキリスト
の教えに従わないから変な信仰により不潔な人が生まれるのです。



588 名前:名無しさん@3周年:2005/07/25(月) 18:15:06 ID:2bpsGq7X
小田和正さんも愛を歌ってるね

589 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 15:55:11 ID:haT2m8yI
>>586
> 原始の仏教は、修行により理性や学習により知性を
> 身に付け他人依存しない人間をつくるためにあった。
> 理性や知性が豊かになると、人のことを考える余裕
> ある人になり、それが更に人々のために役立つと考
> えたのだろう。

それは人生修行の類であり宗教の修行ではない。宗教とは理性や知性を身につけたり高めたりするもので
はなく、理性や知性の限界点までその個人を持っていくことが宗教である。だから学者の類はその限界点が
非常に遠いので悟り難い現象が起こる。

590 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 16:07:12 ID:haT2m8yI
因みに釈迦の弟子たちで一番最後に悟ったのが釈迦の息子アナンだった。彼は弟子たちの中で一番長い時間釈迦の近くに居て一番多くの説法を聞いて多く記憶していた。彼の頭はまるで釈迦の説いた説法の図書館
のような人で全てを正確に記憶していた。だが彼が悟ったのは一番最後だった。他の弟子たちはアナンの目
を見て彼がまだ悟っていないことを察知して言った。「お前はあれだけ師とともに長く居たのにまだ悟ってい
ないじゃないか」 アナンはその知識の多さゆえに悟れなかったのだ。これは学者にも同じことが言える。

591 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 22:04:08 ID:gfBAyKvB
学者や知識人は宗教とは関係ないと思われ。
だが、自分のことばかり考えている人間は悟りから程遠いだろう。
自分のことを考えることがひとつの欲望ではないか。

592 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 22:24:23 ID:haT2m8yI
それを言ったら修行そのものが成果を求める欲望なので宗教的修行は非宗教的という矛盾が起こる。


593 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 22:53:13 ID:7uFTtXVg

もともと釈迦は自制心を身につけさせるために欲求を抑える修行を
させた。


594 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 23:09:09 ID:haT2m8yI
>欲求を抑える修行

それ即欲望

595 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 23:45:49 ID:wPo4rTBU
信じるだけの奴は負け組み

596 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 23:49:12 ID:o9q5ngPR
王族。
それを捨てた人生。

創価などのインチキ新興宗教には無いもの。
統一協会などもね!

597 名前:名無しさん@3周年:2005/07/27(水) 23:53:29 ID:j6FfC+ZJ
宗教とは原始的なマルチ商法。
一部の人間が生きていくために考案した集金システム。
教祖や僧や牧師や神主などから見れば、
信者は『金』にしか見えない。
いかに信者から『金』を搾り出すかが
聖職者と呼ばれる人間たちの
本音だ。

教祖や僧や牧師や神主などから見れば、
信者は
『お前ら、馬鹿じゃねーの?
せいぜい頑張ってくれよ』
位にしか思っちゃいない。

教義上、平等を説いているが
信者の差別化は常識だ。
貧乏人や障害者、低学歴はこの世界でも
聖職者と呼ばれる人間たちからの
侮蔑、嘲笑にさらされる。

宗教団体の聖職者の言動や行動をよく観察して見るがいい。
金の亡者で欲望の権化ばかりだ。

聖職者たちの裏の顔を暴いてみればわかるだろう。

598 名前:名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 14:02:17 ID:5xkBQNP3
>>597
> 宗教とは原始的なマルチ商法。

それ組織宗教

599 名前:名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 17:41:50 ID:QQ4aPqEF
原始的な宗教は、自己との戦いあるのみ。

600 名前:名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 17:45:19 ID:D9Lnh2JJ
金とエゴにまみれた今の宗教たち

601 名前:名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 20:12:07 ID:5xkBQNP3
>>599
> 自己との戦い

それ即エゴ

602 名前:名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 23:30:34 ID:odnd71og
>>598
宗教組織=収益企業

603 名前:名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 23:58:03 ID:kMoAENM5
宗教団体に勧誘されて、金銭を要求されたら断ればいいし、
無理に勧める団体で、金銭を要求したら押し売りと一緒だと思えばいい。

我々の宗教に入れば御利益があるといい、金銭を要求しだしたら詐欺で、
信じない人の不安をあおる宗教団体で金銭を要求するなら恐喝に等しい。

信じたい人が信じた宗教、金銭を一切要求しなかった開祖、自分の所有
物を一切持たずに教えを説いていた人、その教えを広めようとした人も、
初期の段階では信者から金銭を要求しなかっただろう。







604 名前:名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 02:06:09 ID:PSkeHGum
>>583
本当に釈迦の教えが対立を生まないなら、仏教を篤く信じていると言われる
東南アジアでは内戦や戦争など起こり得ないはずですが、実際そうでないのは
なぜですかね。

605 名前:Y:2005/07/29(金) 02:37:00 ID:Fi+cP1UV
宗教戦争という点では戦争していないということじゃないんですかねぇ。

606 名前:名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 04:27:23 ID:hkvOzJo4
>>605
泰南部

607 名前:名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 21:38:24 ID:wuK4aqDH
釈迦の教えも、キリストの教えも時を経つにつれ違う教えとして伝わる。

伝える者が組織拡大の野望を抱き、釈迦やキリストと同じように自分に

信望を得たいとする指導者がいるならなおさらその教えは枉げられて伝

わっているだろう。




608 名前:名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 22:41:27 ID:Ml0ACuyX
>>604
釈迦の教えに従わないからだろ。

609 名前:名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 09:15:20 ID:g1LmcusN
教えの目的は自制心や理性を身につけさせることであった


610 名前:名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 12:37:14 ID:OqhNZ7WW
菩薩が蓮の花に乗って天から降りてきた衝撃の映像! 君はこの現実を直視できるか!
ttp://hisazin-up.dyndns.org/up/src/3064.mpg

611 名前:名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:06:53 ID:yuDeEv/I
>>588
イエスが言う愛は、恋愛の愛とは別。
「自分を愛してくれる者を愛したとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。」
「敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。」

理性的な愛。


612 名前:名無しさん@3周年:2005/08/18(木) 21:34:10 ID:smszsFgF
>>611
エロスとアガペーか。

613 名前:名無しさん@3周年:2005/08/27(土) 09:40:29 ID:tWitt0mx
ブッシュはどうして敵を愛さないんだ

614 名前:名無しさん@3周年:2005/09/02(金) 20:18:32 ID:clBgDrc9
無私の愛。

ブッシュはイエスの言葉を無視した。

キリストの欠陥は、イエスを殺したイスラエルの殺人者などに敵意を持たない

心が天国だということを理解できないようにしてしまったことだ。



615 名前:名無しさん@3周年:2005/09/03(土) 15:22:02 ID:EGlBFMUD
>>613
ブッシュに愛してるといわれてうれしいか?
実はブッシュもそれをわかっているのではなかろうか。

616 名前:名無しさん@3周年:2005/09/03(土) 16:27:24 ID:kTUvUWK9
一応あいつキリスト教徒なんだろw

617 名前:名無しさん@3周年:2005/09/03(土) 19:14:09 ID:83/xpziA
愛しているから開放のために攻撃してるわけだろ。
理屈なんかいくらでもたつよ

618 名前:名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 02:15:08 ID:EiMu3GtA
某シンジケートに魂を売ってるからだよ

619 名前:名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 12:09:58 ID:5HoZbTH4
信仰とは理解の拡大したものだ。理解の伴わない信仰は信仰ではない。信仰の伴わない理解は理解ではない。
釈迦の信仰とはこのような安全納得できるもの、なのだ。
 信仰を捨てよの信仰は、それまでの理法を理解した上での、理解の拡大したものではない信仰を指す。

620 名前:名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 15:19:28 ID:O/2l3lJN
>>619
十分に理解し納得もするけれど、信仰しないってこともあるよ。
宗教家でなく宗教学者なんかはそういう人多いんじゃない?

621 名前:名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 17:14:32 ID:nLcLfwny
「人を罪に定めるな」とか、「人のあやまちをゆるしてやれ」とか、
当時のイスラエルの人々には理解できない教えであった。
それでイエスを十字架にかけて処刑したのだが、そのイエスをあがない、
何が善か、何が悪かを少しずつ教えるようにした。

イエスを信じ、とりあえず人を哀れむことを善とし重要な教えである人殺
しをしないこと。
信仰を深めるということは、「主よ、主よ」と言わずに「人々にしてほし
いと、あなたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」「敵を愛し、人
によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」ということなのだ
ということがわかるようになること。

御言葉を理解できるようになるまでイスラエルの人々にイエスをあがない
させることがイエスの目的。

622 名前:お内裏 ◆0srR6bU0ws :2005/09/07(水) 19:29:35 ID:gISHllWO

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  U',  ー   ,'U    <   私、ブッダは、45年もの間、繰り返し真理を説き、人としてあるべき道を教えてきた。         |
    iヽ._ _ . 'i        |  しかし、あまりにも愚かな人間が多く、難しいとか、わからない、実行できないと言い張って       |
                  |  邪見にはまり込んでしまっている。                                        |
                  |  たしかに、この世に於いて私の教えに導かれて目覚め、理想とする涅槃寂静の彼の岸に渡り、  |
                  |  心の汚染を浄化し得る者は稀と言ってよいであろう。                              |
                  |  しかし、ブッダの説く法は                                            |
                  |  不滅の真理であり、古今東西、人間救済の覚りへの道であることに変わりはない。           |
                  |  このことを決して忘れてはなるまいぞ。                                      |
                 \____________________ ____________________/

623 名前::2005/09/07(水) 23:57:49 ID:lAqdCQgc
まんず、ニッポンの場合
いわゆる出家者といわれる坊主どもに
とくとくと言わねば・・・


624 名前:名無しさん@3周年:2005/09/08(木) 16:36:20 ID:i1Dvtvqd
仏教は誰が見てもわかる真理を伝えることを旨としていますが、
キリスト教は、キリストが自分は真理であると言ったことが根拠だと言います。
麻原が、真理のみたまで最終解脱であると言ったらそのとおりだと思うのと同じレベルです。

625 名前:名無しさん@3周年:2005/09/19(月) 08:12:34 ID:Pb5thz4Q
やさしさ

626 名前:名無しさん@3周年:2005/10/05(水) 23:29:33 ID:6NAQoaq0
慈悲を教え、慈悲のない人々を釣ること

627 名前:名無しさん@3周年:2005/10/05(水) 23:30:55 ID:FqZL1avK
厳しさ!

628 名前:名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 18:28:40 ID:CapD/Zw1
宗教をバカにしていたこと。

629 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2005/11/07(月) 20:09:32 ID:oo9Af/wM
(66)魚を釣る・人間をとる漁師
(神の子)〜悪しき者は、神の子ヴェータンバリにこっそり忍び込んで〜神々の世界を
喜び、それらの人々は、来世のために正しく教えさとす〜
(釈尊)〜この世またはかの世におけるいかなるかたちでも、空中に現れる光り輝きや
彩色でも、これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである。魚を殺す(=魚を釣
る)ために餌が投げ込まれたのである〜(サンユッタニカーヤT)

〜わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう〜(イエス)


(67)空中に現れる光り輝き・いなずま
〜空中に現れる光り輝きや彩色でも、これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところで
ある〜

〜ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。死
体のあるところには、はげたかが集まるものである〜(イエス)


630 名前:名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 20:34:31 ID:6rhy6aL2
愛です

631 名前:名無しさん@3周年:2005/11/12(土) 20:37:55 ID:4y+eABnm
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


632 名前:名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 23:29:22 ID:qr/Y8jlK
神々信仰から、現代の常識に近いものに信仰を近づけた。


633 名前:名無しさん@3周年:2005/12/16(金) 10:52:33 ID:eCUMSo0p
キリストと仏陀はどっちがつおいの?

634 名前:名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 20:42:59 ID:ZODotjD6
イエスは自分が神の子とした。ブッダは修行完成者。
神のかたちとは、肉体を持った人間でなく、全てが不幸のない世界。
キリストが父の栄光を現したとは、奇跡で盲人などこの世界で困難
な人を癒したこと。神は愛だから、人は愛を行えと教えるため。

ブッダは修行により完成された人間を目指すことを教え、修行完成
者ブッダに罪過は存在しない、そのようになれと教える。

 どちらも哀れみ・慈しみ・謙遜・寛容・耐え忍びなどが人類に
 良い影響を与えるものだとして教えた。


635 名前:名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 04:22:24 ID:4qqiFMCr
>>633
仏陀は強いとか弱いっていう比較の内にいる人じゃないからさ、
戦わしたら、キリストが有利なんだろうけど、キリストは殴らない。
でもキリストの弟子が乱入して仏陀を殺してしまうだろうね。
キリストの反則負け。

636 名前:名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 19:14:45 ID:BNDu4/MB
ブッダの教えは、人間自身の内面を変えること。世間を変えることでなく、
世間一切に背くことなく、自分自身を変えていく。贖い物などの対象物の
正しさや間違いなどはなく、最終的には慈しみの心づかいがこの世では崇高
な境地として教え、人が自分の欲望のみを貪り自己中心的な生き方をするの
ではなく、慈しみの心づかいにより、他人を悩まし罵倒しないように教える。

イエスも世の心づかいをやめ、聞いているあなたが慈悲深い者となれと教え
ているが、当時のイスラエルがそのイエスを殺し贖いとなったままを世界に
伝えようとするため、自分たちの贖いが正しいと主張するのみが信仰となっ
た。慈悲が善いことで、死罪にするほど悪を行っていない人を殺すことは無
慈悲で悪いことさえわからなかった当時の人に対しての宗教行動をそのまま
現代に持ち込もうとするから、今の日本人には合わないものとなる。

637 名前:名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 19:22:07 ID:BNDu4/MB
慈悲の心づかいの大切さを人が得とくすれば信仰はほぼ完成され、
宗教に自己の欲求を求めれば、宗教を行う。

慈悲以外の別のものを人が求めれば、人は宗教をするようになる。
それは特別なことではなく、自然の成り行きとして。

638 名前:名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 21:52:02 ID:Ul1If89U
ブッダの言う神は、自分をよくととのえて何ものにも依存しない者となり、二度とこの世に
生まれない者となることを望む神。

