自力道の仏教って宗教?
- 1 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/24(水) 18:47:38 ID:x/5gF9i+
- 私の認識では、
他宗教≒信仰
自力道仏教=悟りを目指す
です。
キリスト教やイスラム教とはあまりに異質な自力道。
もし宗教≒信仰なら自力道は宗教とは言い難いかもしれません。
- 2 名前:越後屋城跡 ◆.8R.P8LfnQ :2006/05/24(水) 18:50:13 ID:nlmuX6ny
- 他教のいいとこどりした宗教かと。
- 3 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 18:50:24 ID:JQayZzaA
- 悟りとは自力では救われないことを自覚することじゃないの?
- 4 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/24(水) 18:59:18 ID:x/5gF9i+
- 真理と自己(救うものと救われるもの、彼我)が
不二であると考えるところに特徴が有るかと思います。
- 5 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 19:09:24 ID:JQayZzaA
- 西洋にも「神は自ら助く者を助く」と言う諺があるが
- 6 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 19:11:17 ID:76JHrkl2
- オーム?
- 7 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 19:35:36 ID:KYIy9/C1
- http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095670539/443
- 8 名前:名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:02:49 ID:CaACN5A6
- >>1
「悟り」という宗教的超越を信じて求めるのだから、
やはり「宗教」だと思う。
- 9 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/24(水) 23:58:58 ID:al6JXIEK
- >>5
初耳ですが、西洋にもスピノザのように仏教にも通じる思想の持ち主もいますね。
>>8
はい。求道者は自分の善性や能力をひたすら信じます。
ただ、それらをも絶対的に見ないところも特徴かと。
(悟った人達も死ぬまで修行を続ける)
仏教には全知全能の人格というものが存在しないように思えます。
無の哲学でしょうか。
「キリスト教、イスラム教、仏教」より、
「儒、仏、道」の方がしっくりくるような気が…
- 10 名前:名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 21:43:48 ID:ZRxRIeKk
- 「全知全能の人格」ではありませんが(人格って呼んだら一神教から怒られそう)
密教には大日如来という理・智の根源的シンボルがありますね。
仏教は基本的には宗教ではなく哲学だと思います。
>「儒、仏、道」の方がしっくりくるような気が…
むしろ並べるならソクラテスとブッダを並べたいですね。
ただし、大乗以降の菩薩は仏道に縁がない人をも救いに行かなければならないので、
単なる哲学では終わらないのが仏教の深いところです。
- 11 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/25(木) 23:43:40 ID:ISuBU6zu
- 確かに人格という言い方はよくありませんね。申し訳ありませんでした。
もう一つ、自力仏教(ここでは禅宗)の特徴として、
日常の卑近な物事に真理を見出だす点が有るのでは無いでしょうか。
道元は掃除や食事を含む修行と悟りは同質であると説いたそうです。
また白隠は「衆生の他に仏無し」と説きました。
確かに、菩薩や如来による救いを求める人々からすると仏教は信仰でしょうが、
修行者達に取っての仏教は大変哲学色が強いかと思います。
そして彼らにとっては真の自己の当体が菩薩や如来なのでしょう。
- 12 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/26(金) 00:22:00 ID:oezcSP8e
- また禅宗は六趣輪廻の六つの世界の縮図がこの世、この一生の内にあると説きます。
この点でも禅宗は大変現実的、哲学的な面をもっている教えだと思います。
人間存在やこの世界、この一生に最大の関心を寄せているのでは無いでしょうか。
私の知っている僧侶も死後についての事柄は一切語っていません。
- 13 名前:名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 00:27:32 ID:YYorSOr7
- 心が安楽になるならなんでもよいよ。
- 14 名前:名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 04:18:22 ID:oezcSP8e
- あげ
- 15 名前:名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 06:07:34 ID:pb3+uF31
- 仏教って理屈ばかり。
現世で苦しみを無くす?