イエスの言う神は、神を信じれば何でもできるとし、自分に自信を持たせる神。自分に自信を
持っていれば自分を頼りとして生きているはずだから。からし種一粒の信仰があれば何でもで
きるとし、信仰がある人は皆無に等しい、慈悲深い行いをしても決して誇らない人が信仰のあ
る人だと偶像礼拝から、人の心のただ中にあるものが神に通じると外から内なるものに誘導的
に教える。

しかし、人々の心の中には自分が慈悲深い行いをするよりも、その偶像を捨てきれず、自然で
天罰を与える偶像的な神と神は愛という二面性を持った神、人間をつくった神は不公平ではな
いかなどと神に対する迷いや評価の論議がおこる。


639 名前:名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 21:56:04 ID:Ul1If89U
【ロンドン=飯塚恵子】「この世に本当に神はいるのか、疑っても仕方がない」――。

未曾有の大惨事となったインドネシア・スマトラ島沖地震による津波災害を受け、
英国国教会のローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教は2日付の英日曜紙
サンデー・テレグラフに異例の手記を寄せ、深い嘆きを表した。
世界に7000万人以上いる英国国教会信者の頂点にある大主教は「感覚が麻痺
する規模のこのような苦しみを容認する神を、どうして信じられようか。疑問が
生まれない方が驚きだ。祈りも、魔法のような解決は与えてくれない」と記述し、
信仰に対する疑問を呈した。そのうえで、「信者たちは生き残った人々と情熱を
持ってかかわらないといけない」と訴えた。


640 名前:名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 21:58:32 ID:Ul1If89U
キリスト教根本主義者の団体が、大型ハリケーン「カトリーナ」は、毎年ゲイの祭りを催している
ニューオーリンズへの神の審判であると主張している。
「多くの命が失われたことは大変悲しむべき事ですが、神は悪の町を破壊されたのです。」と「リペント・
アメリカ」の長、マイケル・マーカベージ氏はオフィシャルサイトで述べている。
「『ガールズ・ゴーン・ワイルド』や『サザン・デカダンス』など、ニューオーリンズは罪を賞賛することに
寛容すぎる町です。今後はそうはいかなくなるでしょう。」
ハリケーンの影響で、8/31から9/5まで予定されていたゲイの祭り「サザン・デカダンス」が中止になっている。
「災害の犠牲者に祈りを捧げましょう。しかしニューオーリンズの市民が、長い間町の中で行われる
罪深い行いに寛容であり、それを歓迎していたことは忘れてはなりません。」
「この神の御業によって我々が何を許してきたかについて思いをはせ、全能の神の前に畏怖することに
なるでしょう。」と結んでいる。

これに対し「メトロポリタン・コミュニティ・チャーチ」の代表シンディ・ラブ氏は反論する。
「傷つきやすくなっている人々の不幸を利用する者がいることは悲しいことです。」
「災害を招くハリケーンをゲイやレズビアンのせいにする兄弟たちの為に祈りましょう。」
「彼らには苦しむ人々のために力を注ぎなさい、同性愛者を叩くために使っている富を安息を
与えるために使いなさい、といいたい。この災害では子供も含め、ゲイよりもはるかに多くの
その他の人々が苦しんでいるのです。神が自然災害で我々を罰するとは思いません。」と語る。
また「インテグリティ」代表のスーザン・ラッセル氏は「イエスはニューオーリンズで命が
失われたことを嘆いています。またゴスペルが宗教的右翼の狂信的な雄弁にとってかわられたことにも。」
「今必要なのは人々が一致団結して必要とする人々に物資を供給することです。」と語った。



641 名前:|-`):2005/12/30(金) 00:46:49 ID:N14s1Rdp
|-`)つ『ホシュ』

642 名前:名無しさん@3周年:2006/01/02(月) 21:15:56 ID:eUWpWCHh
共通点があるということは、人は死んで終わりじゃない。
宗教はないものでなく、死後に何かあるからということだね。

643 名前:名無しさん@3周年:2006/01/13(金) 22:58:46 ID:41NnDKYU
>>639
この世に神も仏もないようだから宗教がある


644 名前:名無しさん@3周年:2006/01/14(土) 03:03:28 ID:1hXNI0vJ
細かいことは忘れたけど、旧約に、不幸が続いても信仰を持ち続ける男の
話があったような。

645 名前:名無しさん@3周年:2006/01/25(水) 23:04:18 ID:cvWkGCvQ
宗教はこの世のないことの教えだよ。不幸な人が信じないはずがない。
神はあるものだ。

646 名前:名無しさん@3周年:2006/01/26(木) 15:41:58 ID:4W86BRN3
イエスは7、ブッタは8、老師は9、皇命は10

647 名前:名無しさん@3周年:2006/01/26(木) 15:54:20 ID:Mxcv+71T
ない

648 名前:名無しさん@3周年:2006/02/03(金) 20:50:37 ID:0bI5iMUH
>>647
師ね!不幸を感じなくなるだろ?

649 名前:名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 01:31:06 ID:lLN78wsT
二人とも事実、教えを曲げられて伝われてる

650 名前:名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 03:33:52 ID:ap7+jV+C
違うところは、イエス様は神を父だといったところ、

651 名前:名無しさん@3周年:2006/02/07(火) 21:27:42 ID:X0GDJns8
>>1
宗教家として多くの人を騙したところとか

652 名前:名無しさん@3周年:2006/02/07(火) 23:28:42 ID:6SimgctY
幼女と交わったところか

653 名前:名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 23:44:38 ID:BhJyp8zB
俺はベリアルの子らしく神を豚っ! ゆ〜てます。

654 名前:名無しさん@3周年:2006/02/13(月) 17:49:02 ID:7zXEuMtJ
非常識な人に常識を教えようとした。が、もともと信仰にのめりこむ
人は非常識なので、教えを枉げてしまう。

655 名前:名無しさん@3周年:2006/02/13(月) 22:21:02 ID:6RslrYqw
神に人格はなかった。人の人格がこの世で終わりのように。
しかし、永遠は続いた。そこは果てしない幸せな空間。
そこに神の人格を見出した。人が全ての幸せを思うなら、神の人格に近づくのだと。
そこで世に現れた聖者は教える。あなたも慈悲深い者となれと。

人の抱くものは無いのだぞ。神に偶像を抱いてはいけない。宗教の偶像はありえ
ないものだと。

しかし、人は根本的に自分のことをどうにかして欲しいと信仰するものだから、
その弱い人間は、まるで動物のように誰かが考案したものに逆らえず、人の支配
の中で恐れて生きるしか脳がない。そのようにさせられているのだ。



656 名前:名無しさん@3周年:2006/02/16(木) 00:37:56 ID:cJKZzgHE
イエスは居ないしな。

657 名前:名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 03:17:00 ID:9MEu/6MR
どちらも誕生日が一ヶ月と二日ずれて伝えられてる

658 名前:名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 05:21:22 ID:BizRozab
宇宙全体と完全にシンクロした宗教家

659 名前:名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 10:03:52 ID:EHmn7ei6
○摩耶婦人への受胎告知とルカ2:25のシメオンの物語、
○ブッダが12歳のときに行方不明になったことと、ルカ2:41の12歳のイエスが行方不明になった事件
○ブッダの言葉「幸いなのは、涅槃にある者のみである」と、ルカ11:27「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」
○ブッダが「変容し、光体となって、果てた」と、イエスの変容

660 名前:名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 10:08:00 ID:fu/zpaH8
>○ブッダが「変容し、光体となって、果てた」と、

そんなことあったっけ?

661 名前:名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 19:02:11 ID:cpznXTKO
信仰より教えだよ。教えのために信仰がある。誰も嫌なこと聞きたくないし........


662 名前:第十惑星:2006/02/27(月) 19:06:00 ID:wSCEXMl1
 キリストの説法は極めて仏教的です。

663 名前:第十惑星:2006/02/27(月) 19:07:52 ID:wSCEXMl1
 その背後には雲というものが登場する。これは宇宙人の操縦する空飛ぶ円盤なのです。

664 名前:S:2006/03/01(水) 22:52:13 ID:Lq0tY6Vx
メッセンジャー。両者引き分け 行司 源

665 名前:名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 22:18:04 ID:uWQGE11M
>>662
宗教の存在意義として、永遠の命がある。人間界以外のことを説くから、
どうしても共通な教えがでてくる。

666 名前:中観派:2006/03/06(月) 22:23:29 ID:7Oqk6xfu
>>662
何言ってんだよ。キリストは最後死ぬとき死を恐れていたので、無我を悟って
いるブッダとは大違い。ついでにいうと愛は苦しみを生むからブッダは愛を否定し、慈悲を主張している。


667 名前:名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 22:35:35 ID:hERpB6Ki
>>1
どちらもヨガの行者。

668 名前:名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 22:59:09 ID:sZPYXCaw
どっちも、ホモサピエンスの♂。

669 名前:名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 23:10:49 ID:6reTexv4
屁が臭い

670 名前:名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 17:47:23 ID:mxcj73+i
>>666
キリストは万人の思いを表現したんだ。
それから神の意向を受け入れることを教えた。
表面だけみてるだけだ、あんたは。
自分を愛するものを愛してなんの報いがあろうかと教えているだろ。
それで悟れよ。
では質問する。あんたが言う慈悲とは何だ?きちんと説明せよ。

671 名前:名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 17:50:42 ID:RHRRybF4
>669
嗅いでから言おうよ

672 名前:名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 18:39:50 ID:DZB0IJxN
宗教やってる人って使えない従業員って感じ。
>>慈悲を主張している・・・・・・・・・・?????
勉強しても社会に役立たない落ちこぼれをつくるだけ
だね(W

673 名前:名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 19:39:27 ID:318f7yIt
金タマの匂いも嗅いだ

674 名前:名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 22:32:06 ID:tF7BllNp
>>672
いや、仏教徒の思慮が浅いだけだ。中観派などと名乗っているが、理屈
ばかり学んで何も役に立っていない。
第一、死んだら役立たずの教義を学んだことなど意味なくなるからな。
それすらわかってないから、どういうつもりで生きているのか不思議で
仕方が無い。
>>666のように、みんな死ぬんだ万歳か?生きようとすることが大事だ
ろ?そして死後の世界も受け入れる。
慈悲を学んだ、それは教義だけで終わる。
現実には、「自分を愛するように隣り人を愛せ」「自分を愛するもの
だけを愛することなかれ」ということが大事なんだ。

死ねば、どんな教義でもなくなる。思慮が浅いとそれすらわからない。
わからない人が仏教の教義を素晴らしいと学んでおしまい。

675 名前:名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 23:50:34 ID:yI82ywTy
キリストは仏陀の生まれ変わりと考えるのがもっとも合理的であるが、
本当のことをいうと大乗や聖書はすべて創作。
キリストや仏陀が仮に歴史上の人物だったとしても、奇跡を起こせる
ような神通力を持っていたのではなく単にやさしいおじさんであった
ことは疑いようの無い事実です。


676 名前:名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 21:01:03 ID:ssIN7zT7
おじさんでもおばさんでも、慈悲を主張している!俺たちは慈悲が
大切だと学んで凄いんだ!お前たちの言ってることは非常に愚かだ、
と言ってるか、言わんばかりの変な奴より、「自分を愛するように
隣り人を愛せ」と教えた人のほうがまともだと思うな。

宗教で知識を得ると、変な奴になるって証拠だよな。自分が急に偉
くなったと錯覚するっていうか、人が死ねばその知識もなくなるだ
ろ。まともに人生を考えられなくなるんだな。


677 名前:名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 21:07:29 ID:yvgyCeM0
偉大なる「神」と我々非力な人間との間の仲介者。

678 名前:中観派:2006/03/08(水) 21:17:23 ID:TuvrZXAk
>>674
中観派は永遠に生きたいとも早く死にたいとも考えない。
また、人間の肉体が滅びても中道を希求した因縁は宇宙に残る。これを書いている
ことでさえ。

679 名前:名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 21:18:09 ID:r3Us0Dbw
>>1
 そりゃ孤独に逝った事。釈迦はお付の弟子一人に看取られて、
イエスは2人の盗賊と一緒に処刑されたって事か
>>675
 ただ、仏陀が例えば老子の様に架空の人物だったとしても仏教は
揺るぎはないが、イエスが架空の架空の人物だとすれば教義は
根底から崩れる

680 名前:中観派:2006/03/08(水) 21:24:11 ID:TuvrZXAk
>>679
俺もそう思うけど、キリスト教スレの人は認めようとしないんだ。
これを彼らに教えてあげてくれ。

681 名前:名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 22:10:10 ID:kv1NQCcL
>>678
中道を希求した因縁は宇宙に残る、ルン♪ルン♪ルン♪
宇宙のどこに残るんだ?どの場所だ?きっちり説明せよ!
説明できなきゃ、仏教徒は人をキチガイにするだけだな。


682 名前:名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:13:18 ID:uZ7BNuv/
中観派と>>679よ、たとえイエスが架空だったとしても、その教えは的を
得ている。
「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」
 それは、現実的に自分を愛するように隣り人を愛せば、争いは起きない。
いくら宗教教義を学んで、素晴らしい人間になったと思って錯覚しても、
人の死後にその宗教教義が生かされると立証できないだろ。

>>中道を希求した因縁は宇宙に残る
 それが実証できなければ、仏教は架空か妄想が生んだものと断定する。

683 名前:名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:23:49 ID:S+wH2cAR
>>1

シューキョー

684 名前:名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:24:55 ID:S+wH2cAR
あ、つけ忘れた!



シューキョー(笑)

685 名前:中観派:2006/03/09(木) 21:09:20 ID:xmh6Dd2I
>>682
私の言葉が君の頭に入り、そして君が「それが実証できなければ、仏教は架空か妄想が生んだものと断定する。」
と文章を書いたことこそが因縁である。そう私はあなたを動かしたんですよ。
そしてあなたは私に動かされたんですよ。私が主張しなければあなたは動かなかった。

686 名前:名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 21:26:51 ID:Vi59Aowt
>>685
しかし、教えとして「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」
は的を得ている。
君の言っていることは、人間と人間の肉体的な反応であって、
「中道を希求した因縁は宇宙に残る」という証明にはなっていない。

人間と人間の自然の反応を教えたところでどういう意味があるのか。




687 名前:名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 00:06:22 ID:MuDldf33
>証明

宗教にこれを求めることは間違いだと思われ。。。
証明されたら、宗教じゃなくて、科学。

688 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/10(金) 19:38:35 ID:0MKLE65x
―日も盛りの時、鳥どもが枝にとまっているときに、大きな森が鳴りひびく。それは、わた
しには楽しみと思われる―(サンユッタ・二カーヤT)
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちよく起き上がった―
―かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみず
から満足すべきである―(スッタニパータ)
―人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろ
う―(ダンマパダ)

 《恐れおののき》《悩み・思いわずらい・くよくよと思いめぐらさない》《こだわり》
 《かの世もこの世も望まない・不満がない・今現在に精神統一されている》

死なき境地の世界は、この世でよく晴れた青空のように清々しい心となり、何も迷わない。
―邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだりし思索したどんなことでも特に執著して考えるこ
こがない―《この世のもので、これだという断定的なもはなく、如何なるものでもない、ど
のようなことでもない》


689 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/10(金) 19:39:28 ID:0MKLE65x
【ブッダは彼岸に達し、静かな自然を修行の場とした】
静かな自然の中で瞑想する修行僧。自然は永遠の命の世界に近いものである。これは、死の無
い境地を知った者にしか理解できないだろう。その境地を知った者は、宗教上のことで誰の見
解も参考とはしない。死無き世界を知った人は、死無き世界のことから話し、知らない人は考
えから話すだけだから。

人が自然に安らぎを覚えるのも、自己の内にある永遠を感じるからであり、太陽の光も、そよ
風の心地よさも、青空も、森も林も、その中で静けさを楽しむことも、永遠に近いものである。
そこの中で静けさを楽しみ、「ああだろう、こうだろう」と思いめぐらすことなく、粗雑な思
考を修め取ることは、この世の場所では永遠に近いものだと知っているが、永遠の命の境地で
はない。

仏教は哲学でも、理論でもない、道理である。彼岸があって仏であり、彼岸から教えを導く。


690 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/10(金) 19:40:35 ID:0MKLE65x
※妄執から生まれたものより、永遠の命に近いものに従っていれば、この世で安らぎ、また悪
 を行わず、永遠の命に近いものより、妄執から生まれたものに従っていれば、この世で安ら
 ぎがない、人に対して悪を行うこともあるだろう。
―生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない―(スッタニパータ)・・・・
  妄執によって悪い運命に陥る。生存の断滅は悪いところに生まれる行為である。

【悟りの境地】
《全ては水の泡か陽炎のごとし、一切は虚妄である。そして一切が幸せな境地の世界を知る》
―この身は泡沫のごとしと見よ。この身はかげろうのごとしと見よ―世の中は泡沫のごとしと
見よ。世の中はかげろうとごとしと見よ―(ダンマパダ)

 恐れなく、迷いなく、不満なく、かの世もこの世も望む心を捨て去り、
 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―
  そのようにいつも清々しい心で生きている人は、何ものにも依存しない。

宗教上のことで人を頼りとしない、何ものかを思わない、何ものにも依存しない。迷いを離れ
た人は今現在を生き、宗教のことで人に惑わされない。

691 名前:王手 ◆smsT7H5CYM :2006/03/10(金) 20:46:53 ID:QnYIcY6a
>>687
証明されたら科学、証明されないものが信仰。では、何を信じてもよい
ことになる。中観派は信じたに過ぎない。

証明できないのに自分の信じたことは正しい、他人の信じたことは間違って
いると言おうとするから対立するのみとなる。

>>666
慈悲を主張するなどと仏教徒は知識のみ身につけて、他の教えは違うと言う。
知識のみでその知識は死後役立つと言うのか。もし、来世があったとしても、
知識のみで、自分は物事をわかったつもりで、他を違うと言う人間は何か役
に立つのか。



692 名前:王手 ◆smsT7H5CYM :2006/03/10(金) 20:47:51 ID:QnYIcY6a
たとえ来世があったとしても、「自分を愛するように隣り人を愛せよ」を行
う人は平安の役にたつし、非現実的な教えではない。
イエスの「良い人、悪い人」つまり、自分の良い、悪いに従わず、ゆるす人
は他人の考えも受け入れていて争いは起きない。

自分たちの言うことが正しく、他はダメだと主張する人間がいるから、人間
は反発し、対立の原因をこの世につくる。中観派は、仏教知識を身につけ対
立の原因をつくる。そんな知識は、たとえ100回生まれかわりがあろうと、
この世に対立を残すだけだ。

益をもたらす教えは、この世には良いものもあり、悪いものもあり、それを
認めて非難せず、自らが良いことを行えるようになることだよ。


693 名前:名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 01:26:39 ID:7WrwtUfK
両人とも神ではないこと。
マホメットもそうだよね。

694 名前:名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 01:35:17 ID:oeXXiHIh
キリスト教はブッダの考えを模写していること


695 名前:名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 01:59:21 ID:papTabQv
どっちとも陰茎2つあったらしいよ

696 名前:名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 02:00:31 ID:7WrwtUfK
ヒゲをはやしていることかな

697 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/11(土) 12:58:05 ID:bKF203L/
【平安の境地に達してなすべきこと】
―平安の境地に達してなすべきことは〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、
安楽であれ〜何ぴとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならな
い。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない〜
母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対して
も、無量の慈しみのこころを起こすべし〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈
しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(スッタニパータ)

 自己が自分のものではない。世間も自分のものではない。《一切の事物は我ならざるもので
 ある》と永遠の自分を知ったならば、この世で一切の生きとし生けるものの幸福と安穏と安
 楽を思う慈しみのこころが自分なのである。他人を我がものとすることもなく、他人を我が
 意に適うものとすることもない。



698 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/11(土) 12:58:50 ID:bKF203L/
そのように、死なき境地の世界は、一切が虚妄であり、一切が安穏であり安楽であり平安と喜び
の幸せに満ちる。それが我であり自分である。個人存在の諸要素の集合であるアートマンを乗り
越えた世界を知った人は、作られざる世界にのみ究極の安らぎがあることを知る。
《一切の形成されたものは無常である。諸々のつくられた事物は、すべて無常である。それらの
静まった世界が、安楽である》
《一切の形成されたものは苦しみであると明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから
遠ざかり離れる》

【平安の境地は学んだこと思考されたことさえ離れて安楽である】
―見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものである
と知り、考えたれたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたこと
は識別されただけのものであると知ったならば、苦しみが終極すると説かれる〜思考の及ばない
静かな境地は、苦しみのことがなの止滅であり、つくるはたらきの静まった安楽である―(ウダ
ーナヴァルガ)


699 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/11(土) 12:59:39 ID:bKF203L/
―言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいのである―(サンユッタ二カーヤ)
 言語表現がないと教えは伝わらない。しかし、言語表現されたものを学んで平安の境地に近づ
 くことはない。学んだことは学んだだけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけの
 ものであると知り、考えられたことは考えられただけのものであると知らなければ、安らぎは
 得られない。
―学ぶことに生きがいを認め―その一つの極端説を行うことにより、慢心が起こり他は違うと言い
張り、自分たちは正しいとして地獄の境地に至る。貪欲から離れ、迷妄から離れ、一切の生きとし
生けるものの幸福と安穏と安楽を害わないように心がけている人は、それで永遠に近い。人の安穏
を思えば、それで永遠に近く、安楽を思えば永遠に近い。人々の幸福を思えば永遠に近い。

【神の身体を満たすであろう】
〔在る神いわく〕―ブッダに帰依した人々は、すべて、悪しき境地におもむくことはないであろう。
かれらは、人間の身体を捨てたあとでは、神の身体を満たすであろう―(サンユッタ二カーヤ)
―争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は〜煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。
実にこのような修行僧は〜死後には苦しみを受ける―(スッタニパータ)

 道理を語らず、自分たちが正しく他は違うと言い張る人々は、ブッダに帰依した者ではなく、
 修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、死後に苦しみを受ける。


700 名前:名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 22:02:57 ID:dC1Qh8ca
仏の知恵は成仏して身体のない世界を知ることから生まれた

701 名前:名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 19:51:31 ID:zp5mGNY8
緊急行動:チベット人僧侶テンジン・デレク・リンポチェの釈放を求める緊急行動にご協力ください

2005/1/26に中国の四川省高等人民法廷が爆破テロ事件に関与した罪で
テンジン・デレク・リンポチェが受けた2年の執行猶予付きの死刑判決を減刑した、
と中国国営新華社通信は伝え、死刑執行の恐れはなくなりました。TSNJは、このニュースに安堵し歓迎します。
しかし、逮捕・裁判そのものが国際基準を満たしてものではなく、裁判の公正なやり直しが必要なことに変わりはありません。
濡れ衣である元々の判決の誤りを正し、テンジン・デレク・リンポチェが釈放されるよう、中国政府に対し要求します。

この事件では他に、ロプサン・ドンドゥプ(トントゥプ)が、2003年1月26日に、同じ爆破事件の関与で非公開裁判後に即処刑となりました。
さらに、この爆破事件に関して、少なくとも4名が投獄または拘留、あるいは現状が公表されないままになっています。

詳しくは
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/savetenzin/

702 名前:名無しさん@3周年:2006/03/16(木) 03:19:29 ID:A9M2WntE
池田・実行・kotarouの三馬鹿大将にはおよそ無縁な世界でございます。

703 名前:名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 22:14:42 ID:V00we3f8
仏教から争いを生むなんてとんでもない。
それは、当たり前の基本ですよ。


704 名前:名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 21:18:41 ID:S4G4LLwt
仏教は自分の悟りを目指す教えだからな、何かを信じることが一番で、後はダメ
っていう教えはない。信じただけで救われるはダメ。

705 名前:名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 13:00:42 ID:fA+h3hqy
>>1
キリスト=メシア(救世主)のこと ユダヤ教はイエスをキリストと認めない
ブッダ(仏陀)=解脱(悟りを開く)をした人のこと ヒンドゥー教はシャカをブッダと認めない


題名は イエスとシャカ か キリストとブッダ にしないとおかしい

706 名前:名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 13:08:55 ID:lo5VibU5
大阿闍梨キリスト

707 名前:名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 22:34:30 ID:wrOY9Jk1
天国へ行けば、誰かの間違いを指摘することもないだろう。
天国からの判定は、誰かの間違いを指摘することが間違いである。

708 名前:名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 19:05:17 ID:PxN1S3Ml
バラモン教とユダヤ教から独立させるため、慈悲や愛など
人間にあるものを正しいとした。


709 名前:名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 17:58:50 ID:hQ2Jog1G
人間を大切にしれ、唯物主義からの離脱

710 名前:名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 18:45:38 ID:zS5KTCk7
自分のやったことは自分に帰ってくるという因果律。

711 名前:中観派:2006/04/21(金) 19:21:18 ID:fUYEePiP
キリストって仏教を学んでいたらしい。
だから、オウム真理教のように完璧に仏教を理解していないオカルト宗教
なんだと思う。
だって、天動説とか信じて、地動説を否定しようとしたり、天地創造を信じて
進化論を否定しようとするんもんな。こりゃ、欧米の人がキリスト教から
離れるのも分かるな。

712 名前:名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 20:02:54 ID:rVwBJBMG
>>1
架空の人(キリスト)と実在が証明されてる人(釈尊)を同列にしない


713 名前:中観派:2006/04/21(金) 20:06:52 ID:fUYEePiP
釈尊は実在しなくても仏教は永遠だ。なぜなら、正しいものを人間が追い求めるからだ。

714 名前:名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 20:29:45 ID:77dEJsKi
人間的な神からの離脱。信仰の撲滅。万物が帰する神、すなわち死後しかわからない
神=ニルヴァーナ世界への転化。彼岸でしかわからない神=人格神からの離脱。

いくらイエスを主よ、主よと言っても何もならないことを教えさとす。
それが無理だとわかったから、贖いの対象となった。

仏教は信仰を捨て去り、自分の行いを正すことをあたりまえとしているから、仏教は
キリスト教を含む。

715 名前:名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 21:48:54 ID:rVwBJBMG
>>713
いや、釈尊は実在してるからさ

よく嫁

716 名前:中観派:2006/04/21(金) 21:51:04 ID:fUYEePiP
>>715
仮の話でも仏教は正しいってことだよ。

717 名前:武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/04/21(金) 21:58:18 ID:l66v5suL
>>715
正しさが実証された以上は、仮に釈尊が実在していようがいまいが関係はない。
要するに「仏法」という名の普遍的宇宙法則を突き止めて活用することこそが第一義なはずなのだから。

718 名前:名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 22:04:49 ID:84PKymi9
釈迦も実在する、イエスも実在するとする。
イエスは神よと言いながら、善い行いができない人を偽善者だと認め、
殺され贖いの対象となった。

釈迦の弟子たちは、イエスが教える人たちと性質が違う。原始仏教で
は徹底して真実を説いた。つまり釈迦は真実を追究した。

大乗仏教によって、それが崩された。欲望を自制する教えは、神々な
どを拝んで自分の利益を求めようとする人々には受け入れがたいもの
だから。

719 名前:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:06:28 ID:fg/ycEjS
自分の利益を求める偶像崇拝から、他人に利益を与える慈しみなどの
教えに。
自分の利益を求めるのは人はあたりまえのこととして努力する。宗教は
いらない。
信じた者は、人々に「与えよ」、「わかち与えよ」というような教えを
行って徳を積む。

720 名前:名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 05:45:41 ID:FQoCJxYF
919 :一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/04/27(木) 05:31:42 ID:vsvV5syx
女性の話題なので、一つ紹介をば。

釈尊の母親はマーヤで、イエスの母親はマリアです。

神道の重視する言霊では、極似しております。
まあ、偶然と言えばそれまででしょうが。

721 名前:名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 20:47:10 ID:BIm+ddzG
ママとか マって音は 母親の意味でよく出てくる