大抵の人は悟りに到達する前に死ぬし。
理屈で苦しみを無くそうなんて“考える”より、
聖書読んで単純な信仰心を持つ方が遥かに早いし楽。
やっぱり仏教は哲学止まり。スピリチュアルと変わらない。
- 16 名前:名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 09:20:55 ID:SMH9yJ+j
- >>15
あなたの言ってることは仏教の二番煎じ。少しは勉強しよう。
- 17 名前:名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 18:10:57 ID:dRtayjuv
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- 18 名前:名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 20:36:21 ID:dRtayjuv
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- 19 名前:名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 20:46:17 ID:tgs3TGkt
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- 20 名前:名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 21:30:50 ID:zwuXNHXn
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- 21 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/12(月) 23:42:52 ID:TWmOKKFo
- 保守
- 22 名前:法華経:2006/06/13(火) 00:15:34 ID:gHckt1go
- 無尽意さんへ、
悟りとは、一体何だと思いますか。
私は「私はこの心身このまま仏である」と一念する所が、無上の悟りだと思います。
- 23 名前:法華経:2006/06/13(火) 00:22:08 ID:gHckt1go
- 我は真如なり
我は大日如来と同体なり
我は阿弥陀と同体なり
我は無辺法界なり
我は諸法実相なり
…このように一念する時、一心は法界に満ち満ちて、過去無量の罪障は消滅す、と源信和尚の『真如観』にあります。
- 24 名前:法華経:2006/06/13(火) 00:35:38 ID:gHckt1go
- 十方三世諸仏の本懐は、衆生に対して「我すなわち真如なり」と知らしむる所にあり、それこそ『法華経』であるのです。
我が身すなわち仏なりと信じれば即ち仏、疑えば六道を輪廻す、と。法華経を信じれぬ衆生の為に、仏は慈悲をたれて八万四千の方便を説く。
これも何かの縁です。
無尽意さんも「我は真如なり」と信じられませ。
- 25 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/13(火) 00:35:41 ID:7kCEwbsg
- >>22
「今」を生きるありのままの自分になりきった境地
です
- 26 名前:法華経:2006/06/13(火) 00:37:20 ID:gHckt1go
- ありがとうございます。
ではまた。失礼しました。
- 27 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/13(火) 01:03:18 ID:7kCEwbsg
- 自分は日連宗ではないので法華教は
一番有名な第十六と第二十五しか知りませんが、
>>24で書かれている教えは素晴らしいと思います。
臨済宗でも仏と自己の関係は「水と氷の如く」と説きます。
自己の内の仏(真の自分)と出会う事を目指す教えです。
ではまた。(合掌)
- 28 名前:法華経:2006/06/13(火) 08:15:59 ID:gHckt1go
- 無尽意さん、おはようございます。
万法は是れ全て一心の所作なりと言います。
この肉体のみの自分を自己なりと錯覚すれば、それは無明の始め、一切業障の根源です。しかし、ひるがえして我は真如なりと思えば、真如すなわち諸法実相の別名なれば、一切は我なり。一切が我なれば、一切諸仏の功徳我が身に満ちる。これ以上の善根功徳はありません。
- 29 名前:法華経:2006/06/13(火) 08:23:04 ID:gHckt1go
- 我すなわち真如なりと、知る事こそ極地なれば、無知で経文不読の衆生に念仏(南無阿弥陀仏)ととなえさせた深意も容易に推し測れると言うものです。有り難きは慈悲の善知識でございます。
- 30 名前:法華経:2006/06/13(火) 09:42:09 ID:gHckt1go
- 「およそ経論の文は、人の信により、意楽によって様々の会釈を述べる者なり。しかれども一筋に我ら即ち真如の体、そう思いて忘れず心に懸けたれば、即身即仏なる事疑うべからず。」
大聖釈迦牟尼世尊に礼拝し、善知識天台沙門源信僧都に謝し奉る。
- 31 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/13(火) 16:23:53 ID:7kCEwbsg
- 悲しいかな、われら一念に悟れば直にこれ仏なるを知らずして、
却って一念迷うが故に自ら凡夫と成り下がる。
『自覚安心』
一心生じざれはば、万法咎無し。
(問いを発して問題にしなければ煩悩はあり得ない)
『信心銘』
そうです。全ては「心」が決めること。。。
- 32 名前:法華経:2006/06/13(火) 19:04:06 ID:gHckt1go
- 法華経の中で、常不軽菩薩は、いかなる者にも仏性有りと礼拝し、礼拝された者の中には、常不軽菩薩に石を投げて罵倒した者もいました。
その後常不軽菩薩は来世で無生忍の悟りを得て、罵倒した者は阿鼻獄に堕しました。
仏の教えを伝える者は、「一切衆生即仏」の真理を、機に応じ変じて自由自在に法を説いて、仏の教えを伝える事こそ肝要かと存じます。
私は主に念仏を用いて、人々に仏の教えを伝えつつ、悟後の行を全うするつもりであります。
我等即ち真如法界なり
南無平等大慧一乗妙法蓮華経
南無久遠実成釈迦牟尼世尊
南無一切先師聖霊
合掌
- 33 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/13(火) 19:23:40 ID:7kCEwbsg
- 法華経さんは日連宗の僧侶なんですか?