722 名前:名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 09:49:58 ID:POW1BClY
マリアのマは母親とは関係ない。
マリアは女性形で、男性形はマリオ。

723 名前:名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 19:52:35 ID:5WrH5l9H
「名称と形態を破壊せよ」とは仏陀の言葉なのだが。

724 名前:名無しさん@3周年:2006/05/07(日) 14:13:45 ID:SOD3EW8s
ママ、パパもこの世だけのもの。そんなこと教えても宗教にならない(W

725 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/13(土) 09:05:06 ID:v7iKcYxc
「外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、
これを認める。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に
従って常に変化しつつ連続する有為法である。」
出典:「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社)

最近解読された「ユダの福音書」でも、肉体の死後に霊魂が存続することを
重視している点、更に霊体と内なる神に関するイエスの教えが興味深いです。


726 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/13(土) 09:09:57 ID:v7iKcYxc
もう一つの共通点はイエスも仏陀も一般大衆(凡夫)には寓話(譬話)
で教えを説いたという点です。

ただし、高弟にのみ真理をそのまま説いておられます。
それほど真理を言葉で伝えることは難しかったようです。

参考:「ユダの福音書を追え」、「原始仏教 長部経典」


727 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/13(土) 21:12:13 ID:sSbWzjX8
「自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」という有名な言葉は
イエスの教えではなかったのかな。

仏陀が説いた因果応報の法、真理と全く同じだと思いますが。

善因を積めば、現世か来世で善果を受け取り、悪因はその逆だな。

728 名前:名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 22:45:21 ID:AXcv/dnp
宗教には癒しの部分もあるし。つまり慰め。
無所有を楽しむ修行僧。永遠の命の世界を善として、天国への希望を持たせるイエス。
宗教は決して物質的に豊かな人が幸せとは説かない。
今豊かな人はそのまま贅沢三昧していると後の報いは悪いと。
現世の結果を問わず、これから善いことをせよと教えるのが、全ての人に通じる
教え。

729 名前:名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 20:54:44 ID:/Ap4lUdh
17年ほど前、神学校にいたとき、
京都の山奥で、イエス像と仏陀の像が
隣り合わせに座ってるのを見た。
両方を尊敬?してるとかの寺で。
さすが京都、とおもったげな。

730 名前:名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 23:22:12 ID:P9FXka9H
全世界に広まる宗教は、物質的なものよりも、その環境よりも、
修行を積んで究極の理想に通じ、慈しみのこころづかいをしっかり保てと教えるブッダ、
慈悲深い者となれと教えるイエス、
 
 つまり人間が互いに尊重することで、幸せになると教えた。


731 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 01:31:28 ID:X1w2SYti
 諸行無常
 手法無我 
存在すると思われる一切のものは、
生滅して止まるところがない。
一切を超越した普遍的且つ不変的存在(神)は存在しない。
ユダヤ、キリスト、イスラムの神は完璧に否定されている。
 しかし、仏教徒と称する者の中に、たとえば大日如来など
神的存在を妄想し、神とモーセ・キリスト・マホメットと
同様の機能関係を構想したものがいる。もはや仏教とは言い難い。

732 名前:731:2006/05/20(土) 01:35:30 ID:X1w2SYti
× 手法
〇 諸法 ごめん、弘法も筆の誤り。

733 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 01:35:31 ID:v6DQhTw6
原始仏教ではないが仏教といえよう
大日如来が自分には来たことないが、
薬師如来はよく光かがやく

734 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 05:57:38 ID:v+KcVit9
仏典を読んで諸行無常しか読み取れない人がいる
仏教徒なら、他人に依存することなく、自らを頼りとして、仏典から探せ

735 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 06:05:02 ID:HvCAx0iw
仏陀は真理の覚者
イエスは真理。
真理繋がり。

736 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 06:07:01 ID:ZUxyVxfb
イエスは、べつに真理なんかじゃないよ。一人の人間だ。

737 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 06:10:13 ID:HvCAx0iw
でも自分でそう言ってるんだし。

738 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 06:20:53 ID:v+KcVit9
「ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜も神々を念じている。」
大乗仏教経典では、神々の名を唱えるよう書いてある経典もある。

739 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 06:23:44 ID:iJkPHtKZ
>>737
そりゃ麻原と同じ

740 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 07:11:02 ID:HvCAx0iw
違うところのほうが大切。

741 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 08:25:34 ID:v+KcVit9
「道理を語らない人々は、善い人々ではない。」釈尊
多くの仏典に神々が書いてあるのに、それを否定することは仏教を否定することに
もなる。
ただ、自分の思った感じで語るとか、誰かが言ったからそれを否定するなら、悪い
人である。

742 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 15:48:28 ID:X1w2SYti
 そこで語られる『神』の概念・機能・内容が問題だ。


743 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 18:18:25 ID:uzIyHWL7
>>1 彼らは神ではない?? 啓発者ってことは意識は神と同化してんじゃない?

744 名前:名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 20:13:18 ID:E2aWnFhQ
アウグスティヌスという人がキリスト教から輪廻転生を削除して
予定説の神学を作りました。


745 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 03:55:39 ID:XGsJWOAs
>>1
2人とも、9次元世界の住人だということです。

746 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 04:08:12 ID:MCxFjOa9
まぁ、ジャックアスのスティーブ−Oわ、
数々の奇跡起こしてるから、、
あるいみ一番神に近い存在。。

なのか?

747 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/21(日) 07:04:13 ID:yvDm8bHw
>>731
>しかし、仏教徒と称する者の中に、たとえば大日如来など
>神的存在を妄想し、神とモーセ・キリスト・マホメットと
>同様の機能関係を構想したものがいる。もはや仏教とは言い難い。

日蓮も天照大神を敬っていたことは意外と知られてない。


748 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 07:04:23 ID:YVipMWiU
キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.opoka.net.pl/jiai/jiai02.htm

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

病気で寝たきりになっても、強い信仰を持っていた女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

749 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/21(日) 07:07:54 ID:yvDm8bHw
「日蓮大聖人御書全集」、341編を調べましたところ、
「天照大神」に関する日蓮の説法が登場する箇所が5編ございました
ので、一部を紹介します。(大半が真筆です。)

【聖愚問答抄】文永二年(44歳)
「然るを日本は神国として伊奘諾・伊奘冊の尊此の国を作り、
天照大神垂迹御坐して、御裳濯河の流れ久しくして今にたえず。」

【神国王御書】文永十二年(54歳)
「国主をたづぬれば神世十二代は天神七代・地神五代なり。
天神七代の第一は国常立尊、乃至第七は伊奘諾尊男なり。
伊奘册尊妻なり。
地神五代の第一は天照太神、伊勢太神宮日の神是なり。
いざなぎいざなみの御女なり。」
(※国常立尊神の御名が登場します。天神と地神とを立て分けもされてます。)

【日女御前ご返事】建治三年(56歳)
「日本国の守護神たる天照大神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神、
総じて大小の神祇等体の神つらなる、其の余の用の神豈もるべきや。」

また「神国」に関する日蓮の説法が登場する箇所が8編ございました
ので、一部を紹介します。

【念仏宗追放せしむる】正元元年(38歳)
「右我が朝は本是れ神国なり。百王彼の苗裔を承けて、
四海其の加護を仰ぐ。 」

【北条時宗への御状】文永五年(47歳)
「夫れ此の国は神国なり。神は非礼を稟けたまはず。
天神七代・地神五代の神神、其の外諸天善神等は一乗擁護の神明なり。」


750 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/21(日) 07:15:30 ID:yvDm8bHw
>>741
>多くの仏典に神々が書いてあるのに、それを否定することは仏教を
>否定することにもなる。

原始仏典を一通り読んでおりますが、仏典に登場する神の大半は霊、
自然霊、天使クラスです。

旧約のエホバや、コーランのアラーに対応するのは、梵天、大梵天
クラスです。

悟りをひらいたばかりの釈尊は説法を断念しますが、大梵天の中の
一方が、釈尊の心を読みながら3回以上説得して、仏は心変わりし
説法に立ち上がります。(出典:長部経典「大本経」)


751 名前:一在家 ◆03gfAyqM2A :2006/05/21(日) 07:24:00 ID:yvDm8bHw
仏教徒の多くは「梵天勧請」と呼んで、釈尊は梵天より偉いと思って
おります。

譬え話(寓話)をすればすぐに分かります。

自分にはできないと大変迷っている人がいて、別の人が人類の為に
何度も彼を説得しました。
やがて、説得されて悩みも解消し、できるようになりました。

さて、前者と後者の何れが偉いでしょうか?
そして、何れに人類愛(慈悲)を感じますか?


752 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 08:49:43 ID:uKj1pMWW
>>751
さて、前者と後者の何れが偉いでしょうか

ぶっだがえらい。

753 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 09:11:20 ID:uMs/EOI9
「一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、
『清浄である』とか『不浄である』とかいってねがい求めることもなく、それらにとら
われず行え」

「信仰を捨て去れ」
 
   と教えた、ブッダが一番正直で偉い。

754 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 09:25:39 ID:XLoG+nGN
んなもん、どっちが偉くたっていいだろ。

ゴータマ・ブッダも、優れているとか劣っているとか
等しいとかの思いを離れろと教えているぞ。

下らん議論をしているくらいなら、清浄行を行え。
とも教えているぞ。

755 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 10:04:03 ID:uMs/EOI9
「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」とはどういう意味か、学んできなさい
と言って、「からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言っ
たとしても、その言葉どおりになるであろう。」と言って、人に信仰があることなどありえないこと
を教え、「命じられたことを皆してしまったとき、『わたしはふつつかな僕です。すべき事をしたに
過ぎません』と言いなさいと教え、「あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てに
しないで貸してやれ」と言い、信仰のある人はいないが、敵を愛することを善いこととして受け入れ
ること、人によくしてやることが善いこととして受け入れること、何も当てにしないで貸してやるこ
とを善いこととして受け入れることを教えたイエスは明確で偉い。

信仰のある人はいないが、人によくしてやることが善いことと教えたら、イスラエルの人々に殺され
贖いの対象となった。自分は信仰してますと言って、人によくしてやらない理解力のない人間たちの
ために贖いの対象となったのだ。信仰を捨てることができる人と、信仰しなければならない人をより
分けた。


756 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 11:59:28 ID:uKj1pMWW
>>755
始めは目を白黒、何回か読んでみるとOK.
だけど[贖い]って何ですか?

757 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 16:18:36 ID:uMs/EOI9
>>756
信仰の対象となるもの、つまり偶像なるものは実際は世に存在しないこと。
働かないと食べてはいけず、命の存続を願っても助ける存在はおらず、争っても平和にする神はおらず、
人々が互いによくしてあげないとよくされることもなく・・・・・・・・・・・・・・
「律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、
彼らにとっては自分自身が律法なのである。」

 つまり現世利益を望んで対象物を拝んでも、人がまともになることはないのだが、信仰を持ちなが
 らイエスを殺したイスラエルの人々にとって、偶像礼拝の罪をゆるし、イエスをあがなうことで、
 かえって律法を確立させようとするもの。

ブッダの教えは、もともと信仰の対象物をもたず、慈しみの心づかいをもてばこの世に生まれること
はないと教えているから、慈しみの心づかいがある人には、悪が生じない。
イエスは慈悲深い者となれと言って、信仰を持っている人に殺されたのだから、その信仰を変えない
とイスラエルはよくならないと判断してあがないの対象となった。 

758 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 17:14:14 ID:uKj1pMWW
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あがな・う【贖う・購う】
[動ワ五(ハ四)]《「あかう」から》1 (贖う)罪のつぐないをする。「死をもって罪を―・う」2 (購う)あるものを代償にして手に入れる。また、買い求める。「大金を投じて古書を―・う」[可能]あがなえる .. [さらに]

>人がまともになることはないのだが、信仰を持ちなが
 らイエスを殺したイスラエルの人々にとって、偶像礼拝の罪をゆるし、イエスをあがなうことで、
 かえって律法を確立させようとするもの。

 上の論理構造が全然わからない。
 贖うということは辞書にあるように罪を償うと言う意味とすれば、AさんがBさんに罪となる行為をした場合、
その償いとして賠償金を払うとします。こうしてAさんとBさんの間は元の状態に回復するのです。
 イスラエル人はイエスを殺しました。この罪を贖う為には身づから死ぬなら贖うことになるでしょう。
それはしていません。イエスはよみがえりました。これはではイエスを殺したことになりません。
ですからイスラエル人はイエスを殺した罪を贖う必要が無くなりました。ここまでですと
贖いの問題はありませんね。どうして贖いのことが出てくるのでしょうか?

759 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 20:20:21 ID:uMs/EOI9
「律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、
彼らにとっては自分自身が律法なのである。」

言い方が悪かったかな。神の言葉を託された人々が、神々といわれている時代に、父が聖別したとして、世に
つかわされたイエスが神の子と語り、慈悲深い者となれとイスラエルに教えた。
しかし、イエスはイスラエルに殺された。神を信じている人々に殺された。そのイエスのイスラエルに対する
教え方の誤りをイエス自らが代償したのだ。


「本当は信仰のある人はいない。慈悲深い人が正しいのだ。」人によくしてやることで、この世がよくなり、
信仰では何もならない。

しかし、死に値する罪を犯していない人を平気で殺すイスラエル人には、信仰をさせるしかないのだ。イエス
をあがなうことで、律法を確立させようとした。

「イエスがよみがえった」と思うのはその人の信仰。宗教をして死んだような人々から、慈悲に目ざめた、現実に
目ざめたと考えるのは信仰ではない。

イエスは自分が殺されるかもしれないという行いを自らがした。死をもって自分の教え方の過りの代償を果たそう
としたのだ。







760 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 20:59:36 ID:uKj1pMWW
そう言えば以前キリシタンに贖いの事を聞いた時、命を買い戻すとか言っていました。
神に対して罪を犯したユダヤ人(人類)は、その償いをする必要があった。どのような償いが
罪を清めるのだろうか、と。神に対する罪とは、エデンの園で起きたのではないか?
神の言いつけに背いて、悪魔に従い智慧の木の実を食べたこと。詰まり神の子では無くして、悪魔の子となったこと。
これが神に対する罪でなかろうか?そしたら、この罪を償う為にはどのような贖いをしたら良いのだろうか?
詰まり親不孝の罪を回復することなのだが。・・・・それは死んで償うことであった。
 イエスがそれを実行したのだ。イエスは神との関係の回復を成し遂げた。他のものは
イエスを見習って死んでわびる以外にない。イエスは蘇って神と共にいるのだから、その先例を
知っている者も恐れる事無く死んでよみがえることが出来るはずであると。
イエスを信じるなら蘇ることが出来ると言う信仰をイエス以外の者はもつのではないのか?キリスト教とはそう言う信仰を要求する
宗教なのではないのか?
 