- 34 名前:法華経:2006/06/13(火) 19:46:31 ID:gHckt1go
- いいえ、浄土真宗の僧侶です。本願他力の教えだけでは心の安らぎを得られず、師を求め、他宗の経を読み、過ごしていました。
ある時、源信和尚の『真如観』を読み、長年の疑問は解消するのを感じました。
そして、念仏を伝える意義も新たに感じたのであります。全ては『我即ち仏なり』の法華経第一義の根本真理を、形を変えて伝えてゆく事なのだと思いました。
- 35 名前:法華経:2006/06/13(火) 20:01:34 ID:gHckt1go
- 第一義を悟れば、南無阿弥陀仏や、題目である南無妙法蓮華経を唱え心に保時する事にも、意義を見いだせます。
阿弥陀とは無量寿・無量光の義であり、妙法蓮華経とは、我等の心中に咲く仏性を蓮華に例える義であります。言い換えれば真如法性の義に他なりません。それに帰一・帰命の義である南無を付けて唱える事を勧めた先達の慈悲には、謝しても謝し尽くせぬものが有ります。
- 36 名前:法華経:2006/06/13(火) 21:33:09 ID:gHckt1go
- 禅の教えも、とどのつまりは自己を窮め尽くして、我は仏以外何者でもない事を悟る教えかと存じます。
自力・他力は即身即仏の真理を伝える為の対機方便の仮名(けみょう)かと存じます。
大聖釈尊と先師の慈悲と方便の巧みさには、言葉がありません。
- 37 名前:法華経:2006/06/13(火) 22:17:00 ID:gHckt1go
- 我即ち真如なり、と心に懸けた後も、疑念、欲念様々な思いが今までの習慣で心に湧くも、それら全て真如なり、仏の体なり、と観ずれば、全ての煩悩は真如の体に還ります。
是れ正に一心の妙法、一心の不可思議な働きであります。
過去永劫の煩悩を、真如の体に還すは正に一心。
一心を迷いから悟りへと覚ますは仏・法・僧の三宝であります。我三宝に帰依し謝し奉る。
- 38 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/13(火) 22:55:50 ID:7kCEwbsg
- 荘子やスピノザの汎神論哲学も仏法に通じる部分が多々あります。
彼らもまた自己という存在と真理は既に一体であると説きます。
荘子は道について「無相であり全ての根元。自心もまた本来無想である」と言い、
スピノザもまた「神は全ての根元であり、自心の働きも含む
ありとあらゆる全ての存在や現象は神の現れで有る」と言いました。
荘子は禅宗、スピノザは密教に酷似しています。
- 39 名前:法華経:2006/06/13(火) 23:04:32 ID:gHckt1go
- スピノザはまだ読んだ事がありませんので、機会があれば読んでみます。
- 40 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/13(火) 23:40:03 ID:7kCEwbsg
- 王陽明もおすすめです(^^)
- 41 名前:法華経:2006/06/13(火) 23:53:12 ID:gHckt1go
- 老子と荘子は読んだ事あります(^_^)
いろいろ読むのも楽しいですよね。
- 42 名前:名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 01:26:57 ID:OXbdNLEY
- 渓声すなわち是れ広長舌、
山色、清浄身にあらざるは無し。
夜来、八万四千の偈、
他日、如何が人に挙似せん。
蘇東坡
- 43 名前:名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 23:02:59 ID:BZHQxfWX
- >>15 仏教には修行があります。
お釈迦さまの時代には、今みたいな複雑な学問仏教はなかったはず。
行を行じるうちに、どんどん気付いていくのでしょう。
- 44 名前:名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 20:12:37 ID:0jWtuX5I
- あげ♪
- 45 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/20(火) 19:49:42 ID:KXoN/t/6
- あげ!
- 46 名前:名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 00:06:27 ID:ZToD/zcA
- 衆生本来仏なり、水と氷の如くにて。
水を離れて氷無く、衆生の他に仏無し。
衆生近くを知らずして、遠く求むるはかなさよ。
例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。
雨あられ 雪や氷と隔つれど、とくれば元は谷川の水。
一切衆生悉有仏性也。
- 47 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/21(水) 09:19:51 ID:0HnO4kTu
- お釈迦様も「自己自身をよりどころにせよ」、という言葉を残されたそうです。
信仰としての仏教は大乗仏教から派生したのでしょうか?
- 48 名前:名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 13:00:06 ID:o8mVbsrL
- >>47 よりどころにするというのは、
頼るとか依存するとかいう意味なの?
自己を主たる観察対象とし、
自己以外のものに心が飛んだらそれを雑念として払う、
その繰り返しで観察しつづけろって意味にはとれない?
怒りが起きても怒りに流されず、すぐに自己の観察に意識をもどす。
怒りの激流の中でも、自己という島につかまれば流されずにすむ。
- 49 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/06/22(木) 03:16:17 ID:4LuoqN1b
- はい。そういうことだと思います。
- 50 名前:名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 12:19:16 ID:T49yUlI6
- >>1 「宗教」=「むねとする教え」だそうで、
もともとは仏教を差す言葉だったそうです。
「宗教」という言葉が一人歩きしちゃったわけですね。
- 51 名前:聖霊大王:2006/07/04(火) 10:44:00 ID:Ks5Cyhoi
- 無尽意 どのの47の信仰としての仏教は大乗仏教から派生したのでしょうか?
の解答。
ストッウーパー信仰、仏舎利、宝塔信仰、法華経など、あと、竜樹作といわれ、偽作ともいわれる。ビバシャ論が、
ルーツ。
- 52 名前:無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/07/06(木) 03:40:04 ID:HgvHpu44
- >>50
「真実を求める」の意という説もあるそうです。
欧米では宗教と信仰は同義みたいです。
>>51
なるほど。アショーカ王の時代あたりからでしょうか。
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