761 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 21:48:58 ID:uMs/EOI9
宗教は誤った方向に進むこともありうる。

イエスが言うとおり、「にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。しかし、聞いているあなたがたに
言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ・・・・・・人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ・
・・・・・あなたがたも慈悲深い者となれ。」

ブッダが言うとおり、「怨みなく敵意なき慈しみを行うべし・・・・・この慈しみの心づかいをしっかりとた
もて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。邪まな見解にとらわれず、・・・・・・決して母胎に宿る
ことがないであろう。」

 現世利益などを求めて信仰をする人々は多いが、それを利用して宗教を拡大しようとする人々もいる。
 信仰をして、何か多大な利益を期待させる宗教は多い。そうしないと信者はついていかないから。
 しかし、宗教者に騙されず、イエスはブッダは何を意図していたか、何を教えようとしていたか、人々
 は自分で考える必要がある。

 一番宗教者のことをよく知っていたのがブッダだろう
  他人を頼りとしない人となること、他人に従属しない人となること、他人とは真実を伝えず、
  自らが不利益となる場合、真実の教えを覆い隠してしまうことだってあるから。
  他人を頼りとせず、自らを頼りとし、他人に従属しないで、自分で何が善いことか考える必
  要がある。

 


762 名前:名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 22:15:59 ID:PR7iQ1S8
二人の共通点→偉い人、神を悟っている。
今、俺が一番会いたいと思う人。
あと、、、、、まあいいや

763 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 00:21:03 ID:ztJ105Hs
718など
当たっていますよ。

イエスとブッダの共通点など幾つかあるだろうが 根本から違いますから。
一緒にしないでね。w


764 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 01:06:20 ID:cSyli2I2
>>750
たまにまともな人がきても
あとが続かないのがさすが宗教板ってところでしょうか

765 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 01:31:08 ID:jkY7sMS4
>>758
時間は戻らない。
形だけになったとはいえ、一度は殺したことに変りは無い。
その事実をどう受け止めるか?
そこが、まさに宗教的内省ではないのかな?

例えば、自分にも子供ができ、両親のことに思いを馳せる。
若い頃は、ムチャして反抗して一つも言うことを聞かなかった。
そのことで大きな迷惑をかけ続けた。
今、この世にいない両親に涙を流し深々と頭を下げる。
贖っても贖いきれない罪を感じるかもしれない。
が、同時に、心から涙を流すことによって、
その瞬間に、全ては許されたのかもしれない・・・。

766 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 03:08:26 ID:zN+cxWjh
ブッダは個人を指さない。ゴータマが正しいだろう。実にゴータマは弟子達に「ブッダ達よ」と呼び掛ける場面が初期仏典に表されている。

イエスもゴータマもそれぞれの道に於て迫害を受けている。そして自らを支配者や神とは見做していない。契りをし子供がいる。

そして最大の共通点は双方共に教えが正統に引き継がれず、恐らくかなりの変容をしているだろう事。原型は様々な要因で失ってしまった。

違いは在家か出家か。依神か従自法か。復活降臨するか輪廻断滅の入涅槃三昧か。
愛の概念も相違。
そしてそれぞれ弟子に対しイエスはイエスに成れるとは言わず、ゴータマはブッダに成れると言った。


767 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 07:19:54 ID:sALOohZ4
>>766
>そしてそれぞれ弟子に対しイエスはイエスに成れるとは言わず、ゴータマはブッダに成れると言った。

イエスも人は神になれるといっている。神になりなさいと言っている。
 具体的には、神が善人にも悪人にも慈悲深い様にあなた方も神と等しく完全でありなさいと。

768 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 07:43:17 ID:VIZD46tQ
キリストもブッダもチンチンが小さい(共通点)

769 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 08:21:05 ID:sALOohZ4
>>768
どうして解る?

770 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 10:06:29 ID:jWoiP4XV
 
 キリスト教及びその教徒からは過去でも現在でも

 常に血なまぐさく、殺人しかも大量殺人の匂いがする。

      根本的な欠陥があるのだ。神は責任を取るべきだ。

771 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 17:44:47 ID:GfPr0Yu8
イエスと仏陀の共通点??

レベルが低くないですか?? 根本的に違うと書いてる人がいるが。
どこまで愚かなのでしょう? 何故外見的なところ(教えの形)
などしか彼らを見れないのでしょう??
彼らは皆、啓発者です。それだけを頭に入れておけばいいとおもいます。

772 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 20:46:57 ID:zN+cxWjh
他律と自律こそは大きな違いだと思うな。
ゴータマは自らに死線を彷徨して諦めた独覚証明考究法と伝統的瞑想に依らない内観法の意義を説き、依神救済伝統手法を否定した。苦根解決に資するなき万祈の方法論から解き放ったのだから。

イエスがアウグスチヌスを啓蒙融解出来ず死地に赴いたのは何故か。その後に生起する事態を読めなかったのだろうか。
徹底的な事相と内なる有り様への揺るがぬ真諦を以て。
伝統的アーリァ文明のアグニ火神信仰祭祀階層やマガダ、コーサラなどのラージャを押し止めるなどした事績。

理法事相を説き切ったゴータマに対して、イエスが殺された事を引き合いに比較するなら厳然なる絶対存在格差であろうと思う。
彼の犠牲が後代に対し只今に喧騒の事態を招来したことは進んで縛架に就いたことの憂いとなって現れているではないか。諫めるなく死ぬのは後代に対する愛の放棄であろうと思う。
共通点が啓蒙思想とだけなら我らみんなに共通点はある。社会人としての蓄積したノウハウの後進への開顕伝授などは、当に小さな啓蒙伝達だ。

甚だ広義に過ぎる括りとは思わないかな。

773 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 21:06:38 ID:LwadjDS4
共通点があれば困る宗教団体もでてくる。
教えそのものに着目してしまえば、信仰で救われるという概念が
崩れてしまう恐れがあるから。
それは、とても危険なことだと思う。
キリストを信じて救われた、お釈迦様を信じて救われた、神や
神々を信じて救われた、という人が教え重視になると味気ない
信仰になってしまう。

共通点があるということは、死んだら終わりではなく、神が存
在するか、神々が存在するか、天国や極楽が存在するかを証明
しようとするなら、問題ないだろう。



774 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 21:16:27 ID:jkY7sMS4
共通点があっても構わない。
が、それが、違い・差異を覆い隠すものになってはならない。
無視してはならない。
共通点は枝葉の部分で、差異の部分にこそ本質があったりするのではないかい?

775 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 21:25:51 ID:sALOohZ4
阿弥陀仏と言うキリストになった法蔵菩薩は、五劫の間修行をしたと言う。
彼は生死を超越しているが、そして彼の国にいる人達も生死を超越したものとなっている。
 阿弥陀仏は正法ヘの信仰を要求する。正法とは空の思想である。
 イエスも生死を軽視することを教え、それを信じることを要求しているのだと思う。
生死と言うもんはないからである。イエスも生死がないこと、詰まり一切は空であることを知っていたのであると思う。


776 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 21:26:18 ID:1TAlgLgv
全ての宗教は、
人が、死に向かってることを知りつつも、日々を笑って過ごせるようにする方法を印している。

777 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 21:32:27 ID:GfPr0Yu8
>>772 どちらが自分に合っていて、それでその道によって向かうべき方向
にいけばいいのでは? 私はちょっとこのスレのタイトルに宗教学者みたいな
、興味のみで、真剣に彼らのことを考えていないというふうに感じてしまいます。
でも、決して無駄じゃないとおもいます。マインド(思考)で真実とか
今、探し求めてる答えとかは、見つけるのにとても時間がかかると思う。
瞑想というと現代日本では偏見があるかもしれないが、ハート(心)
の声をきくことが、一番大切だと思います。私は今、ここの人々は
否定いたしません。 このようなことを真剣に話し合っていることは
すばらしいとおもいます。しかし、私が言いたいのは、例えばその仏陀
に対する歴史的情報が少しでも間違っていれば、思考は簡単に
左右されます。しかし、、、心は別です。宗教臭いと思われるかもしれませんが
心の声を聞くことが一番の答えを見つけるのにベストだとおもいます。

778 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 21:39:03 ID:sALOohZ4
イエスも『真理』ということを言った。それを説明しなかったが、釈尊の様には。
イエスの教えと釈尊の教えは全く同一だ。これは同じ源があると推測せざるを得なくするのだ。
 実のイエスの神とは釈尊の空(諸法実相)である。
 キリスト教と仏教の一番の相違点は、神の天地創造と、縁起の理法の相違である。
しかし縁起の理法と被創造物の内実は、同じではないか?そして、どちらも、
縁起の事実と被創贓物にこだわらないことは共通しているのだ。
 善人にも悪人にも慈悲深くあれ、と言う教えは全く同じだ。他のテンでも同一なのだ。
彼らの言う真実真理が異なるものなら、釈尊の縁起の理法により解決できる。
キリストの言う真理は明らかではないが、その教えがこれほど釈尊と同一であるところを見ると、
その源も同一であると推定できるのだ。

779 名前:名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 23:13:16 ID:sALOohZ4
>>778
そうだ、造ったものは造られたものではない。造られたものでないものは空である。

780 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 13:28:38 ID:B6BsIbg8
>>779 あれれ? 真我(絶対者)によって作られたものが空じゃなくて??

十二因縁などの因果法則は真我には無関係だと思います。

真我によって作り出された、相対界は空ではないの??

781 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:47:28 ID:i8PmePrJ
>>780
絶対者=空だよ。絶対者はなにかを作ることはない。何かを作るのは凡夫である。

782 名前:瞑想のススメ:2006/05/23(火) 19:49:16 ID:B6BsIbg8
凡夫は誰が作ったのですか??
自然ですかそれならその自然が絶対者です

783 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:55:10 ID:B6BsIbg8
>>781 凡夫はどこから来たのでしょう??

784 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:28:30 ID:i8PmePrJ
仏教から言えば、凡夫は無明から生まれる。無明とは絶対者を知らないことである。又絶対者を避けることである。
更に仏教は無明に誘惑するものを悪魔としている。
 キリスト教では、エデンの園にいたときは、神の言い付けを始めは守っていた。そこに悪魔サタンが来て、
彼らを誘惑した。神によって作られた人は、作られたままの人であった。
絶対者である神が自分と異なったものを作る子とはない。作られたままの人は
神であった。神として満ち足りているものが何故神の様になりたいと言う欲心を持ったのだろうか?
 何故仏教でもキリスト教でも、悪魔が神や空諦から人を離れる様に誘惑するのだろう?
と思ってみる。

785 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:33:46 ID:i8PmePrJ
>>784
現実の世界を創造したのは、悪魔であると言わなければならない。

786 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 21:49:17 ID:B6BsIbg8
何故、、、、、、


            全知全能の神は悪を滅ぼさないのですか??????????????????????????

787 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 22:25:59 ID:7o6gWmym
>>784
ちゃんちゃらおかしいなw
 >更に仏教は無明に誘惑するものを悪魔としている。
ハァ? もともと無明なんだよ。
無明でないものが無明に誘惑されるのではない。
無明である私が、法に触れて明を得るんだよ。
もとから明にあるなんて言い出すんじゃねーだろうな?


788 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 22:48:33 ID:i8PmePrJ
うむ。

789 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 23:00:49 ID:D15yY5KF
>>784
生まれながら彼岸だと、物質世界を人が生み出せない。全ての人々がブッダだと所有物を欲さない。
悪が滅んだ世界を目指す者は、この世に二度と生まれないことを目指す。

在家者は物質世界で生きなければならないが、欲望のまま生きることなく、「与える」行為によって
から欲しいものを得る。

人間は煩悩の可能力を得た。自分たちで生きることができるようになった。しかし、何でも考えられ
るようになったがために、悪をも考えられる存在となった。
欲界である物質世界では、全てが善である必要はないのだ。全てが善なら、物質的に最も豊かな人々
が神のように勝れた人となる。
それこそ欲望のまま生きることを止めさせる理法は存在しなくなる。

790 名前:名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 23:12:37 ID:B6BsIbg8
お前らのレベル高くて漏れは理解できんよ あはははは

791 名前:仏法僧の三帰依:2006/05/24(水) 09:06:09 ID:hNc6wuVd
               Namo tasha bhagavato arahato sammasam Buddhasha

          Bhuddan saranam gadhyami. Dhamman saranam gachyama. Shangan saranam gachyama.

    Dhtyampi Bhddan saranam gachyami. Dhtiyampi Dhamman saranam gachyami. Dhtiyampi Shangan saranam gachyami.

   Thatyampi Buddhan saranam gachyami. Thatyampi Dhamman saranam gachyami. Thatiyampi Shangan saranam gachyami.

792 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 15:21:34 ID:0fDsVsYH
イエス実弟トマスは入天布教をしている事実があるらしい。
当時主流だったインディアのブッディズム、アミターユス信仰に触発されて教義を持ち帰ったとされる。

仏教に似た法を説いたキリスト教が傾向同様に天国思想を説くのはこの時に由来し、啓典書に編入したらしいとある学説は語る。
ならば共通点ではなく、概念的融合であると見ることが出来る。
イエス自身がインドを訪問したとする説まであるが、これはにわかには信じ難い。
神=ヤハウェ(エホバ)は宇宙支配現象としてを云うのなら、ゼウスもビシュヌも、マハーヴァイローチャナもアメノミナカヌシノカミも観念的に同体なのか。

後代派生観念と初祖である二人の当事者の本懐に差があると考えてみると。
神よ、と大いなるヤハウェに畏敬の表表徴を為す姿勢と、自己検証法的諦観姿勢に随法燈内観に終始するのとでは相違を感じるが如何かな。

793 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 15:26:19 ID:qNVY6okG
二人ともホームレス。
それなのに、現代日本の寺や教会はホームレスを泊めない。


794 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 20:16:34 ID:/pAC+SK0
問題

子供のいないのは どっちだ?

795 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 20:36:56 ID:V5JTQ6H+
>>787
縁起の法則が存在しているのは、過去において無限であり、未来において無限であることは自明であると言える。
それならば空と言う真実も過去において無限であり未来において無限であると言える。
 もんだいは、何処にあるのだろう?真実から離れる原因は?ブッダがお出ましになる原因は?
どうして人は(これはどうして自分は又はどうして私はと言わなければ成らない)真実から離れれることになったのだろうか?と。
何故なら私の五蘊の範囲内の問題だからだ。
 一切は空ではなく、一切は縁起ではないのではないのか?いやそんなことはない。
何故なら縁起するものと縁起し無いものは、その関係は縁起しているからである。
だから、空と空でないものとは縁起しているから、やはり空が絶対存在であることになる。
 仏教はこのところの問題提起に答えているだろうか?キリスト教はこのところの問題に答えている。
サタンがアダモとイボを騙したと。神とサタンが対立しているのである。これでは神は絶対者ではない。
 しかしイエスは悪魔にも神にも平等に接する様に教えたし、神をそのようなものと教えた。
後者のイエスと神は、前者のイエスと神ではない、前者の神とイエスは相対的な神とイエスだから。
 同様に釈尊は、悪にも善にも執着しないように、ニルバーナにも地獄にも執着しないように教えた。
これはイエスとその神に相当するものである。
 であるとすると、悪なるものは始めからいないと言うことになる。
詰まり、サタンなるものははじめからおらず、釈尊や、その弟子達に忍び寄ってきた悪魔もいないのが真実であったと言うことではないか?
相すると、私が、悪なるものがあると思っていたことは間違いであって、真実ははじめから
平安であったと言うことなのだ。


796 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 20:42:00 ID:V5JTQ6H+
>>794
ダビンチコード]はどうか?

797 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 21:20:29 ID:V5JTQ6H+
>>792
>イエス実弟トマスは入天布教をしている事実があるらしい。
当時主流だったインディアのブッディズム、アミターユス信仰に触発されて教義を持ち帰ったとされる。

エホバの証人から上のようなことを効いたことがあります。
釈尊は、時代国が違っていても、真理真実を教える仏陀が出てくることを予言していますね(法華経)で。
だからインドとユダヤが交流がなかったとしても、イエスが真理真実の教えとしてあのような教えを説くことは
釈尊によれば、あり得たと言うことでしょう。しかし当時は、インドとユダヤは交流があったというべきじゃないでしょうか?
交流があったことが、イエスに影響を及ぼし、その影響がなかったならイエスの教えはなかったであろうということは
言えないでしょう。

>仏教に似た法を説いたキリスト教が傾向同様に天国思想を説くのはこの時に由来し、啓典書に編入したらしいとある学説は語る。
 
 確かに、旧約聖書においては、天国思想と言うのが無いんですよね?
これに付いても、真理真実と言う点から、インドの影響がなかったなら天国思想がなかったと入っては成らないと思います。



798 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 21:24:56 ID:0EtIXyQ3
突然失礼します…皆さんは永遠の命を信じますか?理屈ではなく、今の皆さんの肉体のままで永遠に生きるという意味での…。可能だと思われますか?また、それを望まれますか?

799 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 22:18:59 ID:76JHrkl2
肉体が甦るとかいうのは、人が死ぬことと、
終末のときに裁きを受けることを、
どうにか話のつじつまを合わせるせるために作られた
苦し紛れの教義だと思う ・ ・・

800 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 22:42:16 ID:IstUF5lC
799レスありがとうございます。単純に言うと、不老不死に皆さんは興味がおありかを知りたくて…。興味はございますか?

801 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:01:39 ID:69vnhivm
信じないな、細胞の破壊は止められない。
理屈でなくても信じない。

不老不死とは親と子の縁を切るものだと思うから、望んではいけないものと断言する。

望まないな、全員だとしても、2人きりだとしても、一人きりだとしても、いい結果にはならないだろう。

いや、一人きりでならなってもいいかな、行く末を見てみたい。

802 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:11:07 ID:IstUF5lC
親子の縁を切る…そうでしょうか。そこは臨機応変に、年令が上がれば上がるほど中身の貫禄は増すが身体は老化が止まる。そうであれは良いのではないでしょうか。どう思われますか?

803 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:11:24 ID:JOEbTEfF
「この世とかの世とをともに捨て去る」
「かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来にあくせくすることもなく、
ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。」仏教

「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労
は、その日一日だけで十分である。」
「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、『神の国は、
見られるかたちで来るのではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。
神に国は、実にあなたがたの中にあるのだ。」イエス

>>800 とりあえず、今のことを考える必要があると思う。
「死んだらなあ」というのは方便的な教え。



804 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:16:18 ID:IstUF5lC
803 レスありがとうございます。確かにそうですね。しかし過去にも現在にも思い煩うべき点が皆無な場合は、明日を切り開こうとするのは間違いではないと思います。どう思われますか?

805 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:40:50 ID:V5JTQ6H+
>>804
>過去にも現在にも思い煩うべき点が皆無な場合は、明日を切り開こうとするのは間違いではないと思います。

論理的にここの意味がわからないな?>>803「未来にあくせくすることもなく、
ただ現在のことだけで暮らしている。」とあるから、「切り開く」と「あくせくしない」とは乖離しているだろう?

806 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:49:30 ID:V5JTQ6H+
>>795
>私が、悪なるものがあると思っていたことは間違いであって

なぜ間違いを起こしたかに答えていないから、全然解決されていないのだ。

807 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:51:31 ID:IstUF5lC
805 レスありがとうございます。未来にあくせくしている訳でもないのです。今を生きるというのも素晴らしいと思いますが、そこはもう、越えても良いとも思うのです。皆さん既にそこには到られているのではないでしょうか。いかがですか?

808 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 00:10:19 ID:cvu6XgBd
>>807
俺には意味不明。具体的に説明してくれ。

809 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 00:28:45 ID:jXaPAB+C
807 レスありがとうございます。皆さんもう十分今を生きてらっしゃる様に思うのです。次は今を生きつつ未来をどうしたいのかをはっきりさせる必要があると思うのです。このような意味です。

810 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 15:25:01 ID:cYj4fcx0
百尺竿頭に歩を進む

811 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 17:41:16 ID:raxDou0d
>>809
そうやって、仏教を学ぼうとする人や、キリスト教を学ぼうとする人を
人間の煩悩が邪魔をさせる。

煩悩から学んでも宗教は成り立たない。



812 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:13:00 ID:UUtl6jaM
811 レスありがとうございます。邪魔をするつもりは全くございませんが、誤解を生じさせまして申し訳ございません。皆様のお考えをお聞きしたいと思ったまでです。ありがとうございました。失礼いたします。

813 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:29:44 ID:raxDou0d
>>812
自分の未来は自分で決めて、一歩一歩それに向かって前進する。
自分も人に対する慈悲を心がけられるようにする。

宗教的な未来は、物質的な豊かさを追う煩悩から離脱し、人々が慈悲を身につけ、
互いに助けられるような社会を理想とする。

無慈悲な人が犯罪をしない社会としたり、貧富の差をなくすのが宗教の目的だと
思う。誰でも自分の欲望に向かって努力するのはあたりまえだが、他人に対する
慈しみの心づかいを保つのは困難だから。




814 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:52:22 ID:UUtl6jaM
813 おっしゃられる通りだと思います。こちらのスレタイからかけ離れた内容を書き込みまして、申し訳ございませんでした。お答え頂きましてありがとうございました。

815 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 19:08:07 ID:JRsN5+43
両者とも結婚して子供がいる。

816 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:28:22 ID:cvu6XgBd
>>814
814さんの聞いていることは、空諦を体得した人はどの様にいるのであろうか?
仏陀やイエスさんはどの様におられるのであろうか?と言う質問であると思う。
その質問なら幾らか答えられると思う。
 誰かが真実に正しいこと良いことをするなら、そしてその人は意識してしたか、無意識にしたか
に拘わらず、それを為したのはブッダさんでありイエスさんであるといわなければならないのだ。真実は
誰彼の区別無く、個性実体が無く、同じく清浄空性であるからだ。又我々はイエスさんブッダさんと常に同席しているのに、
彼らが見えないだけであるといわなければならないと思う。見えないのは真実である空性を
放置し、空性という真実に反する考えに従っているからである。それは畢竟優劣の差別意識である。

817 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:58:02 ID:UUtl6jaM
816 ありがとうございます。力不足の為、皆様のお言葉の全てを理解するには至っておりませんが、お答えを頂き、感謝いたしております。スレタイの進行を一時阻害してしまいました事を、どうかお許し下さい。ありがとうございました。

818 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:49:34 ID:raxDou0d
「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいているときに飲ませ・・・・・・・・
『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て
飲ませましたか。」マタイによる福音書

「信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめ
よ。心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、そ
の轟きを発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ。」
「人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを身につけておも
むく。それは、かれに従うものである―影がそのからだから離れないように。それ故に善いことを
なして、来世のための功徳を積め。」仏教

 善いことをしている時は、仏の境地に近く、この世で神と一緒にいる時。人は知らぬ間に信仰
 をしている場合だってある。


819 名前:名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 21:40:21 ID:ME77M5oh
>>818
やはり聖者の言葉は中味・誠実があるね。

820 名前:名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 22:47:02 ID:b6KajJZJ
>>1
足が大きい

821 名前:名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 00:44:46 ID:Qj32/KKD
>>1
福耳だ(多分)

822 名前:名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 00:49:47 ID:gaEmB5vi
無明もまた空である。

823 名前:名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 00:22:12 ID:TepQ+Ynh
皆さん充電中?

824 名前:名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 21:05:13 ID:TepQ+Ynh
仏教の真実は一相無相なのだから、一相無相を体得した人は分裂しているものを
一つにする人であるというべきではないだろうか?分裂は常に争いであり、
悲しみであり、苦しみであるのではないか?争い苦しみを静める人、この人が慈悲ある人ではないだろうか?


825 名前:名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 23:56:34 ID:Qb2HEU20
もし世界が100人の村だったら

 知恵のある宗教者は現世利益など教えないだろうな。

 あわれみと慈しみ、成仏世界か天国を義として希望を与え、物質的なものへの喜びを抑える。
 仏教の真実は「空」であり、「無相」であり、「一切の生きとし生けるものは幸福であれ」という
 一切が幸せな世界。一切の幸せを求める人間の境地が、彼岸に通じる。

 それに加え、「過酷なることなく貪欲なることなく万物に対して平等」
 人々に対して、過酷を与えることは悪の因をつくり、人々に対して、「分け与える行為」により善
 の因をつくる。

 人々に対して、幸福を与え、安穏を与え、安楽を与えれば、善業をつくり、来世の拠りどころをつ
 くる。現世利益を喜ぶ人は、徳を失う。

826 名前:名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:00:14 ID:Xdi7WCFo
非常に呪わしいです

827 名前:名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 16:35:07 ID:XDRE2qqo
信じることではなく、自ら解脱すること。
存在する一切のものは生滅して止むるところがない。
イエスの説く一切を超越した普遍的存在=絶対神は存在しない。

 ところで、イエスもブッダも考えてみればけっこう不良だよな。
贅沢三昧のあげく、嫁も子供もほっといて家出(出家ではない)する
なんざ中年男が一度は夢見るがやる度胸がない。その不良ぶりが素晴らしい。
人には姦淫の罪を説きながら、マグダラのマリアという愛人をしっかり
こしらえているんだから、世の不良坊主ども、安心しな、罪は許されるかもね?
 両方ともいつも売春婦が回りにいるんだが、不良中年の憧れだあ。

828 名前:名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 16:52:21 ID:XDRE2qqo
 ところで、ゴータマ・ブッダの嫁だったヤソーダラーって
エエ嫁やったんかいなあ。物凄いヒステリー女のような気がする、
ソクラテスの嫁と変わらんぐらいかな。それなら家出もしゃーないか。
結果としての出家は怪我の功名か?人生は苦しみだと規定したくなる
のは解る。ラーフラっていう子供もいまいちアホそうやし。

いいたいことは両方ともあんまり神格化・神秘化せんと考えた方がわかりやすい、
実践的やとおもう。意外とドロドロが真実で、後世のド官僚のでっちあげが
大部分やとおもうで。

829 名前:名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 18:05:28 ID:6JzEbDrM
悪魔は信じられるが神は信じられないのなら
魔かもしれませんね

830 名前:名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 21:47:05 ID:4/ByEZcv
ここの住人が、イエスとブッダの挟まれていると感じるならば、密教徒が、曼荼羅を
拝し、自分が曼荼羅の中の仏菩薩たちにの中にいると考えるのと同様であろう。
 あの曼荼羅よりも、イエスとブッダに挟まれていると感じているほうがベターかも。
なぜなら、仏菩薩は他の人に知られている度合いが小さいが、ブッダイエスとなれば、
これ以上に善人としての名声を持しているものはいないからである。故に善の世界にいると感じる度合いが
大であると言う訳であるw。

831 名前:名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 22:01:05 ID:4/ByEZcv
>>828
仏陀は自分で地獄も天国も見たといっている。
王侯貴族の生活も橋の下の乞食も、ブッダによれば少しも違わなく不幸であると言う。
なぜなら両者には幸福不幸の実体が無いからである。実際そうではないのだろうか?
 イエスや仏陀がそのようなことを知らないで、両者を捨てる様に言ったのではない。
つまりイエスもブッダも、両者を良く味わって知っていたのではないだろうか?実人生において。
その上で、聖者となったのであろう。

832 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 00:34:02 ID:nWIMYDix
イエスとブッダを対談させたら、どんな展開に、また結論になりますでしょうか。

833 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 09:54:12 ID:awncr+EP
>>832
お ん な は怖い。

 人間は平等だが、男女は平等ではない。
 釈迦はヤソーダラーのトラウマから
男女不平等主義者だった。
その実存的経験主義のなせる結果であった。
 イエスは母親マリアが教会に懺悔にいったときに
パリサイ人坊主に強姦された結果の生まれであること
を知ったとき以降、グレまくったが、結局マザコン男となり
生涯パリサイ人を憎んだ。セックスには異常な関心をもたざるをえなかった。
 キリストは愛を説いたが、
 釈迦は渇愛を捨て犀の角の如く独行することを説いた。

834 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 10:15:59 ID:1LI134lN
奇矯な形相ですね

835 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 21:24:31 ID:zRVCv004
>>832
縁起と天地創造の同一性を話すだろうと思いますね。イエスは、神は人を男と女に作られた。
神が合わされたものを人は離してはならない、と言われています。(正しいイエスさんの言葉は違うかも。)
 同一性は無いのかな?しかしだとすると、イエスさんかお釈迦さんのどちらかが真実に付いて嘘を付いていることになる。
そんなことあり得るかね?同一性があると考えるのは、希望的観測か?
 この世では人は結婚し離婚しているが、天の国では、人は天使の様であり、男女の区別は無い、ともイエスさんは教えておられる。
縁起の世界、即ち世俗諦の世界と、非造造物の世界、そして、空の世界即ちニルバーナと天国。
 

836 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 21:28:53 ID:zRVCv004
>>835
訂正 非造造物の世界→被創像物の世界

837 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 22:55:10 ID:ZVXrebkR
>>835
同一性を見い出してほほ笑みあうでしょうね。
涅槃とHeavenはいいんですが、「空」「無」というのは東洋だけじゃないんですか?

838 名前:名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 23:58:01 ID:zRVCv004
>>837
今になって解ったのだが、「無」というのは適当ではないと思う。無ではなく「無相」
というべきであると思う。「無」は「無相」を否定する。無相とは一相と言う意味である。
「無」と「無相」「一相」は違うのだ。無は無相一相と言う真実まで否定する言葉である。
詰まり「無」は「真実」は無いと言う意味になるのだ。真実はないと言うべきか?真実はあるのだよ。その姿は「無相」
「空」「一相」「無が:無願」としてだ。それでは「無」という意味の言葉の位置は何処にあるべきか?
無は真実を説明する言葉足りえるのか?一相無相空があるのであるから、これらを否定する意味であるから、
無は適切な真実のための表現ではない。

>「空」「無」というのは東洋だけじゃないんですか

「 空」とか「一相」とか「一」とかはは論理の帰結するところの真実である。
「空」とか「無相」とかの表現をしなくとも「一」とか「単一」とか「唯一」とかの表現をしていても
「空」「無相」「無が」のことを言っているものと解釈すべきであると思う。
西洋の古代ギリシャにおいて「空」「無相」という真実を言っている哲学者がいる。
それはエレアの「パルメニデス」である。彼は「一」「単一」という表現をしている。
 又彼に付いて特筆すべきは、彼は自分で文字を用いて自分の思想を書き記していることである。
以前にこの板か何処かでそれを紹介したが。

 それに「神」と「空無相一相無我」というのは同一であることにイエスとブッダは同意すると思うけどね。

839 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 00:29:43 ID:jDbYZJgX

十難無記

無明な人間ほど証明不能な抽象論をもてあそぶ。

840 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 00:43:10 ID:76Q0S+JG
わるくないよ

841 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 01:44:38 ID:jDbYZJgX
>>835
>「縁起と天地創造の同一性」

    ハァ〜?????? 

  ・キリストの「天地創造」と<ブッダの十二縁起>の関係に付き
   自説を述べ、あわせて反対説を批判せよ。
    *後世の馬鹿仏教徒の縁起説ではない。
  ・ブッダの諸行無常、諸法無我の立場からキリストの
   絶対神の存在は肯定しうるのか自説を述べ、併せて
   反対説を批判せよ。
  ・ブッダの「無」と龍樹の「空」の異同を論ぜよ。

842 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 02:18:11 ID:gQamP+Sr
↑ 結局、ご自分の言葉は
「     ハァ〜?????? 」
だけですか。

843 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 13:35:18 ID:jDbYZJgX
すべて自分の言葉だよ〜ん

844 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 19:13:59 ID:VXkxCbCV
>>843
>「自説を述べ」
 
 自説のことだよ!

845 名前:名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 21:22:26 ID:VXkxCbCV
>>841
>あわせて反対説を批判せよ。

反対説を開示せよ。

846 名前:名無しさん@3周年:2006/06/07(水) 23:57:33 ID:6t7Ef8Rb
訂正
反対説を開示せよ。 →反対説を開示してください。

847 名前:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/06/08(木) 01:55:23 ID:IuN6PcLm
縁起の法を突き詰めれば、自性にぶつかる。
芯に、恒常不変の自性がなければ、縁起の法も成り立たない。
因果律の法則からしても、このことは明らかだ。
多くの仏教徒はこのことを認めないでいる。彼らは涅槃をみない。
彼らも、今のキリスト教徒と同じく、迷いの中にいる。
無からは何も生まれない。 自性は、一相であり、。
キリスト教ではそれを神と呼ぶ。名前は識別するもの。そこには、名前は無く、識別も無い。
それは「一」である。

「空」それは縁起であり、縁起とは、無自性のことである。無自性、それはすなわちこの世のことである。
一切は皆苦である。では涅槃静寂とはどこにあるか?
「空」つまり無自性に執着する限り、真理にたどり着くことなく、その者は、涅槃を見ないであろう。


848 名前:名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 01:59:17 ID:I/EtdHOq
>>847

おもしろい。

密教でない仏教から、ヒンズー(アートマン)や密教(大仏)になってくると、
普遍的なものがあるかのような見方が主流になってくるね。

それでいいんだと思う。

849 名前:名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 05:28:08 ID:D+0k8p5Q
>>847
>「空」つまり無自性に執着する限り、真理にたどり着くことなく、その者は、涅槃を見ないであろう。
それって、禅宗でしょ…


850 名前:名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 10:07:16 ID:wn8FLc3Q
ラエリアンに寄ればイエスも仏陀も宇宙人ってことになるのだが。

851 名前:名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 22:38:34 ID:ZToD/zcA
シューニャというサンスクリット語があります。
シューニャとは「空性」を表す記号だったそうですが、
後に仏教の思想となる「空」や数字の「ゼロ(0)」を表す言葉になったそうです。

0とは一般には何もない無という意味と捕らえがちですが、
0という数字の発見により、プラスとマイナスという概念が生まれました。
全ての数字の和が0になるということは即ち「0」とは 何も無いのではなく、
むしろ全ての数字が詰まっている状態ですね。

関数グラフでは、0は「原点」ともいいます。つまり全ての起点となっています。

さて、この「0」を「空」に置き換えると、それは全ての二元的、相対的観念が
統一され、さらに物事の起点となっている事に気付きます。
また、全ての存在(時間、空間、物質、精神など)が畳み込められた「空」そのものが、
可能性(因)となり、そこに条件、環境(縁)が整うと、物事が起こります。
実際、量子論では、何も無いはずの真空の状態に、あるエネルギーを加えると、
正物質と反物質が発生する事が証明されています。

この「空」、数字で表すと「0」が神であり仏、大いなる生命体なのだそうです。

852 名前:名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 23:07:33 ID:cpz07jab
>>851
「0」の偉大性は、そんなことではありません。

「0」の発明によって、数字を桁取りして表すことができるようになったのです。
これで、計算が飛躍的に便利になったのです。「0」がないローマ数字では、
とても計算は無理です。

東洋では、「0」という数字はない代わりに、ソロバンを発明しました。
ソロバンの偉大性も結局桁取りができることです。「0」を使って桁取り
表示をしない漢数字で計算することはとても無理です。

853 名前:851:2006/06/22(木) 00:54:55 ID:6Ho7slta
>>852

レスありがとうございます。
そこまでは考えていませんでした。
確かに数字の桁表記が可能になりましたよね。

私は、サンスクリット語の「シューニャ(空性、空っぽの)」という概念から、
0や空の概念がインドで生まれた事に対して、両者を引き合いに出し説明しました。
ちなみに、空=神=仏=大いなる生命体という部分は、かなり色々な所から拾ってきて、
自分なりにアレンジして解釈したものです。

854 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 08:02:08 ID:R4EXkXvM
>>852
そろばんと言うのは、日本人の発明なんですか?

855 名前:852:2006/06/25(日) 21:34:51 ID:z1jqZfc4
>>853
インドでは今でも数学が得意な人が多いようですね。
数と空間の構造を数学的に把握することに優れた人達のようです。

数字を桁取り表示したことは画期的なことだったですね。
現代のコンピュータによる情報処理のデータフォーマットにも
つながる偉大な考え方ですね。

>>854
ソロバンは日本人の発明ではありません。


まあ、いずれにしても、「0」の発見はこのスレのテーマと特別関係はありませんね。
んじゃ。

856 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 21:55:19 ID:R4EXkXvM
>まあ、いずれにしても、「0」の発見はこのスレのテーマと特別関係はありませんね

関係無いなんてことはない、と思います。

857 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 21:58:10 ID:phat+7Ae
どちらも巨根の持ち主
しかも大絶倫

858 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 23:25:18 ID:IjI4DBUl
イエスはユダヤ人であり、ユダヤ人は守銭奴だとヨーロッパ人は思っていた。
だから、イエスも守銭奴だったとヨーロッパ人は思っていたことになる。
そうすると、イエスは金勘定が得意。⇒イエスは数字に強い。

ブッダはインド人であり、インド人は数学が得意。
だから、ブッダも数学が得意。⇒ブッダは数字に強い。

こうして、数字に強いという共通点が発見された。
メデタシめでたし。

859 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 23:27:57 ID:BhD/iIt1
父が同じ

860 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 23:49:55 ID:EcwqFgit
コピペ
無限という概念は紀元前6世紀から5世紀の間に、ギリシャで発見された。
ギリシャ人が無限の概念に出あったのは、ゼノンのパラドックスを通してだった
と見て間違いない、とここでは記されている。
では、数学になる前の無限は何だったのであろうか。それは神である。
ユダヤ神秘主義において神を表すヘブライ語「エン・ソフ」は「無限なるもの」を意味する。
そして、アルファベットの最初の文字であるアレフで始まる。神を意味するヘブライ語エロヒムもまたアレフで始まる。
アレフという文字は神にそなわる無限という属性なのである。

俺は↑にあるように0よりも無限の発見の方がすごいと思う。

861 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 23:54:17 ID:EcwqFgit
そういえば、オウムのアーレフもここからパクッたのかな?

862 名前:名無しさん@3周年:2006/06/25(日) 23:58:44 ID:IjI4DBUl
>>860
無限も重要な概念だと思うよ。だけど、

>そして、アルファベットの最初の文字であるアレフで始まる。神を意味するヘブライ語エロヒムもまたアレフで始まる。
>アレフという文字は神にそなわる無限という属性なのである。

の部分は、無限と何の関係もないよ。

863 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 00:03:58 ID:EcwqFgit
>>862
それ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152084022/250-1455692-5220208?v=glance&n=465392
の抜粋だから。文句はこれに言って下さい。

864 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 01:21:23 ID:V5ZyM9h/
あえて共通点を上げると、亜片が万能薬の土地柄。
亜片は内的に思考力を高める作用がある。
そして、両者とも亜片を万能薬として手に入れる地位にいた。

865 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 07:37:22 ID:eY1mPjB1
>>860
>俺は↑にあるように0よりも無限の発見の方がすごいと思う。

無相=無量(無限)=一相=空=0 これ仏教 これ真理真実


866 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 07:53:11 ID:eY1mPjB1
>>862
まさに関係あることそのものと思えるけど、どうして関係無いのか?

>>860ギリシャ人が無限の概念に出あったのは、ゼノンのパラドックスを通してだった

無限分割のことだろう?分割するとは、二つのものに分けることだ。二つのものに分割されたものは、
相対的に存在しているのだ。相対的に存在させたものだろう。相対的に存在しているものを実体あるもんと
妄想していると、分割と言う作業をすることになるのだ。ここに執着に拠る苦しみが生じるのではないか?

867 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 16:18:21 ID:rPQZoTUU
>>866
個の集合体が0と同じなのですか?
0や無という概念はどこまでも無であり、1にはなり得ないとおもいますが。
∽=0は成り立たないですよ。
そして∽=0と理解しないと、執着や苦しみを生むというのは飛躍しすぎてちょっと。。。

868 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 18:11:55 ID:eY1mPjB1
>>867
>0や無という概念はどこまでも無であり、1にはなり得ないとおもいますが。
∽=0は成り立たないですよ。

無限と言う時、そこには何かがあって、そのあるものが無限にあると言うのだろう?
何も無いのに無限とは言わないのだ。そこでそのあるものとは何だろうか?個々別々のものだろうか?
同じものが沢山あるのであり、それが無限にあるのではないのか?目の前にあるものがその隣に有るものと
際立って異なっている場合、そのような時でもあなたは、その一種類のものが無限にあると言うだろうか?
異なる相に注目して、無限にあるとは言わないはずだと思うが。同じ相のものに付いてなら、
その無限数を障害無く想像できるのだ。例えば、数字の1;2;3;4では、1と言う数字が増大するだけではないか?
決して2と言う数字があるのではないのだ、3;4;は言うに及ばないだろう。詰まり1というものが無限に増大するので、
無限と言うのだ。1が無限に合って、しかも、1しかないのである。1しかないから、1と異なるもんが無いから、
無相というべきじゃないか?1と異なるもんがあれば無相とは言えない。しかし1しかないのである。
1と言う種類のものしかないのであるから、これを「一相」といってはいけないだろうか?何処を取ってみても1なのだ。
次に、1しかないならば、それはいかなる相も無いのだから、無相というだけではなく、
何も無い状態、何も識別できない状態、の故に、0と言ってはいけないだろうか?
私はこのように理解し、仏教とは之を言うものと思っています。

 >そして∽=0と理解しないと、執着や苦しみを生むというのは飛躍しすぎてちょっと。。。

真実は上に言ったように0であるなら、そこに識別できる差別を見るなら、
それは妄想であると言わなければならないだろう?妄想とは真実では無いものと言う意味だろう?
真実は我々を裏切らないが、妄想は常に我々を裏切るのではないか?得ることが出来ないことが苦しみではないか?





869 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 18:30:01 ID:rPQZoTUU
>>868
長文作って頂いてこう言うのもなんですが、
1:1は相対であってその一相以外はないから無相だ。というのは詭弁の気がします。
それに∽とせずに、1と0としたところで、1=0
にはならないですよ。

870 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 19:00:14 ID:rPQZoTUU
どうも>>868さんの頭の中では
∽×0=0や1×0=0
という図式しか考えられてない様に思います。
この方法なら868さんの言ってる事は成立しますが、
これはあくまで、0(無)が1個あろうが∽個あろうが0(無)になるというだけであって、
別に1が0(無)に変わったりした事にはならないんですよ。

だから∽∈1=1になるんであって、∽∈1=0にはなり得ないんですよ。

もし∽∈1(一相)=0(空)が仏教の教えならそれこそ論理破綻してると思いますよ?

871 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 19:50:01 ID:eY1mPjB1
これあれば彼あり、これ無ければ彼なし」これは縁起の法則ですが、ここに於いて、
「これ」または、「彼」を一応認識しています。しかし相依関係の存在であるから実体が無いと判断するのです。
「これ」も「彼」もともに差別あるもんではなく、空であると見るのです。空が無限に発展しているのです。
この空を「1」としました。空と言う1は無限にあるんですが、みな同じ空と言う1ですから、そこに差別はなく、
差別が無いのが真実である以上、そして差別が認識できない以上、1なるもの、詰まり空なるものが無限にあるのであり、
それは一つのものなるが故に、二つのもの複数のものとして存在していないので、
認識の対象が無いので、空;無相と言い、空;無相という一つのものしかないんで一相と言うのだと思います。
 私の説明が稚拙なので、ご理解頂けないのだと思います。

872 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 19:51:32 ID:RMc2Yffc
チンコだよ!チ・ン・コ!

873 名前:名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 20:49:38 ID:yApRpKdz
>>866
アレフという文字がどしたこうしたということは、無限とは何の関係もない。


874 名前:名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 22:32:15 ID:ljpkx20a
ちょっと気づいたのですが、イエスはわずか少しの魚を割いて分けて何千人もの群集に
分け与えられたとあり、その残りを集めると、はじめにあった量よりも沢山の食べ残りがあった、あります。
またパンに付いても同様な話がありましたね。
 これは奇跡としてはなされているのです。でもこの奇跡に、一切は空であると言う真実を当てはめることが出来ると思うのです。
ひと切れの魚は五千人に分け与えるには足りなさ過ぎると考えるのが普通です。五千人には五千人分の量が必要と普通考えるです。
しかし、一切は空であると言う真実は、一切れの魚と、五千人を満足させる魚とは何の差別も無く平等である、同じ値打ちである、
同じ量である、同じ味である、と言うことを言っているのではないでしょうか?
 貧困な人も王様も同じものである、持ち物の量も同じである、これが真実であると言うのであると思う。
相対的に存在するものは、そしてすべてのものは相対的にのみ存在しているのですが、その差別は実体として存在しているのではなく、真実の実体(実相)は同じものである、
こう言う仏教の真理真実をイエスさんも知っておられたと認めるべきではないでしょうか?

 

875 名前:名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 22:37:37 ID:GFasqOpz
>>874
歴史的な側面から検証してほしかったです

876 名前:名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 22:39:10 ID:GFasqOpz
あと、一切は空って考え方はどうしても無理があると
>>870
ででてるんでは?

877 名前:名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 22:58:22 ID:ljpkx20a
>>875
イエスも釈尊も独自に真実を悟られたと考えるべきだと思います。どちらかから教えを受けて悟りを得たと言う関係に無いと思います。
むしろ、旧約聖書の中にイエスの見本があったと言うことが出来ると思います。
モーゼやアブラハムです。

878 名前:名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 23:05:32 ID:9a0YdfKD
色不異空のばあい空は「実体のないもの」(暗在系)という意味だよ
虚無という意味じゃないと思うよ

879 名前:名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 23:09:59 ID:GFasqOpz
>>878
ああ、なるほどそうなんですか。

880 名前:名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 01:11:47 ID:MdpCR5h2
イエスも釈迦もアジア生まれ。
一神教はアフリカ起源。

881 名前:名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 23:03:19 ID:V+SSLlXb
妄想と真実を区別できないイカレポンチだらけだな、ここは。

882 名前:名無しさん@3周年:2006/06/30(金) 12:51:34 ID:Xe3n+yz5
>>747-

883 名前:名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 15:55:05 ID:Yqo22gXI
二人とも其の当時の原理主義の否定をしている。
しかし、弟子達は二人の言葉の端々をつまんでは、
新たな原理主義を生んでいったトコ。

884 名前:名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 21:15:17 ID:en7eNtRV
さぁどうでしょう。

885 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 07:26:26 ID:qc7LoHa9
縁起には善も悪も無い。殺されても生かされても縁起である。善だ悪だといっているようでは
縁起ゆえの空の世界には入れないのではなかろうか?いかに人間が善をするようになっても、
天災で沢山の人がさらわれるが、子供から親を引き離すのだが、それが人間のすることなら、
悪として処罰するが、天災なら、なすすべなく耐える以外無いのだ、悲しみ苦しみの結果は
同じであるのに。
 殺されて感謝し、津波に親族をさらわれて感謝する人がいるなら、その人こそ、
縁起を理解し、空の世界にいる人ではないだろうか?

886 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 19:35:50 ID:uaBSUDtT
感謝することも無く悲しむことも無いそれが空である。

887 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 21:02:00 ID:qc7LoHa9
>>886
  うむぅ。

888 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 22:01:25 ID:ebzH77j1
それは空虚

889 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 22:20:21 ID:vW7goHPn
妄想と真実を区別できないイカレポンチだらけだな、ここは。




890 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 22:27:53 ID:vW7goHPn
妄想と真実を区別できないイカレポンチだらけだな、ここは。

せいぜいこのレヴェルなんだろう。

「縁起ゆえの空の世界」(885) 説明してもらおうか。



891 名前:名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 22:34:09 ID:ebzH77j1
過激な人が来たからどっかいこ

892 名前:名無しさん@3周年:2006/07/05(水) 01:33:10 ID:0GOQCDdB
本当らしいがどちらもかなりイケメンだったといわれている

893 名前:名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 08:20:16 ID:ga8M1APD
>>892
原始経典に、シャリホツやアナンダーは、会うだけで人々を魅惑し、なにも話さなくとも
人々はうっとりとしていたとある。いけめんとはちがうものではないかな〜・

894 名前:名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 09:19:59 ID:d3C0Q5sW
神道系の宗教は洗脳で信者を増やすという方法が蔓延している。一度、伝道所というところにだまされていって帰るといっても帰れせてくれないしこちらからしゃべらせてもくれない
宗教には要注意、要注意

895 名前:釈迦原理主義者:2006/07/10(月) 07:24:26 ID:CgoAP4xc

信じる者は だまされる

896 名前:名無しさん@3周年:2006/07/15(土) 17:50:56 ID:jjNN+TH4
>>895
何を信じるものは、騙されるのでしょうか?

897 名前:名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 16:36:25 ID:HC6k407E
世界中の人間が同時に信じなきゃ無力な件。

898 名前:名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 16:45:55 ID:HC6k407E
世界中の人間が同時にその事について考え、信じでもしなきゃ、結局無力である「真実」を、それでも諦めずに説いてみるテスト、に見事今のところ失敗してる件。


899 名前:名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 21:42:20 ID:kZIAbV7O
>>898
うむぅ。。。
 そうではないと思うよ。困るのはだます人だと思うよ。騙さない人は困ることは無いのだ。
上着を奪うものには下着をも与えよ。イエス。悪が存在して困る様では全然修行の値打ちが無いではないか?
悪を行うものは、実体の無いもの詰まり幻を追及する狂人で有るだろう?そのような人は何ものをも得ていないのだ。

900 名前:名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 21:55:29 ID:kZIAbV7O
>>874
「またその手から、いつも、尽きることのない宝・衣
服・飲みものや食べもの・美しく香り高い花・天蓋・幡などの飾り
の品々を出した。これらのことは、さまざまな天人にはるかにすぐ
れていて、すべてを思いのままに行えたのである」
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub24.htm

901 名前:名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 20:43:53 ID:vVYW08Ud
>>162
ちなみにブッダはヒンズー教の神々の1人になっている。

902 名前:名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 21:45:59 ID:WGINfzGC
ブッダは地位や名誉を捨て耐貧生活に入る。

一方イエスは貧乏な大工の家の大工だが、
義理の父が王の子孫に当たるとか何とかで
王家出身だとやたらめったら自慢しまくってる。

903 名前:名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 22:32:33 ID:8Gbh3KM/
>>902
なんかこんなことがあるよ、「主は我が主に仰せになった」とダビデが言ってるそうだ。
最初の主は神エホバであり、次の主はイエスだそうだ。したがってイエスはダビデの子ではないと言う訳である、とこのように
イエスは言ってると新約に出ていたと思うが、どうかな?
 イエスはダビデの子孫ではないと言う結論。

904 名前:秀平:2006/07/22(土) 23:14:42 ID:XCfpmgOV
イエスとブッダの共通点は予言です

905 名前:名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 01:05:29 ID:+x9khBdv
イエスの予言とは?

906 名前:名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 01:12:29 ID:k6nNFdt5
>>902
イエスはパンツ一枚だってもっていなかったんだから
全ては空の鳥を見よ主が養ってくださるを実践するためなのだ

907 名前:名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 01:15:33 ID:cxmddI8o
>>906
2枚パンツを持っている者は、パンツを持ってない人にパンツをあげよ。
という言葉があるが、当時、
いくら貧しい人でもパンツを履いてない人はいなかったようです。

908 名前:名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 17:29:53 ID:Zbi6Jt56
ずっと前から疑問に思っていたんだけど、情欲に飢えている女でも男でも、
それが判ったら、それを満たしてやることが良いことになるんじゃないか?
 お腹の空いている人を見れば、食物を恵んでやるのが良いことと同じで。
なぜ情欲だけがいけないのだろうか?

909 名前:名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 17:38:59 ID:4SCkv4A0
>>908
つ ぬるいこんにゃく

910 名前:名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 18:16:28 ID:YA4wHIvj
>>909ドラエもんも秘密道具みたいだね。

911 名前:名無しさん@3周年:2006/07/24(月) 00:44:21 ID:N1VLRvHN
>>908
あなたの言われるとおり、キリスト教の偽善がそこにある。
与えるんじゃないんだ。
欲を離せとお釈迦様は説かれた。

912 名前:名無しさん@3周年:2006/07/24(月) 03:07:57 ID:j9zWNvNF
>>908
情欲は命にかかわることではなく、娯楽だから。

913 名前:名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 21:16:58 ID:ABbNM28K
>>911
詳しい解説が欲しい。
>>912
情欲は最大の激流であると言う真理の言葉が無かったかな?情欲と欲望を滅ぼすならニルバーナの近くにいるとも。
娯楽そのものが欲望に基づいているので、歌舞などは見ない様にと教えていない香?

914 名前:VIPでやれ:2006/07/26(水) 23:07:13 ID:UnQOnQqX
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

915 名前:911:2006/07/28(金) 02:11:42 ID:xeBxMozu
キリスト教では耳ざわりの良い愛を唱え、笑顔で近づき原住民を殺し、領土を奪う。
そういう偽善の教えであることをまずは認識してもらいたい。
その証拠に罪の無い一般人を平気で殺すイスラエルに、恥ずかしげも無く味方する
キリスト教国家アメリカ。今も尚その惨劇は続けられている。
イエスのような凡人と仏陀を同列に考えること自体大きな間違いであります。

916 名前:名無しさん@3周年:2006/07/28(金) 06:43:17 ID:St/J0ufr
>>915
うむぅ。。。

917 名前:名無しさん@3周年:2006/07/31(月) 18:49:31 ID:aoQZpoER
>>915

仏教でも、教団内部において、修行者が教団の持ち物を盗んだりすると、罰せられると言う。
キリストさんも、律法の1画が崩れるよりも天地の滅びる方が容易いと教えていている。
悪行を為しても罰せられないのではないのである。イスラエルとレバノンの戦争もその範囲で考えるべきものと思う。
彼等は互いに罰し合っているのだ。

918 名前:名無しさん@3周年:2006/07/31(月) 20:57:24 ID:rzaSqy7H
>>917
一方的に攻撃されていたのに
「罰し合っている」という表現を使うと語弊が生じるぞい。

919 名前:名無しさん@3周年:2006/07/31(月) 21:52:48 ID:aoQZpoER
>>918
>一方的に攻撃されていたのに

どちらがどちらを一方的に攻撃していたんですか?

920 名前:名無しさん@3周年:2006/07/31(月) 22:29:58 ID:rzaSqy7H
新聞嫁!そして察しろ!
聖書の中でユダヤ人預言者がしたことを、
国家的に行おうとしている者がいる。

921 名前:名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 22:54:41 ID:6v2ngbP5
うむぅ。。。。。

922 名前:名無しさん@3周年:2006/08/02(水) 20:25:17 ID:j+z5vXJN
>>920
それでも「立法の一画が崩れるよりも天地の滅びる方が容易い」という真理が立ちはだかると思う。
詰まりユダヤ人も罰を受け、ヒスボラも同じ。

923 名前:名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 00:38:50 ID:bDZK6s6N
貴方は自分の命を大切だと思っていないのですか?
それは本当に真理ですか?
真理とはなんですか?

924 名前:名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 08:36:23 ID:Vzi2Jaos
>>923
意味がわからん??


925 名前:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/08/04(金) 10:35:38 ID:Agk76qv0
>>923
この世の命に執着する者は、真理を知らない。

だが、自分の命であろうが、他人の命であろうが、この世の命を粗末にする者は、真の命を得ない。

わかるかい?

926 名前:名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 14:34:19 ID:630lYVxs
カラスの自己満足

927 名前:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/08/04(金) 16:45:01 ID:Agk76qv0
>>926
そして、この世の命に、執着する者は、生きない。


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